巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百五十九、『裁判』 (一)

 アア弁太郎の裁判、恐らくはこれほどパリーの人身をを引き寄せた事件はこの頃に無いだろう。今日が即ちその日である。蛭峰大検事が急いで家を出たのも、この裁判において、あらん限りの雄弁ををふるい、被告の罪を数え立てるためである。そうしてなお表面に現れない深い深い秘密のことまで抉(えぐ)り出すためである。

 裁判所へは午前七時から傍聴人が詰めかけた。およそパリーの上流はことごとくここに集まったと言っても好い。それは何の為であろう。余り事柄が意外なためである。昨日まで幾千万の財産を受け継ぐべき小侯爵と思われ、その家筋は詩人ダンテの神曲に謡(うた)われている皮春侯の血統《血筋》なりと敬(うやま)われて居たものが、パリー第一流の銀行家の令嬢との婚礼を披露する夕べに及び忽(たちま)ち恐るべき殺人者、はたまた牢破りの罪人と分かったのだから、これが世の人を驚かさなければ世に驚くべきことは無い。

 特に彼が小侯爵で居た間は、公園のような盛り場に出て、第一流の貴族と同じく馬車を並べて練り歩くこともした。有名な料理店などに入って贅沢を競いもした。夜会と言う夜会には大抵招かれ、引く手数多(あまた)と言われる令嬢たちと手を引き合って踊ることもした。全く誰からも、尊敬すべき貴公子と思われ、ときめく《時勢に合って栄える》ほどであったのだ。その時限は短いけれど、短いだけに華やかだった。華やかなだけに沢山の知人が出来た。このような人が殺人の大罪人として法廷に立つのだもの、誰が驚かずに居るものか。

 大抵の人は、何かこの裁判で非常な秘密が現れてくるだろうと信じている。弁太郎の美しい顔と優しい姿とを見、又その流暢(りゅうちょう)な言葉を聞いて、ただの普通の殺人者とは思えない。何か非常な込み入った事情が有って、止むに止まれないところからその様なことになったのだろうと言う者もあれば、裁判のどこかに間違いがあって、それが弁太郎の口から現れるだろうと言う者もある。極めて常識にとんだ人でさえも牢破りの罪人が貴公子と立てられるに至った筋道には必ず非常な知恵とか、非常な工夫とかがあっただろうと言うことだけは否定できない。あたかもこの裁判をばよほど珍しい芝居の幕開きのように思っている。

 定刻前に満場となった傍聴席にはそれらの様々な噂が沸き立つように立っている。
 甲《A》;「しかし彼をこのパリーに連れてきたのは彼の父皮春大公爵という武人だと言いますよ。」
 乙《B》;「サア、本当の悪人はその武人だろう。彼はただその人の手品の種に使われたのに過ぎないだろう。」
 丙《C》;「でも、その侯爵はとっくにロシアに帰ったとか言ってその姿が見えないでは有りませんか。何のために弁太郎を皮春小侯爵として社会に出したのか、その目的が更に分からない。」
 丁《D》;「その分からないところが面白いから我々は来たのです。ことによるとその父と言う人まで、捕まって法廷に出されるかも知れませんぜ。」
 戊《E》;「何しろこの事件で第一に馬鹿を見たのは巌窟島伯爵でしょう。伯爵は最初小侯爵を信じて、何十万円とやら、立替たと言うことです。彼が小侯爵として身を支えていたのは全くその金でしょう。」
 巳《F》;「アノような大金持ちはその様なことで財産を減らすのが良い。」
 庚《G》;「しかしっ今日は未だ伯爵がこの傍聴席に見えないようですね。そのような事が、極まりが悪く、自分から遠慮しているのでしょうか。」

 ようやく定めの時間となり、芝居ならば幕が開いた。裁判長も入って来た。陪席判事も座に着いた。次に陪審員も席に着いた。この時までも検事長の席だけは開いていたが。やがて一方の戸口を押し悠然(ゆうぜん)《落ち着いてゆったりしている》と歩み出たのが蛭峰その人である。彼は書類を入れたカバンを携(たずさ)え、裁判長に黙礼して席に着いた。この人が今日被告の罪を数え立てる職である。この人の雄弁は罪人が戦慄して恐れる所で、傍聴人の胸の波は多くこの人のために打つので、今日は殊更に荘重に、又いかめしく見えているのだろう。あたかも一人の千両役者が、一人で舞台を圧しているがごとくに、ただこの一人でほとんど全法廷の重きをなしている。

 「被告をこれに。」との裁判長の命令も下った。」静まった傍聴人の首は一時に、被告が引き出されて来る隅のほうの戸に振り向いた。その戸は開いた。被告は警官に連れられて歩んで来た。

第二百五十九回 終わり
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