巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu242

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百四十二、『落人』(二)

 弁太郎の乗った馬車はその主の自慢したほどでもなかった。急ぎは急いだけれど、先の馬車というのに追いつきもせず、そうしてルーブルまで行くと疲れて一歩も進まないことになった。
 けれど、弁太郎にとってはこれがかえって幸いである。馬車から降りてその主には充分な馬車代を与え、自分は道を転じて更に新しい馬車を雇った。こうしておけばたとえ追っ手が来た所で捜索が難しくなるのだ。

 彼の懐中には段倉夫人の部屋から攫(さら)って来た大変な金目の品々の他に、前から悪人だけに万一の準備として肌に付けてある紙幣がかなり沢山ある。先ず三月や半年、旅から旅へと逃げて回る旅費には困らない。この点は安心だが、ただ何処をどう逃げるかとの工夫が付かない。何でも落ち着く先はベルギー辺りだと思っている。落ち着いた上、件の金目の品を通貨に変えさえすれば一資本は有るのだから、これを太い短い夢を見た余得だと思えばパリーで数ヶ月の間、小侯爵とまで立てられていたのが儲(もう)けもの。その末が露見となり、捕り手に追いかけられ落人の身となったのも仕方が無い。又よい運の向いてくる時もアルだろうと、年の若いだけ、諦め方も淡白だ。

 ただ納得が出来ないのは何で巌窟島伯爵が私をあのような栄華の波の中に泳がせたのか。もし今まで思いつめた通り、この身の秘密の父ならば、あの大金力と大勢力をもってこの身の災難を予防してくれるはずなのに、イヤ実は伯爵も婚礼の席へ捕吏が来ようとは思いも寄らなかったので、それが為に自分の私生児をこの様な目にあわせたのかもしれない。しかし、何この後の長い月日の間には必ず又伯爵にめぐり会うときもアルだろう。今度会ったらどのようなことをしてでも伯爵の口から白状させずには置かないとそれからそれえと考えて、ついに夜の二時にコルべインと言う小都会に着いた。

 ここは世人も知る通りひところは国王の行宮(あんぐう)《旅先の宮殿》も有った小都会で種々の方面から旅人も入り込み、中々捜索の出来難いところだから、外国へ落ちて行く悪人らが多くは立ち寄って思案を決める場所である。

 二時とは言えど、なお起きている宿屋が有った。幸いとそれに入り、何でも捕り手らしい人がもし徘徊するような場合に直ぐに認めることが出来る便利さのために二階の角にある一室を借りたいと思い、帳場の者へ相談すると、その部屋は先ほどパリーから来た若い一男一女の客に塞(ふさ)がれたということである。

 この一男一女の客とは、セント・デニスで先に行ったと聞いたその一男一女ではないだろうか。しかし、そのことは永太郎の心にはもう消えている。兎に角その部屋が塞がっているなら、なるだけそれに似た部屋をと更に希望し、帳場の真上に当たり、やはり表戸の良く見える部屋に入れられた。

 この時はもう彼の心とこの後の方針が決まっている。何でも明朝早く起き、無理に勘定を済ませて、あまり人目に触れない間に山手に行き、森林の中に潜むのだ。森林といっても樵夫(きこり)や山守の家はあるのだから、なるたけ深く分け入って、そのような家を尋ね、余り世間を知らないその主人をだまし、森林の景を写すために来た画工だとても言って宿りを求め、少しの金で喜ばせてやれば、樵の服を手に入れることも出来るだろう。

 前から煤(すす)などで自分の皮膚を塗り黒め、日に焼けた人のように見せる術は、ツーロンの牢に居たとき先進の悪人共から何度も聞いてよく知っているのだから、その後は山から山を伝え、時々日暮れなどに人里に出て、パンを求め、飢えさえ凌(しの)げばどの様な苦労をしても、国境を越えられないことは無いと、大体を計画して決めた。実際旅行券の無い者が外国へ出るにはこれより他に手段は無いのだ。

 いよいよこうとすれば、早く寝るのが肝心だと直ぐに床には就いたが、思案の定まった安心と昼からの疲れなどで場合不相応に熟睡し、朝になって目の覚めたのは9時である。山に潜(もぐ)り入るのには少し人目が多すぎるように思うけれど、仕方が無い。一刻でも早くと思い、先ず表戸の様子を伺うと、どうだろう、この家のまん前に憲兵が一人立っている。

 これはこの頃警察のために使用せられることになった電信の作用で、今朝パリーの警視庁からこの様な落人を捕えよと弁太郎の人相風貌の概略までも報じて来たためである。そうとまでは思わないけれど、心に傷を持つ身のハッと驚いて更に廊下に出て耳を澄まし聞くと、帳場へも憲兵が来て、「昨夜二時頃に何でもこの家の辺りでルーブルから来た客を降ろした馬車があるが。」などと言っている。

 確かにこの身を捕縛のためであると気付くより早く、自分の部屋に馳せ入った。

第二百四十二回 終わり
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