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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(六十七)
私は実に人殺しと言われることも嫌うところではない。もう一発射直して彼ギドウを殺したい。彼を射損じた悔しさは、ただ骨髄に達するのを覚える。数ヶ月の辛抱でやっとここまで進んで来たのに、肝心な一歩で失敗するとは、ほとんど気も狂ってしまうかと思った、その瞬間、畑の中に立っていた彼ギドウはカラリとピストルを手から落とした。
落としたと見る間に彼の白い飾りシャツの胸板に紅の血が染め出すのを見た。ああ、私の弾丸は狙いがはずれたのではなく、全く彼の胸を打ち抜いたのだ。打ち抜いたが彼がしばらく倒れなかったのだ。こう思う暇もなく、彼は前の方に一歩進み、そのままどうとうつぶせに倒れた。有り難い。有り難い。読者よ、私は実に決闘に勝ったのだ。ギドウを射止めて復讐の一部を果たしたのだ。
見る間に外科医はその傍に走り寄った。ギドウの介添人両名も、私の介添人ダベン侯爵も同じくその傍に近寄った。私はただ何となく心の底の底からわき出した五臓六腑に満ち渡る大満足の思いに進むことも退くことも忘れ、元の所に立ったまま見ていると、元も元、六,七間(十三、四m)しか離れていないところなので、一同のする事も、言うことも、手に取るように見えかつ聞こえる。なんと、素晴らしい広々とした風景だ。
外科医はギドウを抱き起こした。ギドウはその暗い目を見開いて天を眺め、喰いしめた歯はむき出しだったが、ものも言わず、動きもしない。彼は死んだのか、気絶したのか。侯爵は医師に向かい、「どうでしょう、射撃の腕前は。」と聞いた。さすがは自分も決闘家だけに、何より先にこの決闘のうまい下手を聞こうとするのか、恐ろしいほど心が落ち着いた人だ。医師も慣れた顔で、
「言うことは有りませんが、ただちょっと高すぎました。」
ちょっと高く狙ったのは私に考えがあってのことなのを知らないか。「もうちょっと下に当たれば即死するところでしたのに。」いよいよまだ死に切れないでいるか。私の目的は嘘のようにうまくいったのだ。
侯爵は意外そうな顔で、
「おや、まだ命がありますか。」
「はい、とうてい助かりはしませんが、少しばかり急所がはずれたので、極静かにしておけば、まだ、しばらくは生きているでしょう。ゆっくりとなら、遺言くらいは言えるでしょう。もっとも、ひどく心を刺激すれば別ですが。」
話す言葉が終わるか終わらないうちに、あの恐ろしそうに天を見上げていたギドウの目に、一種の感じと心とが浮かんで来た。彼は正気に戻ろうとしているように見えた。やがて彼はその目を一,二どまばたいて、瞳を定め、何か物を捜すように、また疑わしそうに、不思議そうに一同を眺め始めたが、ついに、探しに捜して、その目は私の顔に注いだ。
私はこの時はすでに元のようにサングラスを掛け我が目を隠していたが、まだギドウにはひどく感じるところがあると見え、その顔色は非常に異様に赤くなり、唇まで動かしてしきりに何かを言いたそうに見えた。医師はそれと察してか、すぐに持って来たブランデーの栓を抜き、彼の歯の間にそそぎ込むと、彼は始めて力を得たように、やっと自分で身を起こした。これは死に際の余力だろう。
彼は左手を傍に付き、右手で私を指し、調子の定まらない声を絞り、「彼に、ああ、彼に話がある。」と言い、彼はほとんど聞き取れないほどの低い声で、「誰も聞かないところで、誰の耳にも入らないところで」とつぶやいた。
これらの有様は、細々と書いては何の恐ろしいこともないが、実際に深手を負い、今正に死のうとしている人が、その死をこらえて、物を言おうとするほど薄気味の悪いことはない。さすがの医師も顔色を変えたほどだったが、侯爵は第一に立って退き、次にはギドウの介添人、最後にはあの医師も半ばこの様子を見たくないため、半ばはギドウの希望に従い、ほとんどギドウの話しの聞こえないところまで退ぞいて待機した。
私はこうと見て進み出て、彼の顔にまばゆく射す朝日の光を遮るように、彼の前に身をかがめて、私の顔を突き出すと、彼はまだ先刻の恐れをそのまま目に留め、サングラス越しの私の目を眺めながら、「ああ、お願いだから、お願いだから、貴方の名前は、貴方の本名は。ああ、貴方は誰です。」と聞く。声も高く、低く、ほとんど幾月ぶりかで初めての哀れみを私の心に起こした。ああ、読者よ、私はギドウに我が正体をうち明ける時が来た。
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