巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ikijigoku36

活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.6. 5]

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

 

   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第三十六回 町川の手紙 

 下の一通はペリゴーに居る町川友介から柳條健児に送って来た者である。
 「親友よ、柳條君よ、私の番頭浮羅吉が此の手紙を君に渡す事と思う。私は出発の折りに言った様に、直接に君に手紙を送るのは、不安心であるので、番頭への手紙の中に此の手紙を封じて置きました。私は長い道中を経、様々の事柄に逢って、今朝漸く此の宿に着きました。未だ活動を始めて居ないので、別に言い送る事もありません。

 唯道中の一通りを書き記します。しかしながら柳條君よ。私の為す所は着々図に当たって居ます。此の分ならば目的の成就は疑いありません。
 私はもう少しの事で、馬車に乗り遅れる所でしたが、ヤツっとその間に合いました。三人の乗客中、第一は陸軍士官梶田と自称する人。第二は栗山角三、第三はこう申しているこの町田です。私は栗山角三が同じ馬車に乗ったのに驚きました。

 先ず彼の様子を見ると、果せるかな私がボード街の酒店で二度まで逢ったことがある、彼の偽非役士官です。彼は全く姿を変え、商人の隠居然と作っているが、私の目には彼の狡猾なる有様が、悉(ことごと)く写って来ます。

 彼も私を一目見て、酒店で見掛けた聾(ろう)商人だと気付いた様子ですが、素よりその色は毛ほども見せず、初対面の人の様に挨拶を始めました。アア彼、既に私に看破されながら、爾(そう)は思って居ないのは憐れです。彼も或いは私のペリゴー行きを怪しむに違いないと思い、私は充分馬鹿となり、自ら我が商売の繁昌する有様など、非常に手柄顔に誇り話すと、彼は少しも私を疑わず、善い道連れを得たと思ったようだ。

 されど私は心中に少しも油断せず、敵と車を同じくした心で、絶えず彼の一挙一動に注意しました。彼は実に私の敵です。御身には露国(ロシア)へ行くと言ったのに、実は私の断言した様に、ペリゴーへ旅行しているのです。一つの馬車に同じ今井兼女に逢おうとする者二人まで乗り込んだとは、何と不思議なことでしょう。

 是で見れば、彼の遺言書は露国士官の手に在るのではなくして、今井兼女の肌身に在るという事は、最早や疑う所はありません。是から私と角三の競争は、何の様に成って行くのか分かりませんが、ここに非常に奇妙な事があります。と云うのは、第一号乗客自称陸軍士官梶田なる者の挙動です。

 彼は背が高く、色は黒くて上等士官の様に見えますが、私は初めからその眼を好みませんでした。人の顔を偸(ぬす)み見る非常に危険な癖を備えて居ます。此の癖は警視総監穂内が直轄する探偵に多い事は、前から私が知っている所なので、是も或いは探偵ではないだろうかと、私は第一に疑いました。

 特に此の人は栗山を怪しい奴と認めたのか、私の話を聞く振りして、実は栗角の顔を眺め、栗角も又私の方を向きながら、実は此の自称士官を眺めて居ます。私の一身は、実に二人の目と目の盾となっています。察するに此の二人は、初対面の様で実は初対面では無い様子です。

 互いに恐れる所があって、又互いに憎む所があります。上辺にこそ見えませんが、腹の中の戦争は非常に激しい物があります。彼等二人が互いに本性を見破ろうとして、互いに苦しめ合って居ます。様々の悪戯(いたず)をしている事は一々記す事が出来ない程です。

 その中でも自称士官は、多く攻め手に廻り、栗角は受け身の位置に立っています。或時は栗角が馬車の背後から遅れて来るのに、自称士官は、馭者に向かい、栗角は既に先へ行って居ると云い、栗角を迷子にした事があります。私も栗角が私より一日遅れてペリゴーに着けば好いと思う際なので、無言で自称士官のする儘(まま)に任せて置きました。

 しかしながら栗角も中々左る者です。何処かで馬を雇い、暫時にして追付きました。この様な有様なので、長い道中も別に苦になりません。柳條君よ。私は未だ自称士官の目的を知りません。彼口には近衛の軍馬を買い集めに行くと云っていますが、栗角と争う所を見れば、それだけの目的では無いようです。

 真逆(まさか)に、彼も同じく今井兼女に逢おうとする者ではないでしょうが、何しろ合点の行かない奴です。彼等若し相憎むの余り、互いに喧嘩でも初めて、差し違えるに至ったならば、私は此の上もない仕合せです。兎に角も私は二人の胸中を充分に探ろうと思うので、益々馬鹿になり聾(ろう)になり、彼等を油断させます。

 彼等は私を以て、ペリゴー地方の事に非常に明るい者と思い、内々隙を見ては、種々の事を問おうとします。その度に非常に大きな声を出すのは些(ち)と五月蝿いけれど、私が聾(ろう)を真似ることが、此の様に巧みになったと思えば、又一興です。

 彼等は一日一日に、益々争いを募らせる様子ですが、私は又一日一日に彼等の気に入りとなって行きますから、今に彼等の腹心となり、彼等から秘密の相談を受けて、反って我が利益を得る事となるでしょう。今は三人とも同じ宿に在り、栗角も二、三週間逗留すると云い、自称士官も二、三週間逗留すると云います。

 私は既に、是からの活動する方角を定めました。幸い此の宿の主人は、近傍の事を良く知っているので、食後之に逢って、それとなく問い糺(ただ)せば、兼女の居所は必ず分かるでしょう。栗角も直ぐに兼女の居所を知るには相違ないけれど、彼の顔は、私の顔ほど正直相に見えないので、兼女に信じられるまでには、多少の時節を要することでしょう。

 私は幸い、誰にでも信じられる人相である上、君から渡された、飾り物があります。之を兼女に示せば、兼女は一目見て、直ちに私が誠なることと、栗角の偽りなることを知るでしょう。柳條君よ、委細は後から書き送ります。上田栄三にも瀬浪嬢にも、私の為に宜しくお伝い下さい。以上敬白。
                                  ペリゴーにて
                                                     町川友介
    柳條健児君


次(第三十七回)へ

a:384 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花