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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.24

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第二十四回 国事探偵、鳥村槇四郎 

 栗山角三は探偵小根里と共に酒屋を出たが、今井兼女が事と云い、兼女の手紙を取ろうとする、彼の怪しい男の事と云い、更には又決闘の一条より、柳條健児の事までも、一つとして気に掛かからない事がないので、歩きながら小根里に向かって、
 「昨夜公園で士官の決闘があったと云うが、お前はその事を聞かないか。」

 小「イヤ決闘など云う血塗れ騒ぎは、此の頃暫くありませんが、昨夜何でも馬車の中で殺された人でもあるのか、今朝ほど馭者から届けて来ました。馬車の中の人殺しとは、類のない事柄ですから、充分馭者に問い詰めましたが、馭者は酒に酔って居て、何も知らず、今朝になって車の掃除に掛かりますと、馬車の中が血だらけなので、初めて不審を起こし、急いで届出たと云う事です。」

 角三は薄気味悪そうな様子をして、
 「フム馬車の中が血だらけ、それで殺した奴も殺された奴も分からないか。」
 小「少しも分かりません。角三は初めて安心し、腹の中で、是ならば誰も俺が柳條を匿(かくま)って居るとは知るまい。」
と呟(つぶや)き、更に又声を発して、

 「お前はもしや、政治上の嫌疑を以って、非役士官柳條健児と云う者の挙動を探れと、言い使った事はないか。」
 小「ナニ政治上の事は、国事探偵が引き受けますので、私などは関係しません。」 
 是で聞く丈は聞き尽くした。小根里には用事は無い。依って柳條の容体が如何かを見に行こうと思い、

 「イヤ誠に御苦労であった。もう明日からは、郵便局へ詰めるには及ばないが、その代わりアノ先程の怪しい男の身の上を探って貰い度い。彼が果たして国事探偵で、それが為め今井兼女へ来る手紙に目を附けて居るのか。それとも外に仔細があるのか。その辺の事が分かれば誠に有難い。」
と衣嚢(かくし)から財布を取り出し、幾等かの金子を与え、之で小根里に別れを告げた。

 先刻酒屋で眠って居た、彼(あ)の町川とやら云う聾者(ろうしゃ)も、酒屋を出てから直ぐに二人の後に従い、此の所まで追って来たが、二人が右左に分かれるのを見て、是も又聞く丈は聞き尽くしたと思ったか、早々に身を隠したので、栗山角三も聾者に尾けられたとは、夢にも知らなかったに違いない。

 話は替って、ここに又今井兼女の手紙を得ようとしている怪しい男は、公園で角三を計略に落としてから、強いて角三の後を追おうともせず、口の中で、
 「偽士官めざまを見ろ。」
と笑いながら此の所を立ち去ったが、それから直ぐにチウル街なる警視総監の私邸(屋敷)を訪れた。

 当時のパリ警視総監は、誰しも知る様に、姓を穂内(フォーチエ)と云い、元は僧侶であったが、奸智に長けたるが為に、一頃はナポレオンの顧問となり、又一頃は革命党の主領ロベスピヤ(ロベスピエール)の股肱となり、国王ルイ十六世を死刑に処せよと主張し、その後又王権党となり、オトラント公爵に叙せられ、今は国王ルイ十八世の腹心となって、警視総監を勤める、節操定まりない人である。

 此の時総監穂内(フォーチエ)は丁度家に居たと見え、怪しい男を通したので、男は直ぐに総監の居間へと進み入った。先には手袋店の女工と共に手を引き合って歩んだ男、今は警視総監の前に在る。怪しと云うも中々だ。総監は少し不機嫌な様子で、手前は昨朝早々に地方へ向け、民情視察の為出発する命を受け、未出発せずに居るのは何う云う訳だ。

 男「イヤ少々都合があって延しましたが、明朝は必ず出発します。」
 総「第一に何所へ向かって行く積りだ。」
 男「ペリゴーへ」
 「それは分からん。全体ペリゴーは王権党が沢山に居る土地で、此の度国王が帰ったのに附いても、別に不平を唱える輩もないから故々(わざわざ)国事探偵を差し向けるにも及ばないが。」

 男「イヤそれが先日お願い申した、相続の儀に就きまして」
 総「爾々(そうそう)手前の叔父に金満中佐とか云われる者があって、それが二百萬法(フラン)の財産を残して、露国(ロシア)の戦争で生き死にも知れなくなったとか云った様だが、成る程二百万法の相続なら、手前の身には大事であろう。併し一身の都合を以って国事を疎(おろそ)かにするのは、不都合だ。」

 男「イヤ一身の為ばかりでは無く、実は国の為です。今私が出張しない事には、此の財産が私の従弟に落ちます。従弟は柳條健児と云い、熱心な共和党で随分と陰謀を企て兼ねない男ですから、之に二百万法の財産を渡すのは、敵に軍用金を与える事と同じ事です。」

 総監は笑いながら、お前の口先は実に旨い。お前に二百万法を持たせれば国事探偵を止め、立派な紳士となって、交際社会(社交界)へ切り出すから、俺は片腕を奪(もがれ)る様な者だ。
 男「イヤ御冗談を仰らずに、何うかペリゴーへ遣って戴き度い者です。」

 総「お前の事だから遣ってもやろうが、併しその相続事件は何う成って居る。」
 男「イヤもう非常に危険になって居ます。ここで一歩を誤れば直ぐに従弟に取られます。」
 総「先日は従弟の事などは云わなかったが。」

