gankutu50
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
五十、一天墨の如く
千尋(じん)の崖の上から海面まで落ちる間の空中で、友太郎は自分が水葬されていることに気付き、驚きもした。そして驚いて叫びもした。足には重い錘が付いている。海に落ちれば直ぐに沈み始める。と言って沈まない方法は無い。
一度沈んでも、直ぐに袋を切り破り、錘を切り捨てて、自分の息が尽きないうちに水面に浮かび上がらなければならないと、このように考える暇が有った。イヤ、暇があったわけではない。必死の危険に脳髄が非常に早く働いたのだ。そして体が水面に着くまでに、早や彼は袋の中から右の手を出すことが出来ていた。
後で思うと錘が付いていたのが、かえって幸いしていたかもしれない。錘無しに落とされていたら、体を横にして投げられたのだから、横に水に落ちるところだった。横に落ちては水に打たれて、体が破裂してしまう。破裂しないまでも非常な怪我をするに決まっている。
ただ幸いに、足に付いた錘のために引かれたから、足の方が下になり、直立して水に入った。その勢いは実にすさまじい。瞬間に水面の何尺下に落ち込んで、なおも底へ底へと、驚くべき速力で錘のために引き込まれる。奈落の底まで達しなければ止まらないのだ。
友太郎は出ていた右の手で、先ずヤッと袋をかき退け、体だけを出して、次にはナイフでもって錘の紐を切り始めた。並大抵のことでは切れないけれど、あるだけの力を尽くしたため、ついに切れた。切れると共に、両の手、両の足で水を踏ん張るようにして、水面に浮かび上がった。
幾ら魚ほど泳ぐと言われた友太郎にしても、これだけの間、息を止めている事が出来たのはほとんど不思議だ。これが今ほんの一瞬の間も遅かったなら、必ず息が尽きて水を飲み、たとえ水面に浮ぶとも死人となるところであった。
水面に浮んで二度ほど息をして又底にもぐり込み、一生懸命に水底を泳いだ。泳いでは浮び、浮んでは又泳ぎ、凡そ六、七回目に水面に浮んだ時に、初めて気が付いて見ると、一天墨のように掻き曇って、風も出ている。何だか嵐が来かけているようだ。
これが陸上なら、逃げる身に取り嵐は何よりもありがたいが、海の上では、これのために舟さえもひっくり返される。牢番の水葬には助かって、嵐のために更に水葬されるかもしれない。
振り向いて泥埠(でいふ)の崖を見ると、暗い中に未だ松明が光っている。何でもアノ牢番たちが、友太郎が落ちる時の叫び声を聞き、異様に思ってまだ海の表面を覗いているのだ。覗いたところでこの闇に分かることではない。
けれど友太郎は又潜った。そうして今度浮んで見るともう松明はなくなっている。何だか有り難い様な気もする。とは言えこの後はどうして助かる事ができるだろう。何処に泳ぎ着けば好いだろう。
前から梁谷法師と研究した事もある。のみならず、この辺は幼い時から絶え間なく航海した所だから良く知っている。一番近いのがレトンノー島で、それに並ぶのがボメーグ島だ。けれどこの二つの島には人家がある。泳ぎ着けば直ぐに怪しまれて捕らえられる。
何が何でもテブレン島まで行かなければならない。この島は、島と言うよりも、海の表面に出た大きな巖(いわ)だから、人家もなし、見咎められる恐れも無い。
人家の無い島に着いて、後は如何する。何を食って飢えを凌(しの)ぐ。その様なことは考える暇が無い。何でも泥埠の岬から三マイルの余り離れているから、二時間も泳げば泳ぎ着く。幸いに風もその方向に吹いているようだ。
とは言え、真っ暗な海の表面で、その島が見えるではなし、少しでも方角を取り違えれば、とんでもない事になるのだ。先ず伸び上がるようにして、四方を見ると、はるか彼方に一点の星が見える。星ではない、プラニエルの灯台である。
有り難や、有り難や、これさえあれば方角を見間違える事は無い。ようやく大体の考えだけ決めて、ただひたすらチブレン島を目指して泳ぐうち、空は追々暴れ始めた。叩くのは雨、殴るのは風、段々に波を煽(あお)って、人間の力では泳ぎ切れない程になって来た。
第五十回終わり
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