hitonotuma31
人の妻(扶桑堂 発行より)(転載禁止)
バアサ・エム・クレイ女史 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
バアサ・エム・クレイ女史の「女のあやまち」の訳です。
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人の妻 バアサ・エム・クレイ女史 作 黒岩涙香 訳
(本篇)三十一 「長い話」
兎に角も槙子は、婚礼より前に自分の身の素性を丈夫へ打ち明けると云う事を、母御に約束した。真に打ち明けたら何の様な素性だろう。母御も此の約束に満足した。そうして或る日、丈夫がロンドンから来た時に、何うしても婚礼前に、槙子の素性を聞く様にせよと、呉々も云い附けた。
約束はした者の、何うも槙子に取っては、その打ち明けるのが辛い様だ。その中に婚礼の日も極まった。今年はもう余日も無いから、新年早々にと云う事である。勿論博士と内山夫人との婚礼も、その同じ日と云う筈なのだ。そう決まったので、用意万端を調える為に、槙子は再びロンドンへ去り、彼の道子の家に入った。
ここへは丈夫も毎日の様に槙子に逢いに来る。けれど彼も蜜月の旅に出る為、一ケ月以上の仕事を先取りし済まして置こうと思い、一生懸命に働いて居るので、来ることは来ても、長居は出来ない。殆ど落ち着いて話する機会が無い。。多分は之が為でも有ろうが、槙子の打ち明け話は一日又一日と延びる。
此の様子では何時まで経っても、打ち明ける時は来ず、その中に婚礼の日とは成るだろうが、何故槙子は早く、丈夫に故々(わざわざ)半日の暇を作って呉れと請わないのだろう。
いずれにしろ、打ち明け難いには違い無い。けれど或る日の事、明日は道子夫婦が買い物に出て、槙子が一日留守をすると分かったので、此の日を取り逃してはと思い、丈夫に向かって、明日は長い話が有るから、その積りで緩(ゆ)っくりと来て呉れとの事を頼んだ。
丈夫は顔を顰(しか)め、
「イヤ、こう押し詰っては、迚(とて)も緩っくりする暇は無い。切めて聖誕節(クリスマス)の日でも来なければ。」
と言掛けたが、聖誕節には暇が有っても、人々の祝い喜ぶ中で、長い密話などの出来ようとは思われない。やがて槙子の心配そうな顔を見て考え直し、
「イヤ何とか繰り合わせて、明日の午後に来る事にしよう。」
と答えた。
一つは母から是非槙子の身の上話を聞けと云われて居て、明日の話が多分その事だろうと思うが為でも有る。
翌日彼は来たけれど、矢張り忙しそうにして居る。第一に「時計を出して、
「今から三時間だけここに居られる。」
と云い、更に、
「まさか三時間で話せないと云う長話も無いだろう。」
と微笑みつつ云うは、聴かなくても、大抵は分かって居るから、短く話して呉れとの謎なのだ。こう迫き立てられると、猶更(なおさら)言い難いけれど、槙子は思い切って、
「実は私の身の上を-ーーハイ今まで有った事を、今日お話し申して置き度いのですが、極初めから申しますゆえーーー。」
丈夫は此方から所々で返事などしては、益々長くなると思うから、
「私は無言て聞いて居ますから、何うか途切れたり繰り返したりせずに話して下さい。」
こう云われては、猶更(なおさら)言い難い。覚悟した身も聊(いささ)か鈍る様に見えた。けれど「ハイ」と云って話始めた。先ずその大要を摘まんで云えば、
幼い頃此の国に居た時の事は少しも知らない。唯だ竹子と云う伯母が有って、自分と「まっちゃん」とを大層可愛がって呉れて、そうして父とは絶えず喧嘩ばかりして居たのを、薄々お覚えている許りだと、云う事である。丈夫は早や問い度くなった。その「まっちゃん」とは姉か妹かと云う事を。けれど槙子の方が、先に婚礼した所を見れば、向うが妹なのに極まって居るとこう覚って、口を噤(つぐ)んだ。
その次に覚えて居るのは、姉妹二人が父に連れられ、豪州行きの船に乗った事である。豪州へ着いて、暫しの間は覚えて居ないが、姉妹で小学校へ通った事。父が間も無く土地の女を、後妻とした事。その後妻が、大層派手好きな気質で、直ぐに父の少しの貯(たくわ)えを使ってしまったと見え、段々と小さい家へ引き移り、終には姉妹をも学校をやめさせた事。
後妻は貧乏に愛想を尽かし、無理に離縁を請うて、間も無く他の金持ちへ縁附いた事など。如何にも豪州に有り相な事柄だと思って、丈夫は聴いた。
実を云えば、丈夫は波太郎と婚礼の頃の事が少し許かり聞き度いのだ。聞き度く無いと思っても、そこは人情だから、その一層底に、聞き度い思いが薄い烟(けむり)の様に籠って居る。
けれどその所までは容易に話が進んで行かない。学校はやめさせられたけれど、それより少し程度の高い、他の学校の女校主が気の毒に思い、少しだけ小間使いの様な手伝いをして呉れれば、無料で教育して遣ると云うので、姉妹は毎日それへ通い、三時間教えを受けて、二時間は小間使いを勤める事としたが、父は零落しながらも、娘二人の事を云えば、異様に見識を張るのが常で、小間使いなどさせる様な、その様な身分では無いと、一旦は非常に怒った。
けれど又世が世なら、第一流の学校へも入れるべき二人を、幾等零落したと云って、無教育で捨てては置かれない。他日英国へ帰った時、親類へ言譯が無いなどと云って、終に無月謝の通学を二人へ許す事には成ったが、此のうち前の後妻が、二度目の夫が破産して、絶望の中に死んでしまった為に、又父の許へ転がり込み、再び姉妹二人の継母とは為った。
此の邊の事を話す頃は、如何にも恥ずかしそうであった。けれど丈夫が唯だ初めの通り、笑みを浮かべて聞くのみで、何の言葉をも加えないから、又話続けた。その母が帰って来た為、生計向きの不如意は益々不如意と為り、父は債主の責めを逃れる為、それからそれへと夜逃げ同様に転宅し、終には娘の通う学校から、七哩(マイル)も離れた所へ落ち着いた。
こう成っては、通学も出来ないから「まっちゃん」の方は学校を罷(や)めてしまったが、槙子の方は女学主に頼み、その学校へ住み込んで、毎土曜日に歩いて帰り、日曜日を父の許に暮らして、月曜日の朝又歩いて学校へ行く事にした。
之を少しも辛いとは思わなかったが、帰って見る度に、唯だ情け無く思ったのは、継母が「まっちゃん」を派手な陽気な方へのみ導き、父の貧苦を余所に見て、他の豪州一般の無教育な娘達の様に、男子の玩具に成る様にのみ躾けて行く事であった。
槙子は之を悲しく思い、幾度か継母(ままはは)と喧嘩もした。或時は寧(いっ)そ学校から帰って来て、自分が所帯向きを預かる事にしようかとも思ったが。此の頃は学校から得る報酬も、幾分か多くなり、それが主計(くらし)の一部分を支える程にも成って居たのだから、学校を廃(や)める譯にも行かず、其のうちに十七の春とは成ったが、彼の親切の女校主が死んで、その後を引き受ける者が無い為、廃校する事と為り、槙子は途方に暮れて我が家に帰って来た。
「その頃なんです。波太郎が私共の家に現れて来たのは。」
と愈々丈夫の聞き度く思う所へは近よった。
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