巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu48

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

四十八、袋の中

 友太郎は身を震わせて立ち上がった。あんまり恐ろしい考えである。死んだ人になり代わって自分身を棺の中、イヤ棺同様の袋の中に入れ、牢番に担(かつ)がれてこの土牢を抜け出るとは、たとえ出来る事であるにしても、ただ思うだけで震えが来る。

 彼は自分の額に手を当てた。実は脳髄がかき乱されるような気がするのだ。目がくらんで頭蓋骨が張り裂けるかと思われるほどに頭痛がするのだ。果たしてこの考えが実行可能か不可能か考える力さえ無い。空しく室の中を二度三度歩き回った。そうして何にもせずに何にも言わずに、自分の室に帰って来た。帰ってもしばらくただ胸騒ぎがするだけだ。これを好く落ち着けなければ何も考えることが出来ない。やがて彼は寝台の上に仰向(あおむ)けに伏して胸をなでた。そうして考えられるだけ考えた。イヤ考えようと努めた。

 何時間か経ったが、ただ増すのは寂しさである。土牢の中に何の声も何の音も無い。実にその静かさが自分を押し付けるようだ。押し付けて押し殺されるような気がする。どうしてこの寂しさを我慢している事が出来るだろう。この後の長い月、長い年、ただこの寂しさが増すだけだ。何の変化も、何の見る物聞く物も現れて来ないのである。アア、何が何でもあの考えを実行しなければならない。実行する外は無い。

 突然立って彼は法師の室に行った。今は脇目も振らない状態である。心に浮ぶ一切の恐れや一切の妄想を浮ばないうちにもみ消して、あの袋から法師の死骸を引き出した。そうしてこれを自分の室に持って来て、あたかも自分が寝ていると見えるように、自分の寝台の上に寝かせた。この時は早や夜の七時を過ぎている。最早や牢番の見廻りもないけれど、たとえ見廻ったところで、私が何時ものように寝ているとしか思いはしない。

 更に自分は法師の室に行き、袋の中に這(は)い入った。どうやら法師の死骸と見える様に法師の死骸があった通りに、その跡に横たわった。ようやく考えらしい考えが出来るようになったのは、この袋の中に身を落ち着けてからである。

 典獄(所長)の指図では、夜の十二時に何時もの墓地へ担(かつ)いで行って葬れとの事であったが、もし担いで行く途中で袋の中が死人でなくて生きた人だと分かったなら、何としよう。そのときには直ぐ中から袋の縫い目を切り破り立ち現れて、牢番を叩き殺して逃げるのだ。その用意に彼は法師が作った小刀を持っている。実は袋の粗末な事をも見届け、随分切り破れていることも確かめてある。

 或いは途中も無事に行き、墓の中に葬られたならどうだろう。勿論囚人を生めるのだからそう丁寧に深く生めて厚く土をかける筈はない。埋められた後で、土を跳ね除け、地の表に立ち現れて立ち去るのだ。
 もしそれもこれも思うように行かず、途中で発見されて牢番に叩き殺されるか、或いは埋められたその穴が深く、上からかけられたその土が重くて跳ね返す事ができない時は如何しよう。
 
 それこそこっちの望むところである。そのまま死んでこの世の苦痛を終わるのだ。
 どうしても助かりたいと言う人にこそ失敗はあれ、生よりも死を望む身に失敗が有るはずがない。失敗すれば死ねるのだから、そのまま本望が届くのだ。如何間違っても死ぬより上のことは無いのだから、即ち自分の目的が達成する以外はありえない無いのだ。助かれば好し、助からなければもっと良しとの両天秤を賭けた仕事なのだ。

 こう何もかも諦(あきら)めをつけてしまったつもりではあるが、心の底のどこかに、まだ諦め切れない所があると見え、考えが定まると共に、又も動悸が打ち始めた。自ら鎮(しず)まろうとしても鎮まらない。真に体中に波が打つのだ。そうして額には脂汗が湧いて出る。

 或いは自分は、袋の中でこのまま死ぬかも知れないとも危ぶんだ。動悸の高さと苦しさは全く死に際かと思われるほどである。そうだ死ぬのだ。必ず法師がこの身を導いてくれるのだと、このように思って、更に死を待つという気になった。アア、早く死が来ればよい。早くこの世を去って見たいと、こう覚悟が定まると共に、動悸は止んだ。そうしてその反動であるか、心も体も死人のように静かになった。全く静かに落ち着いてしまった。

 落ち着き切った頃である。三人の牢番が松明を照らしてやって来た。その明かりが袋の粗い布の目から中に漏れて分かり、そうして人の影もちらちらと袋の上に落ちる。
 松明を持ったのが何時もこの部屋に食物を運んでくる奴である。こやつが先ず頭分だと見え、他の二人を指す図している。

 「サ、一人は足の方を、一人は頭の方を、そうだ、そうして担(かつ)ぐのだ。」声に応じて二人は袋の両端に手をかけ、持ち上げた。
 頭の方の一人、「やせた老人にしては中々重いぞ。」
 足の方の一人;「なるほど重い」

第四十八回終わり
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