巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu30

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

三十、自殺、自殺

 父が人に殺されれば、子がその殺した人を殺す。これが復讐である。実に良く分かっている。殺されたから殺すのだ。命に向かって命を報いるのだ。目に向かって目、歯に向かって歯を報いると、少しも違ったことが無い。

 ただ、団友太郎のような怨みはどの様に復讐すればよいか。これは友太郎がじっくりと考えることだ。敵を殺してしまえば好いだろうか。いや、いや、そうは行かない。わが身が生きながら土牢の底に埋められた苦しみは、命を絶たれるような比ではない。

 一生を揉みつぶされたのだ。時々刻々殺された上に、又殺され、絶え間なくこの身から、命を引き抜かれているようなものである。我が相手をもこれと同じような苦しい目に合わさなければ、復讐というのに足りない。

 死ぬより上のことはない。殺すより上の復讐はできないと世の人は言うだろう。けれど、殺せばそのとき限りでその人の苦痛は終わるのだ。何日、何カ月、何年と、限りの知れない苦しみを返さなければ成らない。

 今の自分の有様において、敵がもし一思いに私を殺してくれるなら、私は苦痛がそれ切りで終わるのを、むしろありがたいと思って、敵に感謝しなければならない。

 それだから敵にも丁度、これだけの苦痛を与え、いっそ殺された方がどれだけ有り難いか知れないと思うまでに、不幸と苦痛の極限まで押し落とさなければ成らない。
 彼は幾日、幾夜、この計画に暮らし明かしたか知れない。その手段と工夫のあるだけは考えし尽くした。

 アア、彼はこの様に、人を憎むなどと言うことは知らない、親切な快活な、恩をこそ何時までも忘れないが、怨みは直ぐに忘れてしまう性質の男であった。軽い美しいさっぱりとした正確の男であった。この男を駆(か)り立てて、日夜復讐のほかは何も考えないまでに至らせたのは、無残というよりも、愚かである。

 彼は考え尽くした頃、あたかも、初めてのように気が付いた。ああ、このようなことを考えて、何になるだろう。どんなに良い考えが浮んでも、この土牢に閉ざされている身が、どうしてそれを行うことが出来るだろう。

 こう思うと共に、彼は、今度こそ最早、寸分も思い返す道のない極度の絶望に沈んだ。生きてこの様なことを思うだけ、益々自分を苦しめるようなものである。なぜ、死んでこの苦痛を逃れる考えが早く出て来なかったのだろう。そうだ、死ぬほかは無い。自殺、自殺、自分の命をなくするのが、自分にとって唯一つの逃げ道である。

 どの様にして死ねばよいだろう。ハンケチを繫(つな)いで窓にかけ、首をくくる、これが第一。壁に頭を打ちつけて、頭を砕いて死ぬ。これが二、そうは言っても首を括(くく)るという死に様は、友太郎のような少年には何だか意気地が無いように思われる。

 何も死ぬ身が手段など選ぶには及ばないが、そこが人間に共通の自負心である。死ぬにしても綺麗に死にたい。それで、頭を砕く以外は無い。ほとんど、これに決したが、もし、死んだ後で、父が我が死骸を引き取ることにでもなって、形の崩れた我が顔を見たら、どれ程悲しむことだろう。どうか、形を崩さずに、自殺とは分からないように死にたい。

 それには絶食して、飢え死にするのみである。これには少し時間がかかる。今始めて、今直ぐに死ぬというわけには行かない。けれど、友太郎はこれに決めた。この決心が決まって、友太郎がどれ程堅くこれを守ったかは、実に感心の外は無い。

 或る医者が言っている言葉に、人間の自殺は自分が息を詰めるのが一番手軽であるが、しかし、物を持って首を絞める以外に、決して人間には自分の息が尽きるまで、息をせずにいる力はない。次には食を断つにあるが、これも全く食物が無いためならば兎も角、自分で命が尽きるまで食わずに居る力はないと。

 けれど、友太郎にはその力は有った。初めのうちは牢番の持ってくる物を総て食べた振りをして、糞尿のどぶに捨てた。後には捨てる力も無くなった。これも何日だか何夜だか、ただ昏々(こんこん)と生と死の間を行き来していたが、遂には自分でいよいよ死ぬ間際になったのだと思う時が来た。

 最後の祈りを神にささげ、人間以外の界に導いて貰おうと、この様に思って、身を引きずって寝台を降りたが、目がくらんで一歩も歩けない。その体は直ぐに傍(そば)の壁に倒れ掛かった。壁にもたれて少し息を継ごうとした丁度その時、壁の中のズーッと奥底に、何か」叩(たた)くような響きがあった。

 もし、壁にもたれずに居たならば、この響きは聞こえないところだろう。イヤ、今までも聞こえていたのだけれど、壁にもたれないために聞くことは出来なかったのだろう。
 体が疲れただけに、彼は非常に神経が高ぶっている。この響きと共に、乱れている脳に様々な考えが止めども無く浮んだ。響きは何者が、何の為に起こしているのだろう。

 良く聞けば、壁の中だか、地の底だか疑わしい。けれど、確かに物でもって物を叩き壊している様子である。音はそれほどではないが、その度に自分のもたれている壁が、微震するのだ。これも、体が丈夫な人には恐らくは感じないだろう。衰えているだけに、一切の抵抗力が尽きているだけにようやく分かるのだ。

 幾ら死は決意していても、囚人の心に、消える暇(ひま)無く燃えているのは、自由が得たいという希望である。もしや、この音が、壁か床かを叩き破って逃げようという、囚人の破牢の企てではないだろうか。もしや、我が室に接近して、我を救うという親切な人の仕業(しわざ)ではないだろうか。その様な人が有ろうとは思われないけれど、兎に角確認せずには居られない。

 疲れた身の支え難さに、床の上に平伏したが、まだ聞こえている。聞けば聞くだけ、どうも囚人の仕業らしく思われる。時々は休んでいるように、止んでいる時があるが、又聞こえる。これは、この音の元を聞き定めるまで、兎も角死なずに待っていて見なくてはいけない。
 
 分かった上で、死んでも遅くは無い。或いは神がわが身に、まだ逃れる道は必ずしも尽きてはいないことを知らせるために、わが身を起こして、この壁に寄らせたのかもしれない。
 幸いに、牢番が先刻置いて行った肉汁が、皿に入れて部屋の入り口にある。

 友太郎はそろそろとにじり寄って、その皿を取り、肉汁に喉(のど)を潤(うるお)して、先ず自分の身に力を付けた。

第三十回終わり
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