巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第四十一回 困惑する柳條

  老白狐を活埋(いきう)めにした彼(あ)の穴から出て来て、元老白狐が住んで居た家に入る此の男、果たして何者なのだろう。柳條は怪しくて仕方が無かったが、此れ以上調べる手段は無かった。きっと老白狐と同様な国事探偵ででもあるのだろうと、此の様に思い付くと、柳條は急に我が身の危うさを知った様に、
 「ここで愚図愚図するよりは、引っ越す所を先きに見出すのが肝腎である。」
と、此の所を立去って、何所か貸間の看板は無いかと、右左を眺めながら一直線に半町ほど進んだ折りしも、遥か背後に当って騒がしい音が聞こえて来たので、振り向いて見ると、数多の騎兵が一個の立派な馬車に従い、驀地(まっしぐら)に此方(こなた)へ駈けて来るその音であった。

 是れは問う迄もなく、国王の巡回と思われる。遣り過ごそうと道を避けて待つ中に、騎兵の一群れは国王の駕と共に矢を射る様に馳せ去った。その後から唯一騎遅れ馳せに駆けて来る近衛士官は、慣らして居ない荒馬に乗り、意のままに進む事がで来ない者と見える。

 馬が逸(はね)るのを抑(おさ)えようと、様々に術を尽くしたが、抑(おさ)えれば益々跳ね揚がり、正常に戻そうとするとすれば愈々(いよいよ)逸(そ)れる。流石の士官も殆ど持て余した様子である。柳條は見るとも無くその顔を見上げると、是こそ曾(かつ)て栄三が家で逢った事のある、我が恋の敵、馬平侯爵である。

 憎い顔と思うので今もって忘れていない。侯爵も同じく柳條の顔を見て、今も覚え居る様に、ハッと驚く様子が見えたが、その機(はず)みに手許が狂い、馬は忽(たちま)ち荒れ猛り、奔雷(ほんらい)の勢いで駆け出した。見る間もなく向こう手にある橋の袂(たもと)に躓(つまず)いて、横様に仆(たお)れると、侯爵は鞍から投げ出され、真逆様(まっさかさま)に大地に落ちた。

 下は石で敷き詰めた所なので、侯爵は余程の怪我を受けたに違いない。早や前額から血潮が流れるのを見る。柳條は之を見て気味好しと思ったのは少しの間で、直ぐに天然の本心が現れて来て、敵ながらも知らない顔には見過ごす事が出来ないと、渋々その傍に進み寄って手を掛けて抱き起す。

 アア世に是れ程迷惑な事は無い。迷惑でも仕方が無い。通り合わせたのが不運と断念(あきら)め、我膝に引き上げると、全く気絶して居た。若し此の所を巡査にでも見つけられ、飛んだ疑いでも受けてはと、空しく辺りを見廻したが、我為に証人となるべき人は居ない。誰か来て呉れないかと、立ち上がると此の時忽ち我背後に声あって、

 「貴方その怪我人を捨てて行っては了(い)けません。」
と云う。
 「ナニ捨ては仕ません。」
と云いつつ振り向いて見れば、見も知らない男なれど、何とやら先程彼の穴から出て湖南街十三番地に入った男に似ている。その男の顔も見て居ず、又その時とは衣類も違って居たが、背恰好はそのままである。

 彼れが若し家の内に居て、我が立ち去る所を覗いて居て、此の有様を見た爲に直ぐ様着物を着替えて飛んで来たのではないかと思う様な心地がするが、確かにそうだとも言い難かったので、徒(いたずら)にその男の顔を見詰めて居ると、その男は鋭い声で、
 「貴方私の顔ばかり見て居ても仕方がないでしょう。」
と云う。

 柳條は據所(よんどころ)なく、
 「爾(そう)ですがーーー」
 其男「爾ですがではない。早く馬車へ乗せて、此の士官の屋敷まで届けようではありませんか。その積りで私は馬車まで呼んで来ました。」
 見れば成るほど何時の間にか馬車もあり、何と手廻しの好い男ではいか。柳條は呆れて物も言えなかった。

 男「此の方は貴方の知り人ですか。」
 柳「イエ全く知らない人です。」
 男「知らない人なら手帳を見れば分かりましょう。」
と早や侯爵の衣嚢(かくし)を探る。その素捷(すば)しこい事、その道に慣れている葬儀師の手代でなければ、必ず第一等の探偵に違いない。柳條は薄気味悪くなり、程よく外して身を避けるのに越したことは無いと思い、

 「貴方が馬車まで雇って下さったのは、何よりの幸いです。馬車賃は私が払いますから後の始末を貴方に願います。」
と逃げ支度の口上を彼は中々承知せず、
 「イヤ爾(そう)は了(い)けません。」
 柳「でも私は急ぎの用が有りますので。」

 男「私も用が有ります。お互いに不運と断念(あきら)めるより外はありません。ナニも貴方が馬から突き落した訳ではなく、馬が躓(つまず)き独り落ちた事は私が証人ですから、貴方は恐れる事はありません。私と一緒に行きましょう。若し私し一人になれば、疑われた時私が何と言い開きが出来ましょう。」
と道理ある言葉に背くことも出来ず、その中に彼れは早や侯爵の衣嚢(かくし)から数枚の名刺を取り出し、

 「分かりました。馬平侯爵です。早速二人で送りましょう。」
と云いつつ立ち上がって馬車を呼び、
 「サア此の怪我人を載せて呉れ。」
と云うと、馭者は逡巡(しりごみ)して、

 「イヤ先アお断り申しましょう。唯の人なら載せますが怪我をした士官では、先日も痛い目に逢いました。馬車の中を血だらけにされた上、その筋から疑われ、何でも馬車の中で人殺しがあったに違ひないと言って一週間も調べられました。」
と怪しい馭者の言い分に、柳條は若しやと思い、その御者の顔を眺めると、薄々と見覚えがある。

 先の夜独逸士官と決闘した、その馬車の馭者であった。馭者も怪しそうに柳條の顔を眺めて居る様だ。件の男はそうとは知らないので、
 「ナニその様な事がある者か。巡査が咎めれば俺が何とでも言い訳して遣る。」
と無理に馭者を説き伏せ、馬平侯爵の身体を馬車に積み、柳條に向かって、
 「サア一緒に乗りましょう。」
と云う。柳條は殆ど針の山に上る様な心地がしたが、だからと言って、逃れる道もない。止むを得ず共に馬車に乗った。抑(そもそ)も此の男は何者だろう。


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