巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu248

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 8.20

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百四十八、『華子』 (三)

 華子の死は実に多くの人を驚かせかつ悲しませた。一昨日から昨日に掛けて余ほど容態が良いほうへ向き、医者もこれならばと、やや見込みを付け始めたのが、今朝は忽然と死骸となって、はや冷え切っているので、意外と思わない者は居ない。父蛭峰は悲鳴を上げた。継母蛭峰夫人は涙が止まらないと言って自分の部屋に引っ込んだままである。

 祖父弾正は眼を腫れ上がらせている。多分は誰の悲しみよりもこの泣きも何もしない英雄の悲しみが一番深いのであろう。イヤ、これよりもなお深く悲しむものが一人ある。誰だろう。森江真太郎である。彼は華子が病気になって以来、毎朝一度づつこの隠居所に来て弾正に会い、次に華子の部屋に入り、親しくその容態を見届けて帰ることになっている。

 今朝もその通りやって来た。イヤ今朝はきっと華子と一言か二言は話が出来るだろうと思い、何時もよりも楽しんでやって来た。そうして先ず弾正の部屋に入ったが、弾正の様子が余ほど異様である。腫れた目で華子の部屋を眺めたまま森江が来たのにも気が付かない。森江はこれを見てぎょっとした。我運命が一時に消えたかのように感じた。

 直ぐに次の間に踏み込んだ。この時次の間には有国医師が華子の死骸を検査して父蛭峰に向かい、「全く昨夜の二時から三時の間に絶命したものです。」と断言している所であった。丁度この言葉が森江の耳に入った。「オオ、華子が死にましたか。」と叫ぶより早く彼は狂気のようで、そのベッドに飛びかかり、医師と蛭峰とを跳ね除けるほどにして、死骸の顔に顔を差し付け、「オオ、華子さん。華子さん、何で貴方は死にました。」声と共に泣いた。

 蛭峰はこの様を理解できない。直ぐに森江を押し退けて、法律家の口調を持って、「貴方はなぜ他人の家宅に侵入します。特にこの家は今取り込みの際ですのに。」森江は腹立たしそうに起き直って叫んだ。「何で、何で、エエ私がここに来るのをとがめますか。」と言いながら刃物でもあれば蛭峰を切り殺さん所存かと疑われるほどの剣幕で部屋中を見回したが、目に留まる刃物も無い。

 直ぐに思い付いたように又弾正の部屋に飛び帰り、ほとんど信じられないほどの怪力を出して、ベッドのまま弾正を引っさげて来て、華子のベッドと並べて置き、「弾正、弾正、この人は、イヤ蛭峰氏は何でこの家に侵入するなどと私をとがめます。進入せずに居られましょうか。貴方の口からその詳細を言い聞かせてください。サア、貴方の口から。」と、促した所で声の出る口ではない。

 その声が出るほどなら何も目を泣き腫らしなどはしないのだ。森江はもどかしそうに、「サア、私が華子の許婚の夫森江真太郎であることを貴方の口から言ってください。もう華子さんが死んだ上は、この死骸は誰のものでも無く、この森江のものであることを言ってください。」

 弾正の眼も真にもどかしそうに騒いでいる。蛭峰は又聞きとがめて、「何ですと、貴方が華子の許婚、ソレは又誰の許しを得て、アア貴方は全くの発狂者です。」
 森江;「発狂者か、発狂者でないかは弾正にお聞きなさい。弾正と当人との承諾を得て、長い以前に許婚になっています。」

 蛭峰は腹立たしそうに、弾正の眼を見、「この人の言う通りですか。」
 弾正;「然り」
 蛭峰;「貴方も華子もこの人を許婚と認めましたか。」
 弾正;「然り」弾正が眼がいかに然りと言っても、もし森江の姿に人に優れた威厳が無かったなら蛭峰は容赦なくつまみだすところだろう。けれど、森江には侵しがたい威厳の上に、燃えるような熱情が顔にも体にも現れている。蛭峰は仕方なく我を折って、

 「その様な許婚を、法律上有効とは認めませんけれど、当人の死んだ後では、争う必要も有りません。まげて貴方の狂態を許しますから、サア、早く華子の死に顔を見てこれまでの縁と諦めてお帰りなさい。」
 蛭峰の口からこれだけの柔らかい言葉が出た。大尉は返事もせずに再び華子の顔に顔を当てたが泣いているのか祈っているのか、何か華子に話すように、長く長くささやきして離れそうに見えない。

 蛭峰は堪忍が尽きた様子で、「何時までもその様な事をされては迷惑です。大尉は卒然と顔を上げた。」
 蛭峰;「最早医師の検死を受けて、全く死人と決まったものの部屋ですから僧侶のほかに必要は無いのです。この頃隣家に移って来たイタリアの暮内法師がもう華子の霊のため祈祷に来てくれる刻限ですからサアお帰りなさい。」

 中々大尉は帰るべき様子は無い、かえって、高い声を張り上げ。「僧侶よりもこの部屋にはまだ必要なものがあります。」と異様に叫んだ。
 蛭峰;「僧侶よりも必要とは何者です。」
 森江大尉;「華子のための復讐者とは。この森江大尉です。」
 蛭峰;「復讐者とは。」
 森江;「華子の死は通例の病死では有りません。殺されたのです。毒殺です。その毒殺者をこの家から探し出し法律に訴え、相当の裁判を受けさせるのが許婚の夫である私の役目です。」

 蛭峰は額に青い筋を浮き上がらせて、「けしからん事を言う。毒殺者などと、いくら発狂者の言葉にしても。」
 森江;「発狂者などと、貴方こそけしからんのです。私は華子が毒殺された証人として、第一にここに居る有国医師の証言を求めます。第二の証人は野々内弾正です。医師よ、有国医師よ、貴方は華子の死を毒殺の結果でないと言い切りますか。」
 少しの容赦も無く医師の顔を見て問い詰めた。

第二百四十八回 終わり
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