巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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             (七十九)

 ナイナに対する私の復讐の第一歩は先ず彼女と結婚する事にある。同じ女、同じ男、ああナイナと私は法律の面では立派に結婚している夫婦なのに、夫婦敵同士の間となり、夫婦が再び結婚する。世の中にこれ程奇怪なことが有るだろうか。

 今からこの時のことを考えてみても私は実に夢ではなかったかと疑う。私は全ての欲望を圧しつぶし、自ら機械同様の人となり、悲しさに泣かず、うれしさに笑わず、今まで巧妙に計画した復讐の手続きを一歩一歩着実に行ってゆくだけだ。

 ある時は自分自身が発狂しているのではないかと疑うこともあった。又ある時は自分が真に生き、真にこのように働いているのではなく、ただ発狂の熱に浮かされて、どこかの精神病院の一室に居て、このように生き、このような事をしているように私の狂心が妄想しているのではないかと怪しんだ。

 しかし、狂人の心に浮かぶ妄想がこのようにはっきりとまたこのようにつじつまが合い、過去から未来に連関するものではない。そうだ、そうだ、私は確実に生きて働いているのに違いない。今までのこと、どれを見ても、引き続くハピョの身の上で、我が身に納得のできないところはない。

 今はただ復讐の機械となり、人間界を脱したまでのことなのだ。そうは言っても、自分自ら自分の心を疑う、これはあるいは発狂の間際まで来ているのではないだろうか。そうだ、読者よ、私はきっと発狂の瀬戸際に居るのだ。このままの状態が長く続けばその内きっと発狂するに違いない。私は発狂しない内にこの復讐を成し遂げなければならない。

 このように思って私はナイナと婚礼の日取りを早めて、二月のある日と決めて、これを一般に発表した。勿論私がアベリノから帰ったとき、ナイナもすでに修道院から帰り、ロウマナイ家に居たので、ナイナに相談して、良く納得させた上でのことだ。

 この発表から二日目のことだが、私はその準備に奔走する途中で、図らずも先の介添人ダベン侯爵に会ったので、まずこれまでの挨拶と一通りの礼を申し述べ終わると、侯爵は何か腑に落ちない顔つきで「貴方はいよいよ結婚なさると見えますね。」

 このように聞くのは無理はない。侯爵はあのギドウのポケットから出てきた手紙から、ナイナとギドウの間に愛情が成り立っていたのを知り、私の結婚は身のためにならないと思い、よそながら忠告したほどなので、あるいは私が思いとどまったのではないかと推察していたからだ。日頃の私ならば侯爵に対して面目ないところだが、私は強いて笑顔を作り、「勿論です。既に発表したとおりです。」侯爵の顔はなお心配そうに曇って、「そうですか、私はまた」

 「なるほど、分かりました。多分私が結婚の約束を取り消すだろうとお思いになったことでしょう。そのご心配は有り難くお受けしますが、なに、侯爵、今時の女にそう無傷なのはおりません。結婚前の傷まで捜してそれに焼き餅を焼くと言う時代ではありません。以前に誰を愛したにもしろ、今後、私を愛してくれればそれで私の妻というもの、とにかく、ナイナ夫人の美貌はご存じの通り世界一ですので、世界一の女と結婚すればそれで私は本望です。」と半ば冗談のように言い消すと、侯爵はよほどあきれたと見え、しばし、その顔を10数センチ(三,四寸)も長くしたが、さすがはフランス第一の決闘家また第一の社交家であるだけに、たちまち思い直したように、からからと高笑い、

 「貴方がそのように開けていれば、それ以上の幸せは有りません。貴方はお心まで随分若返りましたね。」と言い、さらに二,三の雑談をして別れた。
 後にも先にも私の結婚を心配そうに思ったのはただ侯爵一人だった。その他の人は知る知らないにかかわらず、私を世界第一等の幸福家のように褒めそやし、寄るとさわるとこの噂で、ネープル(ナポリ)全市の人々は、あたかも自分で妻でも迎えるかのように浮き立ったのは、私を非常な金満家と思い、この婚礼のためには七浜が潤うのではないかと想像するためなのだ。

 もちろん私の方でも、これが一世一代の晴れの婚礼、いや、実に晴れの復讐なので、積みに積み上げた海賊カルメロネリの大財宝をこの企てにまき尽くすほどの覚悟だ。こう思ってますます万端の準備を急ぐと、我が最初の妻、最後の妻、二重に重なる罪悪のナイナ夫人も、急げば急ぐほどおのれの寿命を切り縮めることとも知らず、私に負けないくらい準備を急いだ。

 もとより、ナイナはただ欲心の塊なので、金満無双と噂される私と婚礼を挙げることはこの上ない愉快なことなのだ。とくに昨年の秋以来、ネープル(ナポリ)全市の娘達、娘を持っている親たちは、我先にこの白髪老人をとりこにしようと言わず語らず競い網を張って居たことなので、その競争にうち勝ったナイナの心持ちは、億万の賞を得た競馬の持ち主よりもっと喜ばしいことなのだ。

 彼女は今までまとっていた黒い喪服を脱ぎ捨てて、化粧しなくても美しいその姿に化粧を凝らし、毎日仕立屋を呼び寄せて私ハピョが残した大財産とギドウの叔父からの遺産を傾けるのも心配せず、私が紳士社会から祝されるのと同じように彼女は貴婦人、令嬢社会から今はうらやまれ嫉(そね)まれて、寄るとさわると悪口を言われる種だが、それすら耳に入らないので、嫌がるところもない。

 これほど自分から復讐の壺に入るのを急ぐかと思うと、私の発狂の期限もほとんど延びるような気がした。


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