巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述
         

      第二十四回 嬢への疑惑

 大谷長寿は春村夫人と婚礼の約束を定めた翌日、独り我が居間に閉籠り、人知らず我が身の楽しさを噛みしめて、熟々(つくづく)と味わった。噛みしめるほど更に楽しみの味を増す。世にこれほどの楽しみは無い。テーブルの上に一通の手紙がある。開いたままで畳もしない。

 長寿は之を読んでは、その楽しみを噛みしめ噛みしめては、又読み返した。此の手紙は誰が送った者だ。是れは春村夫人が今宵婚礼の披露を兼ね、小林康庵をも引き連れて、三人一緒に芝居を見物しようとの案内状である。長寿が繰り返し読み返してもまだ飽き足らないのも無理は無い。

 この様な所へ取り次ぎの者が入って来て、彼の小林康庵が尋ねて来たことを伝えた。小林ならば逢っても好い。彼は我が身の楽しみを知る者なので、その幾分を分け与えよう。早速是へ通す可しと命じると心得て引き退ぞいた。引き違えて小林は敷居の外から機嫌好く、
「君奢(おご)らなければ済まないぜ。君が厭(いや)と言う者を、無理に勧めて僕が連れて行ったから、婚礼の約束も出来たのだ。若し君の初めに言った通り、昨日の昼餐の案内を断ったなら、夫人は立腹して、再び君に逢わない様に成ったかも知れない所サ。」
と言いながら入って来て席に就き、更に言葉を続けて、

 「時に君、昨日アレから公証人の所へ行って、何か意外な事でも分かりはしなかったか。」
 大「イヤ別に意外な事も無いが、唯不思議なのは桑柳の遺言状サ。全体誰が送って来たか一向に分からない。」
 小「僕もその点を研究する積りで来たが、第一君に問わなければならない。若し桑柳の所持品はもう公売に附したで有りうネ。」
と問う。

 その心は、若しや彼の三百圓まで競り上げて、倉場嬢に買い与えた象牙の机が、桑柳の所持品ではないかと疑っているからである。」
 大「昨日公証人の話には、一昨日競り売りに附したと言う事だ。僕は熟(よ)くも聞かなかったが、不思議な事も有る者で、象牙の机が三百圓に売れたとか。公証人は来る人々に話して居たっけ。」

 小林はさてこそと我が推量の当たった事を喜び、
 「それサ、僕の問うのもその象牙の机だ。君は桑柳の生きて居る時分にその机を見た事が有るだろう。」
 大「有るとも、桑柳は自分の寝台の傍へ置いて置いたのだもの。しかし君は何故其様な事を問うのか。」

 小「イヤその訳は後で言う。先ず君の知って居るだけの事を聞かせ給え。アノ机には普段何の様な品を入れて有った。」
 大「確かには分からないが、何でも大切な書類が入れて有ったと思う。何故と言うにアノ机は、或る時桑柳が僕に話したが、死んだ叔父の遺身(かたみ)に貰い、その時脚が毀れて居たのを、森山嬢の細工で更に付け直したと言う事で有った。嬢の細工と言うので桑柳は何よりもアレを大切にして居たのサ。」

 小「君は若しアノ机の中へ、桑柳が遺言状を入れて置いたとは思はないか。」 
 大「イヤ僕もそう思って、第一にアノ中を検めて見たが、入って居なかった。その中に田舎から大勢の親類が出て来たので。」
と言い来たって大谷は忽ち何事をか思い出した様に、

 「イヤ大変な失策をした。そうだ。そうだ。事に由るとアノ中に入って居たかも知れない。
 実はアノ机の脚に秘密の引き出しが有ったのだ。それも矢張り嬢の細工だと言って、桑柳がその手際を誇って居た。僕はその事を悉皆(すっかり)忘れて居た。爾々(そうそう)此の秘密の引き出しは、嬢と己の外は誰も知らないから、二人の間に関係する大切な品だから入れるのだとこう言ったよ。」

 小「それで見ると、僕の鑑定通り遺言状もアノ中に在ったのだナ。」
と小林は是より一昨日競売場(せりうりば)に於いて、古山禮造と競争し退くに退かれない意地となって、自ら三百圓を投じ倉場嬢に彼の机を買い与えた事を話すと、大谷は訝(いぶか)しそうに、
 「併しそれにしても合点が行かない。古山禮造がアノ机に秘密箱が有る事を知る筈も無し。たとえ知った所で桑柳の遺言状などに目を附ける筈も無いから。」

 小「そうサ。けれども誰か桑柳の遺言状を手に入れ度いと思う人に頼まれたかも知れない。」
 大「だって誰も桑柳の遺言状を欲しがる者は無いだろう。アノ遺言状を世に現わして利益を得るのは、差し当たり誰だ。」
 小「森山嬢よ。」

 大「でも君、森山嬢は遺産を受けないと言っているじゃないか。何も大金を捨てて遺言状を求める筈も無い。」
 小「そうでは無いよ。譬えばアノ遺言状が無くなれば、誰も嬢の心の清い事を知らないけれど、アノ通り出て来て、その上で断れば世間へ心の清さが分かると言う者だ。」

 大「それでは何かエ、君は森山嬢が自分の心の清い所を見せ度いばかりに、古山禮造に頼んでアノ机を買い取らせに掛かったと言うのか。」
 小「イヤそうは言わないけれど、アノ秘密箱の引き出しを、嬢から外に知った者が無いとして見れば、何か嬢の関係して居る事と思うより外は無い。尤も嬢と古山禮造と懇意にする筈は無いけれど、古山が又大金を捨ててアノ箱を欲しがると言う筈は猶更ら無いだろう。

 如何考えても不思議ばかりだ。僕は余計な世話だけれど、決闘より以来、合点の行かない事ばかり有るので、何うにかして此の事件に関係する密事を、残らず調査し尽くし度いと思うのだ。森山嬢にしても不思議の一つだ。昨日も篤(とく)と様子を見ると、嬢は誰かを愛して居るに違いない。

 桑柳の許婚で居ながら、他人を愛すると言うのも奇妙だけれど、昨日春村夫人が君と婚礼の約束が出来たと言って披露した時などは、余ほど嬢の目付きが変で有った。僕はそれや是やにより、嬢が身にも不審を置き、密かに不思議嬢と綽名を附けて有るのだ。疑ひ出して見ると何から何まで皆不思議だ。」

 大「僕は何も不思議とは思はないが、君それほど不審なら、その倉場嬢に逢って聞いて見るのが一番早いだろう。」
 小「そうさ、倉場嬢に逢い、じっくりとアノ机を検め、更に誰か後に机を見せて呉れと所望した者は無いか、それ等の事を聞き度いと思い昨日も嬢の許を尋ねたけれど、嬢は居ない。取り次ぎの者に聞いて見れば、立派な紳士に連れられて出たと言うし、此の紳士が若しや机の脚の秘密箱に目を附けて居るのでは無いかとも疑われる。

 今日も実は嬢の所へ行く積りで家を出たが、少し時刻も早いから君の所へ寄ったのだけれども、こう言う中にもう好い時刻と為ったから、今ならば嬢も家に居るだらう。君は先ず一人楽しみを味わいたまえ。晩に又芝居でも逢う事にして、之でお暇(いとま)にしよう。」
と小林は前に入って来た時と同じく、機嫌良く立ち去った。

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