巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame27

         椿説 花あやめ  
   

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.7.31

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          二十七 梅子に極まった 

  太郎次郎の肖像に花を供えた梅子の心栄えには、全く子爵も涙を催し、葉井田夫人が退いた後で、独り非常に感心したように呟(つぶや)いた。

 『アア兎に角、梅子は情けが深い、あれを養女にすれば、孝行を尽くして呉れるに極まって居る。私も追々取る年では有るし、孝行な子を得るのが第一だ。幾等物事が良く出来ても、孝行と云う心が少なくては、子の様な心地がせず、親の様な気持ちがしない。

 もう何も思い惑う事は無い。梅子---梅子、そうだ、松子が有ればこそ何方(どちら)に仕様などと迷うけれど、若し松子が無かったなら、何うして世に梅子ほどの、好く出来た娘が有っただろうと、私も葉井田夫人も瓜首も、天に謝するほど喜んで居る所だろう。それなのにまだ迷うとは勿体ない。孝行が何よりも取得、之で梅子と極まってしまう。』

 子爵の心は殆(ほと)んど極まった。極まったに就いては何う言い渡したら好いだろう。熱した頭を爽やかな秋の風に吹かせつつ良くその辺の思案をしようと、こう思って子爵は部屋を出て、静かに庭から背後の林に入り、又歩んで丘の辺まで行くと、眺望の最も好い木陰に、本を手に持ったまま松子が休んで居る。

 子爵は例(いつ)もに変わらない優しい声で、
 『何うしてここにお独りで。』

 松子は極めて自然の調子で、
 『此下の村に、大そう哀れな病気の子が有る様に、先ほど厩(うまや)の人達が話て居ましたから、毛糸の玩具を拵()
(こしら)えて、持って往って遣った帰りです。
 余り景色が好くて、方々が見えますから、ツイ樹の根に腰を下ろしました。』

 子爵は感心しない訳には行かない。
 『そうですか。哀れな子供に、アノ毛糸の玩具を、貴女が自分の手でお作り成さって、何うもそのお情け深さには敬服です。』
と。只た今、梅子の情けの深いのを褒めた口で褒めた。

 松子『ナニ情けと云うのでも有りませんよ。倫敦(ロンドン)に居ますと、貧民を見廻るなどと云う事を仕たことが有りませんから、何の様な者かと、半分は慰みにです。慰みと云っては済みませんけれど。』

 謙遜して自分の慈善を飾らない所が、実に見上げた心掛けだ。此の心掛けの有る者が、何で梅子ほど孝行が出来ないと云う筈が有ろう。子爵の眼には又、何だか涙が浮かび相に成った。此の明るい所で、涙を見せるのも厭だから、直ぐに気を替え、話を移して、

 『貴女は此の蔵戸家の荘園を何とお思いです。ここから目の届く丈の所は、大抵世襲財産ですが、あの向こうの山の所まで。』
 松子は惚れ惚れとした様に眺め渡し、
 『私に之ほどの領地が有れば、領地の貧しい人達の為に、学校と病院とを建てますよ。』

 此の言葉は深く深く子爵の胸に染み通った。以前から領地の住民の為に、慈善の学校や慈善の病院などを、建てた方が好いと思った事は有る。実は太郎次郎が帰って来て嫁でも取れば、その記念を兼ねて建て様と、此の様に思って延ばして居るうち、二人とも帰らぬ人に成ってしまったのだ。

 私の心に是ほどまで好く合った心を持って居るとは、年に合わせて実に好く出来た心栄えだと云うべきのみか、天然に私の後を嗣ぐべき様に生まれ附いて居るのでは有るまいか。

 『貴女は全く大きな領地を持つ身分に生まれて居ますよ。その様なお心掛けで居れば、善い酬(むく)いが来ずには居ません。』
 その善い酬いは何所から来るだろう。無論子爵は自分の手から与え度い。とは云え、そうは行かない。たった今、梅子に与える事に決心し、遣るに附いては、何う遣れば好かろうと、その遣り方を考える為に出て来たのだ。

 併しこうと有っては、又その思案を後へ戻し、決定を延期する外は無い。成るほど梅子の心が優しい事は優しい。又愛らしい事も愛らしい。けれど松子の心の方も優しくは有るまいか。愛らしくは無いだろうか。それに又、愛らしいの優しいのと云う丈で、この蔵戸家の後が嗣(つ)げるだろうか。

 愛憎と云う様な私情を捨てて掛からなければいけないと、くれぐれも瓜首に云われたのは、ここの事では有るまいか。松子の方が、優しい愛らしい外に、領地を管理すると云う、男にも珍しい才幹を持って生まれて居るのでは有るまいか。

 何しても決心を延ばす外は無い。何もそう急がはければ成らないと云う事でも無いから、モッと気長く期限を切らずに、愈々(いよいよ)と云う優劣の分かる時まで、延ばそうと、又も心が変わったのは、成るほど止むを得ない次第の様にも見えるが、実は梅子の運が熟さないと云う者だろうか。それとも松子の星が強いのだろうか。
 
 併しそう長くは延ばすに延ばされんし事情が、間も無く起こった。それは此の子爵の健康が、少しづつ衰え始めた事である。何方(どちら)とも定めない中に、若し子爵が死んだなら大変である。



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