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kettounohate19

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ作  涙香小史 訳述

       第十九回 競り落とした机

 「二百五十圓と零十銭」
 古い象牙の机をこれほど競り上げるのは、深い仔細が無くては叶わない。
 或いは机の中に人の知らない隠し場が有って、之に大切な品でも入れて有るか、それで無ければ彼れ古山禮造が、これ程まで所望する筈は無い。我も今まで競り上げたのを、此の上に如何ほどまで昇るとも、豈に阿容々々(おめおめ)と止む者ならんや。たとえ我が財産を傾け尽くすとも厭(いと)わないと、小林康庵は殆ど夢中に成り、

「三百圓」
と叫んだ。此の声に件の古道具屋は少し驚き、我が一存では値を競り上げられないと思ったか、後ろに振り向き、古山に相談する様子だったが、其の間に呼び上げ人はここ等が見切り時と見て取って、
「それでは三百圓で落とします。」
と合図の槌を以て台の上を叩いた。

 この槌(つち)一度下る時は、後で如何に値を附けても、その甲斐は無い。彼の古道具屋は三百と零十銭と声を掛けたけれど、今は是れ後の祭りである。呼び上げ人は小林に向かい、
「何うか書記の許へ代価を払い、この机をお引き取りなさい。」
と言い捨て、直ちに他の品の呼び上げに掛かった。」

 小林は衣嚢(かくし)から八十圓の切手四枚を取り出だし、之を倉場嬢に与えて、
 「サア是で書記局へ行き、お前の家まで持って行く費用も払えば好い。残りはお前の手の傷の治療代に遣るから。」
と言うと、嬢は愛らしく顔の笑み頽(くず)れるほどに打ち喜び、

  「本当に済みませんよ。此れほど附け上がる事とは知らず、もうこの嬉しさに手の傷は忘れて仕まいました。」
 小「イヤその様な礼など言うには及ばない。事に寄ると、今の古道具屋かその外の人が、四百圓も出すから売って呉と言うかも知れないが、何と言っても売らない様に。」

 嬢「イヤ折角貴方に買って戴いた品ですもの幾等この上の値を附けられたとしても、何うして他人に売りましょう。」
 小「イヤそればかりでは無い。実は私も少しアノ机を検めて見度いと思う事が有るから、大事にして持って帰り、誰にも見せない様に仕舞って置いて貰おう。今夜か明日の中には私がお前の家へ行き、充分に検めて見るから、其の上は何うともするが好いけれど、それまでは、お前の品でもお前の自由にしては成らない。承知かえ。」

 嬢「よう御座いますとも。それでは書記に払い、直ぐに私と一緒に宿まで運んで貰う事にしましょう。嬢はそれでこの競売場の片隅に在る書記の所へと進んだが、小林はその間に出口に行き、暫く佇立んで待つ中に、嬢は払いを済ませて出で来て、
 「何うも皆が私を褒めますよ。アノ机を三百圓で買うとは目が高いと言って。」

 小「それは誉めるのぢゃ無い。冷やかすのだ。」
 嬢「イヤそうでは有りません。それに又貴方の仰った通り、古道具屋が来て、直ぐにお金を渡すから四百圓で売って呉れと言いました。それから又立派な紳士が、お前は何処の芝居へ出て居ると問いましたよ。」
 小「立派な紳士とはアノ競売場(せりば)の傍に立って居た、色の赤い紳士だろう。」

 嬢「アアそうです。そうです。」
 色の赤い紳士とは彼の古山禮造である。彼はこの机を他人に買い取られたのを残念に思い、嬢の出る芝居を聞いて置いて、事に托して嬢の宿を訪い行き、机の中を検めんと思っていることは必然である。
 「先ア、誰が何と言っても、此の机は大事にして仕舞って置いて貰おう。」
 嬢「それはもう大丈夫です。今夜でも明日でも、お暇が有ったら入らっしゃいよ。」
とこう言い捨てて、嬢は机を運ぶ人足を後ろに従え、我が家を指して帰って行った。

