巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame21

         椿説 花あやめ  
   

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.7.24

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          二十一 鑑定の材料 

 葉井田夫人は松子の部屋を出た後に、独り廊下へ立ったまま考えた。真に松子と梅子と何方が優って居るだろうと。
 何う思い比べても優劣は無い。双方とも無傷の玉だ。併(しか)し梅子の顔には、何だか特別に親しく思われる所が有る。それは何故だろう。夫人は又も考えたが、之は分かった。確かに梅子は此の家の惣領息子《跡取り息子》であった太郎に似て居るのだ。

 勿論男女の区別は有るが、太郎の顔の雄々しい所が、梅子の顔では愛らしい所と為って居る。此れ丈が区別であって、同じ血筋から出た事は争われないと、夫人はこう思い掛けて、直ぐに又自分を制した。

 『イヤイヤ顔や形で判断しては成らない。それに愛憎の心を少しでも起こしては大変だと、前から瓜首からも誡(いまし)められて
居る。此の様な事を思ううちに、若し愛憎とか依怙贔屓(えこひいき)とか云う様な念が出ては大変だから、もう何にも思わない事にして一切の判断を、子爵と瓜首とに任せて置こう。』
と流石正直な天性だけに、確(しか)と我が心を取り留めた。

 併し何時までも此のままで、天然の愛の心が何方かの一方へ傾いて、溢れ始めると云う様な事が、無くて済むだろうか。何だか覚束(おぼつか)ない様な気が、夫人自らの心の底にさえ、徘徊《当ても無くうろうろと歩き廻る》して居る。

 このようにして、二階から下(くだ)り、客間へ入って見ると、早や晩餐に招いた客が揃って居る。それは瓜首の外に二人だ。多少都の交際にも慣れた、虎池大佐と云う老士官と、丸亀男爵と云う近所の貴族で、二人とも当家と極親密にして居る間柄である。

 併し肝心の子爵が見えない。之は実の所、今日を大事な日と思って、余り心が騒ぐので、先刻裏庭へ出て、今もまだ林の中の静かな所で、独り考え込んで居るのだ。心の落ち着いた頃に、外から帰った様な振りで、現れて出る積りで居ることが、葉井田夫人には良く分かって居る。

 先ず夫人は三人へ挨拶した。すると瓜首は、小声で夫人に向かい、
 『何の様ですか。』
と問うた。
 夫人『子爵が仰有(おっしゃ)った通りです。とても私しには優劣が分かりませんから、貴方と云う専門家の鑑定にお任せ申すより外は。』

 瓜首は鼻の先で笑った。愈々(いよいよ)自分の技量の現し所だと満足したのだ。兎角する中に二階から、お召替えも済んで、草村夫人が降りて来た。無論立派に着飾って居る。之を葉井田夫人が一同へ引き合わせると、次に瓜首の前に立ったのは、春川梅子で有る。

 瓜首は直ぐに思った。果せる哉、此の俺には唯だ一目に鑑定が出来る。是れと云うのも、卅年来鑑定を職業として居るお陰である。もう何にも迷う所は無い。これだ。これだ。此の梅子には、子爵の相続人として、少しも不似合いな所が無い。

 之に優る適当な候補者が何所の世界に在る者かと、殆ど感心に堪えない面持ちで、梅子の顔を眺めて居ると、直ぐにその間を遮って、又瓜首の前へ連れ出された女がある。
 『之が瓜首さん、草村松子さんです。』
と葉井田夫人が引き合わせた。

 瓜首は唯だ、
 『ヘエ』
と驚く様な声を発したままで、二の語が出ない。此の時の彼の有様は憐れむべきである。彼は手巾(ハンカチ)を取り出だして、禿げた頭から額の汗を拭いて、宛(あたか)も汗拭き取った下から、知恵を湧き出させる工夫の様である。

 『イヤ上には上がある者だ。』
と、口には出さないが唯だ呆れて、更に梅子と見比べて見ると、松子が、梅子の上に立つ事は難しいが、梅子も、松子の上にたんこと難しいと云う程である。

 最早や葉井田夫人が、何方に重きを置いて居るか、それを見て取る外は無いと思って、更に夫人の顔を見ると、夫人は静かに双方を見ているのみで、軽重の区別は見えない。

 彼は早や百計尽きたと云う様子で、挨拶が済むや否や、独り窓の所に退き、首を右左に傾けて振った。自分の頭を徳利の様に思って居るのか、知恵を振り出す積りらしい。

 漸(ようや)くに知恵は出た。今に必ず主人子爵が現れるだろうから、その目附きに注意すれば、多少参考の材料を得る事が出来るだろう。何うしても困難な鑑定は、先ず充分な材料を集めて係らなければならないと云うのが、彼の日頃の主義である。

 その中に子爵が入って来た。第一に草村夫人に挨拶し、次に大佐と男爵とに挨拶し、その次に梅子松子の居る方へと向かうと、梅子が懐(なつ)かしさに我慢が出来ない様子で、手を広げて馳せ寄った。

 アア確かに父と娘との様な、親密な心が既に子爵と梅子との間には出来て居るのだと、瓜首は思った。直ぐに子爵は梅子を抱き、その額に接吻したが、その時の子爵の目には憐みの涙が輝いた。

 是れでもう鑑定する必要は無い。子爵の心が全く梅子に固まって居るのだから、此方がたとえ反対に鑑定したとしても無益だと、漸く責任の済んだ様に瓜首が安心する暇も無く、直ぐに又松子の方が子爵に抱かれた。

 此の時の子爵の顔は、曾(かつ)て瓜首が見たことも無いほど、嬉しそうに晴れ渡った。
 真に松子を自分の子と思わなければ、こうまで喜ぶ筈は無い。アア鑑定の責任は依然として、自分の身に在るので、此の様な難題が又と有ろうかと、彼は再び徳利の様に首を振り、再び知恵の様な者を振り出した。

 『そうだ、客間では分からない。食堂へ行って緩々(ゆるゆる)と話しする中には、何所かで分かる。』
 更に参考の材料を食堂で集める気になった。
 そのうちに食堂は開いた。



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