巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame22

         椿説 花あやめ  
   

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.7.25

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

a:125 t:1 y:0

          二十二 何の様な優劣が 

 梅子、松子、草村夫人、葉井田夫人、瓜首法務士、虎池大佐、丸亀男爵の七人、主人蔵戸子爵と共に食堂に入った。別に変わった事も無く、唯だ通例の晩餐では有ったけれど、食い物も、飲み物も一切の器具(うつわ)と共に、善尽くし美尽くして居た事は無論である。

 客の中で最も忙しかったのは、草村夫人である。此の夫人は美しい器物を見て、密かに値を積もって見る事が好きで、その上に美しい飲食物をば、自分の財布を痛めず味わう事が一層好きである。

 目にも口にも暇が無い。そうしてはその目は、器物を見分けると同時に、客の誰が一番此の家に対して、勢力が有るかをも見分け、口は飲み食いと同時に、客一同へそれぞれ、お世辞を加減して行かなければ成らない。

 先ず八人芸の有様で有ったが、流石は事に慣れた身なので、是だけの芸を、悉(ことごと)く首尾良く勤めて、最後に、何うも瓜首と云う奴が、最も主人子爵に勢力が有るらしいと見て取った。尤(もっと)も是は無理も無い。瓜首の挙動が、一種違って居る。

 彼は何(どう)しても、此の晩餐で、梅子、松子の優劣を鑑定する、参考の材料を得なければ成らないと、決心して居るのだから、飲食の事は忘れる迄に、耳と目とに力を集めて居るけれど、悲しい哉、その材料が得られない。

 梅子の方は客一同の話に、一々自然の同情が、その顔に現れる様に見えるけれど、何分初対面の人が多いゆえ、自分からは話をしない。だが一度、並んで居る葉井田夫人に何事をか問われて、小声で返事したのみである。

 松子の方は客の話に、少しも顔の様子を変えないけれど、是も唯一度、並んで居る子爵に何事をか答えた丈だ。けれど、両女の隠然たる潜在力の勢力は争われない。

 此のテーブルを囲んで一同の談話が、総て此の両女を喜ばせ度いとか、面白がらせ度いとか云う心から出て居るのだ。虎池大佐の、昔印度に在勤中の軍隊の滑稽話は、多分梅子を笑わせ度い心が半分は交じって居るだろう。

 丸亀男爵の文学上の広い範囲にあまねく及ぶ批評の怪弁は、松子の好みに投じ度いとの意が、過半を占めて居るらしい。
 双方の話を横合いから一々引き受け、梅子にも松子にも代わって面白がりもし、笑いもしたのは草村夫人である。

 その面白がる所にも笑う所にも、空々しい様子を見せなっかったのは、流石に熟練である。
 その中に晩餐は、淡(あっ)さりと終わった。直ぐに葉井田夫人の注意で、女連れだけ先ず談話室へ退いた。

 後に残った男客三人は一斉に主人子爵の様子を見た。子爵は静かに、
 『春川梅子嬢と草村松子嬢との間に、何の様な優劣が有りましょうか。』
と問うた。
 大佐は首を傾けた。瓜首は徳利の様に頭を振った。

 男爵は考えつつ、
 『何方でも、一人を見れば類の無いほど優って居ます。』
 子爵『成るほど面白いお返事だ。ですが今の様に二人を並べて見ると。』
 男爵『一年見たとて優劣は附きません。』

 瓜首は呻(うめ)いた。
 『アア到底参考の材料は無い。 何うせ優劣が無いのだから、少しでも誰かの意見が、傾いた方を選べば好い。』
 彼は当惑の余りに、此の様にさえ思って居ると、やがて大佐が、

 『梅子嬢の方は、名乗らなくても、当家の血筋と云う事が分かります。亡くなられた太郎君の顔に、余ほど好く似ています。』
 瓜首は思った。
 『アア梅子に仕よう。』

 子爵は直ぐに、
 『私もそう思いますが、その代わり松子の方は気質が、確かに当家の血筋を現して居るのです。』
 男爵は賛成らしく、

 『成るほど、一方は容貌が血筋を現し、一方は気質が血筋を現しているのですね。愈々(いよいよ)優劣は有りません。』
 瓜首は又呻(うめ)いた。
 『是では到底判断の仕様が無い。』
 
 大佐は語を継いで、
 『何うです子爵、是から婦人一同と美術室へ行こうでは有りませんか。あの部屋には確か、太郎君と次郎君との肖像が、額に成って掛かって居たと思いますが。』

 子爵は死んだ二人の息子の名を聞き、少し悄然(しょうぜん)《しょんぼり》としたけれど、直ぐに打ち解けて、
 『ハイ二人の肖像が懸かって居ます。久しく私は行って見ませんけれど。』

 大佐『では愈々行きましょう。行って梅子嬢の顔と太郎君の顔と見比べようでは有りませんか。』
 瓜首は食堂で得られなかった材料が、若し美術室へ行けば得られようかと思い、賛成の意を表し、
 『成るほど、行きましょう。行きましょうう。』

 子爵は之に応じて立ち上がり、先ず婦人達の居る談話室へ、一同を従えて入って行った。



次(二十三)花あやめ へ

a:125 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花