 小林はその後を見送って、
 「アア、高い者を買ったぞ、是もアノ決闘から古山を疑い染まった爲だが、決闘ほど高く附く者は無い。是から乗馬市場へでも行って、美人の顔を見て来ようか。」
と言いながら是も又この所を立去った。

 抑(そもそ)も乗馬市場と言うのは、巴里府で馬車に乗る以上の紳士貴夫人の集う所で、自ら馬を買おうと思う人は言うに及ばず、馬買う人に見初められようと願う人まで、我先にと寄って来て、その賑やかなことは言いようもないほどだ。

 小林は良(や)やあって市場に着いたが、右左を見廻すうち目に止まったのは、親友の大谷長寿である。大谷も目早く小林の姿を認めて近づいて来て、
 「イヤ春村夫人の塀の外で分かれてから、今逢うのが初めてだが。」

 小「そうサ、君はその後倶楽部へも見えないから、きっと桑柳の財産処分に忙しいのだろうと思って。」
 大「イヤそうでも無いのサ、桑柳の財産処分は、僕も自分で引き受けなければ成らない事に成るだろうと思っていた。所が肝心の遺言状を、桑柳が何所へ仕舞ったか分からないので、遠類の者等が田舎から出て来てサ、寄って集って分け取る事に成った。」

 小「しかし遺言状の仕舞い所が分からないとは、奇妙じゃ無いか。」
と言う此の問いに応じ、大谷は彼の弾丸で大事な一字を射貫いた事を語ると、小林は、若しや今三百圓を擲(なげう)って買った彼の机が、桑柳の所持品にして、その中にその遺言状を入れてあるのを彼の古山が嗅ぎ知って、探して居るのでは無いかと思う心が胸中に浮かんだけれど、固(もと)より古山が桑柳の遺言に気を留める筈が無いので、自ずからこの考へを打ち消した。

 この様な所へ又歩み来る貴夫人は即ち森山嬢の伯母に当たる福田老夫人である。老夫人は大谷に向かい、
 「貴方この頃少しもお出でに成りませんネ。森山嬢も先日から春村夫人に引き取られたのも同然で、少しも私の許へは来ませんから淋しくて成りません。些(ち)と又何うか。」
と言い捨てたまま、気の早い性質(たち)と見え、後をも見ずに立ち去った。

 此の所へ引き違えて歩み来る二人の女がある。是れ恋知らずと自ら名乗る彼の春村夫人と桑柳の許嫁である森山嬢である。夫人は先ず大谷に向かい、
 「先夜物騒な話しをしてから、貴方が一度もお見えに成らないから、今日はお宅まで伺う積りで居ました。その時に話し申した通り森山嬢に座敷の飾り画(絵)を頼み、嬢は毎日書いて居ます。」
と言うと、嬢は唯だ恥ずかし気に首を垂れ、大谷の顔を偸(ぬす)み見るばかり。

 大谷は傍に居る小林を、夫人と嬢とに引き合わせると、夫人は更に両人(二人)に打ち向かって、
 「大谷さんも小林さんも、明日は中食の小宴を開きますから、是非お出で願ます。実は裏庭へ拵(こしら)へて居る離れ座敷が、大方出来あがりましたから、お見せ申し度いと思います。世に有り触れた離れ離れ座敷と、少し違う所も有りますから、貴方がたは見て喫驚(びっくり)なさらない様に。」
 
 この言葉を聞き、森山嬢は私(ひそ)かに、明日又大谷の顔を見るのを嬉しく思う様に、又小林は夫人の裏庭に行き、彼の本多満麿が忍び入った裏門の内を、検める機会(おり)の到来したことを喜んで居るようだ。
 夫「お二人とも必ずお待ち申しますよ。」
と夫人は念を推して立ち去った。



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