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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第三十三回 証拠の飾り物 

 町川は暫(しば)らく考えた末、又一層の熱心を加えて進み出て、
 「何うしても嘘だ、その栗山角三が遺言書を得る為に露国(リシア)へ出張すると云う筈はない。先ず君に問うが、君は今井兼女と云う名前を覚えて居るか。」

 柳條は何の為にこの様な事を問われるのか、訝(いぶか)る様に、町川の顔を眺めて、
 「覚えて居るにも何も、それは僕が生涯忘れない名前だ。」
 町「では何う云う女で、君と何の様な関係がある。それを充分に話し給え。」

 柳「生まれた時から僕を育て、八歳の時まで母の様に親切を尽くして呉れた、僕の乳母だ。何でも僕の生まれる少し前に、その所天(おっと)を失ったとか云う事で。」
 町「フムそれから何うした。」
 柳「八歳の時、僕は叔父の家へ引き取られ、兼女もその時から叔父の家の奉公人となったが、叔父が戦場へ出る時に料理番となって従(つ)いて行き、その後絶えず叔父に従って居たが、叔父と同じく今では行方が知れず、多分死んだだろうと云う事だ。」

 町川は充分に安心し、
 「それで分かった、その兼女と云うのが未だ生きて居るのみならず、君の叔父に遺言書を托されて帰って来たのだぜ。」
 柳「エエ兼女が帰って来た。何所に居るか是非とも逢いたい者だが。」

 町「サアその居所が分からないので角三が騒ぐのだ。全体兼女が遺言書を持って帰った事を、角三は何うしてか嗅ぎ知って、今は必死にその行方を探して居る。何でも彼奴(きゃつ)め遺言書を兼女から欺(あざむ)き取り、それを君に売り附ける謀(たくらみ)だぜ。」

 柳條はまだ半信半疑で、
 「それを君が何うして知って居る。」
 町「僕は前から秘密党に加わる程だから、絶えず世間の事に目を注いで居るが、何でも事を聞き出すには、人に油断させるのが肝腎だから、僕は苦労して聾(ろう)の真似を稽古した。今では友人の中にも僕を真の聾(ろう)だと思って居る者が沢山ある。」

 柳「それが何うした。」
 町「今考えれば君が決闘した翌日だよ。月曜日の事だからーーー僕はボード街の酒店へ行き、新聞紙を読みながらウトウト眠り掛けた所、丁度一人の男が入って来て、その者に目を覚まして、篤(とく)《じっくり》と様子を伺うと、擬(まが)いもないその筋の探偵だ。而も下等だ。袖口が少し汚れて居て、何となく眼に油断のないのは、一目見てそれと分かる。此奴(きゃつ)面白いと、益々眠った振りをして居ると、後から又一人陸軍士官の姿をした探偵が来たと思い給え。

 是が件(くだん)の栗山角三だ。彼奴(きゃつ)中々巧みに姿を変えて居たけれど、矢張り了(い)けないワ。僕の眼を欺(騙)す事は出来ない。二人とも僕を聾(ろう)と思い、遠慮なく密談を始めたが、別段に面白い話でもないけれど、探偵は通常の人と違い、吾々の最も注意すべき敵だから、その二人が立ち去った後から、僕は又狐鼠々々(こそこそ)と従(つ)いて行った。

 すると角三が確かに柳條健児と云う事を言った。僕は驚いて此奴め多少君の事に目を附けて居るかと思い、何所までも尾(つ)けて行く気であったが、頓(やが)て一人が立ち分かれて、尾(つ)ける事が出来なくなったから、その日は先ず帰って来て、それから毎日の様にその酒店へ昼寝に行ったが、一週間目に又二人が遣って来た。

 今度は二人が前より詳しく話を初め、頻(しき)りに今井兼女の事を云い、角三が下等探偵に向かって、何しても兼女の居所を突き留めなければならないから、必死になって働いて呉れと云う。一方は又兼女を見出せば、何う利益になるかと問う。双方推し問答の末角三は終にその下等探偵を利欲で働かせる積りになったが、実は兼女と云うが、露国(ロシア)から大金に関する遺言書を持って来たと打ち明け、此の遺言書を巻き上げれば、百万法(フラン)だけ俺の物になるから、その時に貴様に五分即ち五万法(フラン)を遣ると約束した。

 五万法と聞いて下等探偵は一層の熱心を現わし、更に種々の事を問うたが、角三は終にその財産を受け取るべき当人だけは、既に捕らえて、或る所へ推し込めてあるから、兼女さえ見出せば訳はないと請け合った。僕は固より君の身に関する事とは知らず、余り大切な事とも思わなかったが、今君の話の様子を聞き、初めて先日の探偵が栗山であったと云う事を悟った。何うだ君間違いはあるまい。」

