巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二十四、監獄巡視

 ナポレオンの再度の島流しと共に、再び前の国王ルイ十八世が位に戻った。蛭峰は時こそ来たとぞと直ぐに箪笥の底からあの勲章を取り出して胸に輝かせることと成った。そうして、許婚のままで居た米良田令嬢礼子とも直ぐに婚礼を済ませた。

 けれど、その割には彼は出世しなかった。多分彼が国王が都から逃れていた間に、辞職もせずに、ナポレオンの政府に踏み止まっていたので、国王の信用が減じたのだろう。王党の有力者の中にも、彼の留任は多分父親のお陰だろうと見て取り非難した人も有った。

 勿論彼は国王に向かって、自分のあの時の手柄をほのめかし、暗に出世の催促もした。幾らかの脅迫の意をも用いた。そうして自分が握りつぶしていた森江氏の願書なども参考品と言うつもりで、国王に呈し、団友太郎がどれ程危険な国事犯者であったかを思わせた。

 それやこれやで、彼はヤッと検事補の「補」の字だけは取り除くことが出来て、末席ながらも、唯の検事となり、任所もツーローンという所に移された。これでも栄転のうちではある。

 森江氏は最早や団友太郎を救い出す望みが無くなったため、ほとんど、自分の子をでも失った様に落胆し、この後は少しも楽しい月日といっては無かった。しかし、森江氏より落胆がはなはだしいのは、友太郎の父親である。次は許婚のお露である。

 このほかの人々、たとえば段倉や次郎や毛太郎次等はどうしただろう。段倉はナポレオンがいよいよ帰国して帝位に復したときに、直ぐにも友太郎が牢から出て必ず自分に復讐するだろうと思い、逃げるつもりで、森江氏から添書をもらって、スペインの或る商人に雇われた。

 折角友太郎を陥(おとしい)れて自分がその後の船長に取り立てられていたのに、不義の富貴が長くは続かなかった。しかし、彼のような、転んでも只(ただ)は起きない男は、そのうちに又出世して、どこかへ顔を出すことになるのだろう。

 次郎の方はひたすらにお露の機嫌を取り、できる限りの親切を尽くしていたが、ナポレオンが最後の徴兵令を発したとき、又も兵隊に編入され、ワーテルローの戦争にも望んだ。しかし、彼のお露への親切は全く甲斐の無いものではなかった。

 お露は友太郎の行方が分からなくなって以来、ただ心細く思うところへ、兄同様のの次郎から日夜に慰められので、幾らかその親切を感じ、次郎が兵隊に入って立つ時には、どうか兄さん、ご無事に早く帰って来て下さい。」と言った。

 勿論、この様な場合に、従兄妹として当然発するべき言葉ではあるけれど、その調子が何となく次郎の耳には、当然より以上の暖かさを含んでいるように聞こえたので、彼は無事にさえ帰って来れば、どうしてもこの女を妻にすることが出来るだろうと、幾らかの希望を抱いて出発した。

 毛太郎次も一時兵隊に取られた。けれど、彼は年も次郎より8歳も上で、かつ、妻もある身なので、実戦の場所へ出されるようなことは無く、ただ運搬などの事務に使われ、それもわずかに2ヶ月ばかりで返された。

 兎に角、この様な様子で、少しもマルセイユを離れなかったのは友太郎の父とお露と森江氏ぐらいのものであるが、父のほうは、ルイ王の復位より二ヶ月目に、失望の余りに病気となり、お露の手に介抱されて亡くなった。その葬儀の一切は総て森江氏が引き受けた。

 当時、森江氏の地位として、国王から国事犯人と目されているものの父をここまで世話をすることは非常に危険なことだった。けれど、氏はこの世話を自分の勤めと思い、勤めのためにはどの様な危険でも構わないと言って、見る人々の感心するほどに尽くした。もし、この様子を友太郎が知ることが出来たなら、きっと感涙に咽(むせ)ぶことだろう。
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 けれど、友太郎は勿論この様子を知ることは出来ない。地の底数間(数m)の穴の中に、埋まったように入れられていて、この様子だけでなく、総て人間浮き世の様子を、風の便りにも聞くことは出来ないのだ。

 ルイ王が復位して一年の後であるが、政府から、各国へ監獄巡視の官吏を派遣した。泥埠の要塞でも巡視を迎えるために典獄《監獄所長》が先に立って様々な準備を始めた。多少建築修理もする。客間も作る。先ずこの荒れ果てた要塞にとっては、何年来例の無いことだ。

 友太郎は穴の底で、かすかにこの物音を聞いた。もっとも物音などの聞こえるような穴ではない。頑丈な建物の奥深いところにあるのだから、人間の物音は一切聞こえないのだけれど、その中に居れば自然と視官聴官が鋭くなる。

 長くこの土牢に居る日とは、この建物の屋根の端から、下の海の表面に落ちる雨だれの音までも聞き取ると言うことだ。かわいそうに友太郎も、もうそう成り掛けている。
 
 巡視官は間もなく着いて、牢の部屋部屋を残らず回り、親しく囚人一人一人について何か訴えることは無いかと聞いた。どの囚人も、どの囚人も返事は全く一つである。無実の罪で捕らわれたから、早く釈放してください。食事が悪いから健康を害します。これより外には何の訴えることも無いようだ。

 巡視官は典獄《監獄所長》に向かい「政府が全国の囚人を視察させるのは無益です。一人を見れば、万人を見たのも同じ事です。このほかに幾らか様子の違った囚人は有りませんか。」と聞いた。
 典獄;「アア、あります。有ります。発狂して牢番などに危害を加える恐れが或るため、土牢に底に入れて有る者が」と思い出したように答えた。

 貴重な人身を地の底に埋めておいて、ほとんど忘れたようで居るとは、忘れられる者こそ、災難である。
 巡視官;「では土牢に降りていって、それを見ましょう。うす暗い所でしょうね。」
 典獄;「ほとんど真っ暗です。もっとも暗いところに慣れて、囚人の方ではさほど暗くは思わないそうですが。我々には明かり無しではとても行かれません。」

 巡視官;「ではどうか明かりの用意を」

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