巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame47

         椿説 花あやめ  
   

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.8. 20

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           四十七 意外なる報知

 梅子は全く故郷へ帰る気に成った。草村夫人に云われた事を考えて見ると、何うしても帰る外は無い。
 成るほど、今日が日まで、一言も『帰る』と云う事を言い出さなかったのは自分の落ち度であった。何で気が附かなかったのだろう。

 きっと草村夫人も笑って居られる事だろうと、是ほどまでに思い詰めたが、併(しか)し根が利発な質(たち)だから、又気が附いた。真に帰るべき場合なら、子爵でも葉井田夫人でも、私に向かって、
 『もう帰れ』
と云って下さるのに気兼ねは無い。

 私を娘も同様に親切にして下さる方が、爾(そ)う他人らしく成さろうとも思われない。何事でも今まで葉井田夫人に相談したのだから、是も相談するのが好かろう。相談して草村夫人の云った様に笑われたとしたならて仕方が無い。

 葉井田夫人に笑われるのは少しも構わない。爾(そ)うしなければ、何うも気が済まないと、心を取り直して直ぐに葉井田夫人の許へ行き、爾(そう)して云った。

 『私しは阿父(おとう)さんの事が気に掛かりますから、もう御用が済みましたら、帰ろうかと思いますが。』
 葉井田夫人は冗談と思った様子で、唯だ打ち笑って、
 『未だ御用が済んでおりません。』
と答えた。

 梅子『アレ本当ですよ。阿父さんが余り長く一人ですから。』
 夫人『阿父さんの許へは、子爵から此の家の老女を附け、御不自由で無い様にはして有るけれど、貴女が帰り度く思うのは尤(もっと)もです。』
 梅子『では帰して下さいますか。』

 葉井田夫人『帰す時には私が一緒に送って行きます。』
 梅子は嬉しそうに、
 『本当に送って下されますか。それは何時。』

 夫人は又笑いながら、
 『時は未だ極まりません。極まれば私から爾(そ)う云います。その時には送って行って、爾(そう)して又阿父さんも一緒に迎かえて来ます。』

 この一語に、葉井田夫人が梅子を自分の相続人にすると云う様な心が籠って居る。けれど梅子は爾は思わない。唯だ夫人が送って呉れると云われるのが嬉しい。兎も角も相談して先ず好かったと、心の軽く成った様に感じ、今度は更に草村夫人の所へ行き、

 『葉井田夫人に申しましたら、夫人が私を送って遣ると仰有(おっしゃ)いました。』
と告げた。夫人は不興げな顔で、
 『それは何時です。明日ですか。明後日ですか。』

 梅子『その日も葉井田夫人が定めて下さると云う事です。』
夫人は呆れた様に、
 『アレ貴女から日を極めなければ、いけないでは有りませんか。それだから私が気を附けて上げたのです。』

 梅子『でも葉井田夫人が、余り御親切にして下さるから、何事も夫人の仰有る通りにしなければ成りません。』
 夫人は捨て言葉の様に、
 『本当に貴女は気が利かないよ。』
と云った。

 けれどその実、自分の思ったより物事を心得て居ると、感心もし、腹立たしくも感じた。
 *      *      *      *      *      
     *      *      *      *      *
 此の翌日の朝、草村夫人は、部屋の中に懸かって居る、姿鏡に向かい、自分の顔を照らして見た。是は毎朝する事で有るが、気の所為(せい)か、眉宇(びう)《眉の辺り》の間に確かな決心の有る相が現れて居る様に思った。

 『矢張り此の顔は、昔から云う烈女とか賢婦人とか云われる人相だ。それだから松子が、あの様に賢くて爾(そう)して確かなのだ。もう何の様な事が有ったとて、爾(そ)うだ、たとえ梅子が当分立ち去らないにしたとして、ナニ気遣う事が有る者か。

 ここまで漕ぎ付けたのだもの。決して向いた運を逃がしなどする様な愚かな人相では無い。勝軍(かちいくさ)と成れば、何所までも勝果(かちおお)さなければ。』
と呟いた。自分で自分の人相などを頼むのは、余り賢い方では無さそうだ。

 爾(そう)して一通りの身支度をして廊下へ出ると、春の日が麗(うら)らかに庭の景色を照らして、少し天然を賞美する心の有る人ならば、去る事が出来ない程の光景である。併し此の夫人の目には花や木や草などよりも、金貨一枚の色がよほど美しく見えるのだ。

 一寸振り向いて見は見たけれど、佇(たたず)みもせず、そのまま下の広間へ降りて行くと、一方のテーブルに今来た許りのロンドンタイムズと云う新聞が載って居る。夫人はその所へ行き、手に取って、先ず社交界の人々に関する記事などを読んだが、別に気に留まる程の事も無い。

  次に電報蘭を見ると、
 『意外なる報知』
と題した一項がある。何故だか此の表題が非常に神経に障(さわ)った。夫人は目を皿の様にして読み下した。

 『昨年の六月二十七日、愛蘭(アイルランド)近海にて沈没したる汽船プリンス号の乗客で、溺死者に数えられた人の中、一両名、帆前船ビクトル号に救い上げられたのではないかとの説あり。此の船は南洋ニュージーランドへ向け航海の途に在って、途中何所へも寄港しなかった為、その事は今日まで世に伝わって居なかった。

 併しその救い上げられた一両名とは、誰であろう。遺族である人々は、此の報に接し、徒に空望を起こして、再び失望させられないような心掛けこそ肝要だろう。多分次号には、詳細を報じる事が出来る運びに至るでしょう。云々』

 読み終わって草村夫人は、殆ど昨年蔵戸子爵が、プリンス号沈没の報を読んで驚いたと同様に驚いた。若しや、若しや、此の一両名と云う中に、若しや、若しや。



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