 柳條は感心し、
 「成程そうだ。それではアノ兼女が帰って来たのかなア。」
 町「帰っては来たけれど、居る所が分からないから、角三が気を揉むのだ。露国へ行くと云うのはその実、ペリゴーへ兼女を探しに行くのだぜ。」
 柳「成る程。」
 町「こう分かって見れば、此の儘(まま)捨てては置かれないが、君はもう角三に半分遣る約束を仕たのかネ。」
 
 柳「ウム仕たよ。角三で無ければ、その遺言書を手に入れる事が出来ないと思ったから。」
 町「その様な馬鹿気た事がある者か。百万法(フラン)と云う大金は貴族でも持っては居ない。是さえあれば上田栄三の困難は幾等でも救う事が出来、君と瀬浪嬢の生涯の幸福も買う事が出来、都合に由ては、我党が大事を挙げる資本にもなる。それを無惜々々(むざむざ)アノ欲人に取られるて堪(たま)る者か。」

 柳「実にそうだ。」
 町「そうだとも、君是れは何うしても角三の先へ廻り、兼女に逢って直接(じか)にその遺言状を取らなければならないぜ。君が角三への約束は、遺言書を渡せば此れだけの金が残ると云う条件だから、角三の力を借りずに其の遺言書が手に入れば、角三に一文の礼にも及ばない。

 だから何うしても君が至急兼女に逢い給え。ーーー逢いたまえだが、併し君は未だ身体も充分でなし。さらにその筋から睨まれて居るし、自分で行く事は出来ない。僕が代理になって行って遣ろう。僕が直々に兼女に逢い、遺言書を取って来るか、もしくは兼女を連れて帰って来る。何でも兼女は今ペリゴーに居るに決まって居るから。」
と、流石は友達の親切と云い、且つは義気ある男一匹、真心面にかば、柳條は大いに喜び、

 「実に君の云う通りだ。何うぞ宜しく遣って呉れ給え。」
と折り入って頼んだ。
 「好いとも、それでは早速出張しよう。」
 柳「でも明日や明後日の訳には行かないだろう。」
 町「ナニ、その様な気永な事が云って居られる者か。一足でも角三に遅れては失敗(しく)じるから、今夜の馬車で出発する。僕が思うに角三は必ず明朝の乗り合い馬車で立つだろう。

 僕は今夜郵便馬車に乗る。郵便馬車は只三人しか客を乗せないから、是から直ぐに上田栄三の所へ行き、君の事を話た上、家へは帰らず直ぐ行く。君三週間と思って此所に居たまえ。瀬浪嬢も時々ここへ来る様に、栄三へ取り做(な)して置くから。」

 余りの急に柳條は夢の様な心地がして、
 「では君直ぐに立つのか。」
 町「そうとも、此の様な事には一刻の遅刻が千年の損になる。事が決まれば、ぐずぐずは仕て居られない。荷物の用意も何も要らぬ。直ぐに行こう。」
と云いつつ早くも座を立とうとしたが、又振り向いて、

 「オオ未だ大事な事がある。僕が愈々(いよいよ)今井兼女に逢った時に、全く君の遣(つか)いだと信用させなければならない。兼女が僕を疑っては仕方がから、君何か信用させる品物は無いか。」
 柳「僕が兼女に宛てて手紙を書こう。」
 町「イヤ手紙では了(い)けない。此の節の事だから、若し途中でその筋の人に捉まり、身体検査を受けないとも限らない。その時若し君の手紙を持って居ては危険だ。何か他人には分からず、兼女の目にばかり分かる証拠品はないだろうか。」

 柳條は首を左右に打ち降って考えた末、
 「それは難しい注文だネ。爾々(そうそう)僕が幼い時、兼女は毎(いつ)も東洋の話だと言って、「カチカチ山」と云う昔話を仕て呉れたが、その事を言えば必ず僕の使いと信用するだろう。」
 町「それも充分ではない。何か兼女の目に見覚えのある品が欲しい。」

 柳條は忽(たちま)ち思い出した様に、
 「有る有る」
と叫びながら周章(あわた)だしく胸のボタンをはずし、銀製の飾り物を取り出し、是は兼女が戦場へ出る時に、片身として呉れたので、今まで僕は時計の飾りへブラ下げているが、コレ此の所にある十字形の傷は、兼女が自分で小刀の尖(さき)を持って彫ったのだ。」

 町川は一目見て打ち喜び、
 「コレだコレだ。是れさえ有れば大丈夫だ。」
 と其のまま受け取って、立出ようとするのを、柳條は引き留めて、
 「後地(あっち)へ行っても手紙は寄越して呉れたまえ。」
 町「好し好し、それも君に宛ては危険だから、番頭浮羅助へ寄越すのへ封じ込めて置く。飽くまでも食品商、町川友介が果物買い入れの用向きで出張する体だから。」
と活発な一語を残し、早や其の姿は梯子段を下りて、見えなくなった。

         



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