巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hitonotuma31

人の妻(扶桑堂 発行より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ女史 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

バアサ・エム・クレイ女史の「女のあやまち」の訳です。

since 2021.4. 11


下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         
  人の妻   バアサ・エム・クレイ女史 作  黒岩涙香 訳
         
    (本篇)三十一 「長い話」

 兎に角も槙子は、婚礼より前に自分の身の素性を丈夫へ打ち明けると云う事を、母御に約束した。真に打ち明けたら何の様な素性だろう。母御も此の約束に満足した。そうして或る日、丈夫がロンドンから来た時に、何うしても婚礼前に、槙子の素性を聞く様にせよと、呉々も云い附けた。

 約束はした者の、何うも槙子に取っては、その打ち明けるのが辛い様だ。その中に婚礼の日も極まった。今年はもう余日も無いから、新年早々にと云う事である。勿論博士と内山夫人との婚礼も、その同じ日と云う筈なのだ。そう決まったので、用意万端を調える為に、槙子は再びロンドンへ去り、彼の道子の家に入った。

 ここへは丈夫も毎日の様に槙子に逢いに来る。けれど彼も蜜月の旅に出る為、一ケ月以上の仕事を先取りし済まして置こうと思い、一生懸命に働いて居るので、来ることは来ても、長居は出来ない。殆ど落ち着いて話する機会が無い。。多分は之が為でも有ろうが、槙子の打ち明け話は一日又一日と延びる。

 此の様子では何時まで経っても、打ち明ける時は来ず、その中に婚礼の日とは成るだろうが、何故槙子は早く、丈夫に故々(わざわざ)半日の暇を作って呉れと請わないのだろう。
 いずれにしろ、打ち明け難いには違い無い。けれど或る日の事、明日は道子夫婦が買い物に出て、槙子が一日留守をすると分かったので、此の日を取り逃してはと思い、丈夫に向かって、明日は長い話が有るから、その積りで緩(ゆ)っくりと来て呉れとの事を頼んだ。

 丈夫は顔を顰(しか)め、
 「イヤ、こう押し詰っては、迚(とて)も緩っくりする暇は無い。切めて聖誕節(クリスマス)の日でも来なければ。」
と言掛けたが、聖誕節には暇が有っても、人々の祝い喜ぶ中で、長い密話などの出来ようとは思われない。やがて槙子の心配そうな顔を見て考え直し、
 「イヤ何とか繰り合わせて、明日の午後に来る事にしよう。」
と答えた。

 一つは母から是非槙子の身の上話を聞けと云われて居て、明日の話が多分その事だろうと思うが為でも有る。
 翌日彼は来たけれど、矢張り忙しそうにして居る。第一に「時計を出して、
 「今から三時間だけここに居られる。」
と云い、更に、

 「まさか三時間で話せないと云う長話も無いだろう。」
と微笑みつつ云うは、聴かなくても、大抵は分かって居るから、短く話して呉れとの謎なのだ。こう迫き立てられると、猶更(なおさら)言い難いけれど、槙子は思い切って、

 「実は私の身の上を-ーーハイ今まで有った事を、今日お話し申して置き度いのですが、極初めから申しますゆえーーー。」
 丈夫は此方から所々で返事などしては、益々長くなると思うから、
 「私は無言て聞いて居ますから、何うか途切れたり繰り返したりせずに話して下さい。」
 こう云われては、猶更(なおさら)言い難い。覚悟した身も聊(いささ)か鈍る様に見えた。けれど「ハイ」と云って話始めた。先ずその大要を摘まんで云えば、

 幼い頃此の国に居た時の事は少しも知らない。唯だ竹子と云う伯母が有って、自分と「まっちゃん」とを大層可愛がって呉れて、そうして父とは絶えず喧嘩ばかりして居たのを、薄々お覚えている許りだと、云う事である。丈夫は早や問い度くなった。その「まっちゃん」とは姉か妹かと云う事を。けれど槙子の方が、先に婚礼した所を見れば、向うが妹なのに極まって居るとこう覚って、口を噤(つぐ)んだ。

 その次に覚えて居るのは、姉妹二人が父に連れられ、豪州行きの船に乗った事である。豪州へ着いて、暫しの間は覚えて居ないが、姉妹で小学校へ通った事。父が間も無く土地の女を、後妻とした事。その後妻が、大層派手好きな気質で、直ぐに父の少しの貯(たくわ)えを使ってしまったと見え、段々と小さい家へ引き移り、終には姉妹をも学校をやめさせた事。

 後妻は貧乏に愛想を尽かし、無理に離縁を請うて、間も無く他の金持ちへ縁附いた事など。如何にも豪州に有り相な事柄だと思って、丈夫は聴いた。
 実を云えば、丈夫は波太郎と婚礼の頃の事が少し許かり聞き度いのだ。聞き度く無いと思っても、そこは人情だから、その一層底に、聞き度い思いが薄い烟(けむり)の様に籠って居る。

 けれどその所までは容易に話が進んで行かない。学校はやめさせられたけれど、それより少し程度の高い、他の学校の女校主が気の毒に思い、少しだけ小間使いの様な手伝いをして呉れれば、無料で教育して遣ると云うので、姉妹は毎日それへ通い、三時間教えを受けて、二時間は小間使いを勤める事としたが、父は零落しながらも、娘二人の事を云えば、異様に見識を張るのが常で、小間使いなどさせる様な、その様な身分では無いと、一旦は非常に怒った。

 けれど又世が世なら、第一流の学校へも入れるべき二人を、幾等零落したと云って、無教育で捨てては置かれない。他日英国へ帰った時、親類へ言譯が無いなどと云って、終に無月謝の通学を二人へ許す事には成ったが、此のうち前の後妻が、二度目の夫が破産して、絶望の中に死んでしまった為に、又父の許へ転がり込み、再び姉妹二人の継母とは為った。

 此の邊の事を話す頃は、如何にも恥ずかしそうであった。けれど丈夫が唯だ初めの通り、笑みを浮かべて聞くのみで、何の言葉をも加えないから、又話続けた。その母が帰って来た為、生計向きの不如意は益々不如意と為り、父は債主の責めを逃れる為、それからそれへと夜逃げ同様に転宅し、終には娘の通う学校から、七哩(マイル)も離れた所へ落ち着いた。

 こう成っては、通学も出来ないから「まっちゃん」の方は学校を罷(や)めてしまったが、槙子の方は女学主に頼み、その学校へ住み込んで、毎土曜日に歩いて帰り、日曜日を父の許に暮らして、月曜日の朝又歩いて学校へ行く事にした。

 之を少しも辛いとは思わなかったが、帰って見る度に、唯だ情け無く思ったのは、継母が「まっちゃん」を派手な陽気な方へのみ導き、父の貧苦を余所に見て、他の豪州一般の無教育な娘達の様に、男子の玩具に成る様にのみ躾けて行く事であった。

 槙子は之を悲しく思い、幾度か継母(ままはは)と喧嘩もした。或時は寧(いっ)そ学校から帰って来て、自分が所帯向きを預かる事にしようかとも思ったが。此の頃は学校から得る報酬も、幾分か多くなり、それが主計(くらし)の一部分を支える程にも成って居たのだから、学校を廃(や)める譯にも行かず、其のうちに十七の春とは成ったが、彼の親切の女校主が死んで、その後を引き受ける者が無い為、廃校する事と為り、槙子は途方に暮れて我が家に帰って来た。

 「その頃なんです。波太郎が私共の家に現れて来たのは。」
と愈々丈夫の聞き度く思う所へは近よった。



次(本篇)三十二

a:120 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花