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裁判小説「人耶鬼耶(ひとかおにか)」  小説館版

エミイル・ガボリオ原作 「ルルージュ事件」 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2024.9.16

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      裁判小説 人耶鬼耶     涙香小史訳述

       第十六章 逮捕された有徳

 従僕(しもべ)の注進に有徳は目を覚まし、
 有「何に巡査・・・・」
と云う間もなく、真っ先に入って来る探偵散倉、続いて進む巡査の面々、有徳の寝台(ベッド)を取り囲んだ。有徳は宵の中から、様々に心を悩まし、漸(ようや)く眠むったばかりだ。巡査長は早くも進み出て、有徳に向かい、

 巡「伯爵小森有徳とは貴方ですか。」
 有「如何にも拙者は小森有徳です。」
 巡「吾等は法律の命令を以て、貴方を捕縛に参りました。尋常に召し取られなさい。」
 有徳はまだ夢の心地で、少し呆れて居たが、

 「此の有徳を何故に捕縛なさる。」
と問掛けると、巡査は直ちに逮捕状を差し出した。有徳は急(いそ)がわしく受け取ったが、その表面に、
 「寡婦お伝謀殺しの事件」
と筆逞(たくま)しく記してあるのを見て、顔色忽(たちま)ち青くなり、口の中で、
 「アアもう駄目だ。」
と細語(ささや)いた。

 此の言葉、外の人には充分に聞こえなかったが、巡査長と探偵散倉は耳聡(みみさと)く聞き取って居た。中でも散倉は腹の中で、
 「〆めた」
と云いながら、手早く手帳を取り出して、
 「アアもう駄目だ。」
の七字を書き留めた。

 是から巡査長が有徳に向かい、更に規則通りの問答をなす中に、散倉は引き連れた手下の者を、右左に追い使って、寝室は勿論、書斎、応接所、装束室等の隅々に至るまで、隈(くま)なく捜索させ、以下の品々を見い出した。

 一、短刀一個、居間、次の間に種々の鉄砲及び剣等を掛け連ねたり。(これは先日實に面会した部屋なり。)此の部屋の隅に一個の長椅子あり。長椅子の後ろから、此の短刀出でたり。鞘には小有の二字を記せり。是れ有徳の所有である証拠なり。その尖(さ)きの方少し欠けたり。

 二、洋袴(ズボン)一個、装束室の押し入れの下から出(い)でたり。其処此処(そこここ)に泥が着いていて、まだ湿り気を帯びているのは、丁度一昨々夜(お伝の殺された夜)の、雨に濡(ぬ)れたものと鑑定す。

 又胸から内股(うちもも)に当たる辺(あたり)に、苔の雑(ま)じった泥が着き、強く擦(こす)った様な痕(あと)が見えるのは、孰(いず)れかの庭の塀を、攀(よぢ)上ったものと鑑定す。
 此の洋袴(ズボン)は革包(カバン)の後ろへ、見えない様にしてあったところを見ると、わざわざ隠して置いた者と見受けられる。

 三、手袋、是れは、下に記す洋袴(ズボン)の衣嚢(かくし)《ポケット》から出た緑色に染めた、小山羊の皮で作ったものなり。掌(てのひら)及び手の甲等に、爪の痕と覚しく、引掻いてムシッタ痕あり、指の先きも少し破れたり。

 しかしながら、その裏が少しも汚れていないのを見ると、品はまだ新しく、何か非常な事を為したのでなければ、この様な痕(あと)が出来る筈なし。

 四、上等の靴二足、中一足は泥に汚れ、一足は清潔なり。
 五、蝙蝠傘一個、まだ湿気あり、且つ先の方は泥の中へ、杖に突いた様に汚れたり。
 六、葉巻煙草、これはお伝の家で見出した、燻余(すいのこり)と少しも違はぬ煙草なり。
 七、烟(煙)管《パイプ》、メーヤーシャウムを以て作ったものにして、疑いもなく、上の煙草を吸うのに用いる者なり。

 散倉は自分が思う通りの証拠物を見出し、上の様に説明書を認め終わった所へ、巡査長が有徳を引き連れて来たので、散倉は早くもその前に廻り、有徳の額に手を当て、倩々(つくづ)くとその顔を眺め、腹の中で、

 散「フム、案外正直な顔をして居る。是だから人は見掛けに寄らないのだ。併し何うしても、寝込みを捕縛するに限る。寝惚(ねぼけ)て居るから、もう駄目だなどと、大変な言葉を吐くのだ。」
と我れと我が手際を賞(誉)めながら、巡査長に向かい、

 散「田風呂判事が、最早(もはや)待ち兼ねて居るであろう。早く行きましょう。」
 有徳は此の時まで、宛(あたか)も夢中の人を見る様であったが、漸(ようや)く心落ち着き、巡査長に向い、

 有「私しを捕縛なされたのは、全く何かの間違いですから、追って公明正大な裁判を経たなら、罪なき事が分かります。」
 散「間違いでも有ろうが、裁判の済む迄は仕方がない。」

 有「イヤ甘んじて裁判を待ちますが、只今父に一言致したい事がありますから、五分間の面会をお許し下さい。」
 巡「イヤ決して誰にも逢わせてはならないとの、言附けを受けて来ました。馬車を門戸に待たせてあるので、直ぐ行きましょう。」

と有徳を引っ立てようとしたが、此の時、家内の下女下男は、宛(さなが)ら麦酒(ビール)の徳利を振り回す様に、上を下へと騒ぎ回った。その内に誰かが、一際鋭い調子で、

 「アレ大変だ、大変だ。大旦那が気絶した。早く医者を、早く水を、水を、医者を・・・・。」
と叫び立てる声が、手に手を取る様に聞こえた。

 有徳は此の声を後に聞き、馬車に乗せられて、裁判所の方へ飛ぶ様に運び去られた。

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