 男「ハイ先日迄は従弟の居る所も分からず、その生き死にさえ知らない程で、別に心配もせずに居ましたが、先夜或る珈琲店で、新聞紙を読んで居ますと、年の若い非役陸軍士官が入って来て、後でその新聞を貸して呉れと云いました。私は職掌柄、的きり此奴は共和党だと思ったから、その思想を試す為に態(わざ)と大きな声を出して、面白相に芝居の広告など長々と読み上げ、共和党を罵(あざけ)りました。

 スルと彼奴(きゃつ)は大いに立腹し、私に決闘を吹き掛けて自分の名刺を渡しました。その名刺に非役士官柳條健児と書き、宿所までも書いてあるから、初めて従弟の生きて居るのを知り、早々に逃げ出しました。今までは多分彼奴(きゃつ)は戦争で討ち死にしたと思って居ましたが。」

 総「ではその従弟と二百万法を半分けにするのだな。」
 男「イヤ爾(そう)でありません。全体血筋の上から云えば、私が相続人ですけれど、私は身持ちが悪くて勘当され、それに引き換えて、従弟は大変気に入られて居たのです。叔父がもし、当たり前に死んで遺言を認めれば、必ず従弟を相続人にするのです。所が叔父は戦場で行方知れずになり、もう三年も音沙汰なしですから、私は叔父の財産を預って居る、ペリゴーの公証人を取り込んで、叔父の失踪証書を認めさせる事にしてあります。

 失踪証書さえ出来れば、二百万法残らず私の物になりますが、悲しい事には、此の叔父に従(つい)て戦場に行った料理番の今井兼女と云う者が、帰って来たのです。この女がもし叔父から遺言状を托されて来はしないかと、公証人は直ぐにその許を訪(と)い、それとなく様子を聞いて見ると、中々用心深い女で口には何とも云いませんが、何うも遺言書を持って居る様子です。是ぞ私の一大事ゆえ、公証人は直ぐに私の所に知らせて来ました。

 愈々(いよいよ)私が相続すれば、十万法(フラン)分けて遣ると約束してありますから、公証人も我が事の様に騒ぐのです。それで私も又一工夫考え、直ぐにその今井兼女へ宛て、柳條健児の名を語って手紙を認め、直ぐに巴里へ来いと云って遣りました。兼女がもし私の手紙を見て、真に柳條から来た者と思えば必ず私の宅(家)を柳條の宅と思い、尋ねて来る筈ですが、今以て尋ねて来ない所を見れば、或いは私の計略と悟ったかも知れません。

 それに公証人からの手紙に、兼女が近々柳條を尋ねて巴里へ行く様子だと書いてありましたから、もしや私の手紙が着かない先に巴里へ来たか、爾(そう)とすれば、柳條に宛て郵便局留め置きで返事を呉れと、手紙を遣る筈ですから、昨日も今朝も女を連れ、郵便局へ行きましたけれど、兼女へ宛てた返事はなく、更に馬車会社を初め陸軍事務局へも人を遣り、又心当たりの宿屋まで残らず探させましたけれど、兼女の居所は分かりません。

 何にしても、兼女を柳條に逢せては大変ですから、逢わない先に工夫をしなければーーー。」
 総「フム逢わない先に兼女を殺すのか。」
 男「イヤ殺しては罪になります。極々温和の手段を取り、旨く騙してその遺言書を巻き上げるのです。遺言書を巻き上げて焼き捨てれば、後で誰が何と云おうが、二百萬法は私の物です。」

 総「それでは何だな、兼女を柳條に逢せないのが肝腎だな。」
 男「爾(そう)です。」
 総「ヨシヨシそれでは俺が何とか工夫を設け、柳條を牢に入れて遣ろう。」
 男「イヤ爾(そう)して下されば、此の上もありません。牢に入って居る間に、私が柳條の親友と偽り、巧みに兼女を取り落とします。柳條は共和党ですから、探偵を附けて置けば、牢に入れる口実を附けるくらいの行いは必ずあります。」

 総「爾(そう)サ、共和党だから牢へ入れるのサ。」
 男「それに私は、ペリゴーへ行った上で自由自在に掛け引きをしなければならず、次第に依れば巡査などを使うかも知れませんから、何うぞ貴方の直筆で、彼の地の警察長官及び地方長官に宛て、私が何をするとも国の為だから咎めるなと、一筆内訓を認めて戴ましょう。」

 総「好し好しそれでお前の名前は何とする。此の様な事件だから本名鳥村槇四郎と認めて置くか、それとも。」
 男「ハイ矢張り探偵上の偽名を認めて戴きましょう。」
 是で総監は鳥村槇四郎が望む通りの内訓書を認めた。
 是にても当時、フランス政府の猥(みだり)な振舞いの多いのを知るに足るべし。

 鳥村槇四郎は、内訓書を受け取って幾度か礼を述べ、総監の前を退いたが、その邸(やしき)を出るに当たり、
 「しかし明日にも兼女が尋ねて来るかも知れない。此の内訓書さえ手に入れば、そう急ぐにも及ばない事。今暫く此のパリで待って見て、愈々(いよいよ)兼女が来ないと分かれば、その上で出張する事にしよう。」
と呟(つぶや)いた。

 槇四郎の心中憎んでも余りあり。彼是から如何なる運動を始めようとするのだろう。


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