gankutu70
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
七十、それほど良く見破る事が
旅商は段倉の密告書と森江氏の願書とを切り取って、まだ満足しないと見え、入って来た総長に向かい、「アア、お陰さまで、梁谷法師の死んだ事情や、その日が今から5ヶ月余りも前、本年二月の末の日であったことが分かりましたが、それにしても先ほど貴方が、何かこの法師が死んだ時に、不思議な事件が起こったようにお話でしたが、その事件とはどの様な事ですか。ついでながら伺(うか)がって置きたいと思います。。」極めて自然なように聞いた。
総長はまだ嬉しさが醒めない様子で、非常に機嫌よく、「私は官職に付いて以来、監獄の事ばかりに使われ、一頃は巡視として全国の牢屋を全て巡検もしましたが、何しろ、この法師の死んだ時に起こったような事件は、外では聞いたことが有りません。」
さては、この人がかって友太郎や梁谷の土牢を見回ったその巡視官であるのだ。旅商の今読んだ蛭峰の調書の余白に「如何ともこの外の処分無し。」と書き入れたのもこの人なのだ。旅商はこの語を聞いてジッと総長の顔を見詰めた。
総長;「梁谷法師は発狂の為に、土牢に入れられていましたが、そのところから(十尺(十五メートル)も離れた同じ土牢の中に、極めて過激なナポレオン党の一人が、これも発狂とみなされて、入れられていたのです。今思うと、これは発狂ではなく、極めて過激な、極めて大胆な陰謀者でした。名前は団友太郎といい、十九歳の時に捕らえられたと言いますが、わずか十九歳で早や国事犯に組し、しかも、その首謀者と言うほどの嫌疑を受けたのですから、一通りの人間でない事は分かっています。この男が、地の下を五十尺(十五メートル)の間、梁谷法師の牢まで、トンネルのような穴を掘ったのです。」
旅商;「ヘエ、土牢の中で、地を掘るような道具が得られますか。」
総長;「イヤ、その男が作ったのです。どうして作ったのかは知りませんが、鍬(くわ)や鑿(のみ)やその他の様々な道具が牢の中に残っていて、私も一見しましたが、決して外から持ち込んだ品ではないのです。そうして、そのトンネルを行き来して、梁谷法師と交流をしていたのです。」
「なるほど、それは大変な奴ですねえ。」と旅商は感心の様子で答えた。
総長;「実に大変な者ですよ。私もその牢を巡視した時、その友太郎にも会いました。目のすごさから顔に異様な鋭い所があるなど、一見して普通の人では無いと思いました。今でもその青白いすごい顔が目に付いているような気がします。何年経っても私はこの顔を見れば、群集の中でも見破る事ができるだろうと思います。」
果たしてそれほど良く見破る事が出来るだろうか。旅商は怪しむように、再び総長の顔をジッと見た。
「何でもこの男は法師に成りすまして脱獄を企てる積もりで、法師の部屋に尋ねて行ったのだと見えます。」
旅商;「所が、法師が死んだから、その計画が無駄になったと言うのでしょうね。」
総長;「サア、そこが不思議な事件です。中々工夫に富んだ奴と見え、密かに法師の死骸を自分の部屋に持って来て、自分のように見せかけて、寝台に置き、そうして、自分が死体の代わりに袋の中に入っていたのです。」
旅商;「エ、袋とは。」
総長;「袋とは棺の代わりに死人を入れるのです。何でも友太郎の積もりでは、その袋に入っていれば、死人として牢から運び出され、墓地に持って行って、葬られるから、その時に土を跳ね捨て逃げると言う考えだったのでしょう。」
旅商;「なるほど、珍しい出来事です。そうして、ついにその通り逃げましたか。」
総長;「所がその獄では死人を土葬にするのではなく、袋のまま三十六ポンドの錘(おもり)を付けて海に水葬するのです。牢番共が彼を崖の上に運んで行き、規則通り錘を付け、何十丈(八、九十m)の高いところから、海の最も深い所に投げ込みました。彼は袋の中でそうと気が付き、余程驚いたものと見え、叫び声を発したそうです。牢番共はその声を聞いて、法師が生き返ったものかと怪しみましたが、既に投げたものを、取り返しは付きません。」
旅商;「そうして友太郎はついにどうなりました。」
総長;「そのまま水底の藻屑となってしまったのです。高さの知れない崖から落とされて、勿論、水に付いた時、体が砕けて、大抵は即死か気絶かするのです。そして直ぐに三十六ポンドの錘で水の底に引き込まれますもの、どうして逃げる事などできるでしょう。」
旅商;「ですが、死骸は後に上がりましたか。」
総長;「今言った通り、底の藻屑となったのです。上がるはずが有りません。」
旅商;「では、政府でも、友太郎を死んだものと見てしまったのですね。」
総長;「勿論です。事実死んだのに違いないから、死んで水葬されたものと見なしたのです。もっとも、それから翌朝になって、牢番共が土牢を見回って初めて、その詳細が分かり、兎も角、決まり通り号砲を放って騒ぎましたけれど、既に水底に葬られたものを今更どうしようもなく、更に今度は間違いの無い法師の死骸を、水葬して全く事が終わったのです。」
聞き終わって旅商は「もし、その人が生きてでも居れば、獄中で梁谷法師の臨終の模様なども分かりましょうが、それではいたし方有りません。しかし、法師が死んだ事はもう確かで有りますから、弟子の恩義として八十円ばかりのその預金に幾らか足して、墓でも建ててやりましょう。」
と言い、更に総長に礼を述べて旅商は立ち去ったが、口の中では「フム、団友太郎は政府の目で全くの死人となってしまったし、何事も思ったよりも好い方向に進んで行くわ。」と満足そうにつぶやいていた。
第七十回終わり
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