巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

kettounohate26

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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    決闘の果   ボア・ゴベイ作  涙香小史 訳述
         
    第二十六回 盗んだのは本多だ

 倉場嬢に逢う爲め、公園に入った小林康庵は、或いは本多満麿が怪しい夫人の馬車に乗り、去るのを見、或いは春村夫人が大谷長寿と共に、仕立て屋から帰るのに逢ったが、我が目指す倉場嬢は来る様子もなかったので、何時まで待っていても無益と見て取り、一層の事、是から二、三の患者の家を廻り、再び嬢の家を問う事にしようかと、ここで漸く考えを変え、二時間の約束で、近辺に在る空馬車を雇い、乗り込んで立ち去ろうとする折しも、来た来た倉場嬢、日頃よりも非常に華美に着飾って、我が物顔に借馬車に打ち乗り、仰々しくやって来た。

 取分けて嬢は己が馬を御するに巧みを示そうとして、唯一人で馭者をも附けず、手ずから手綱を操って、更に馬の疲れをも構わず、続け打ちに鞭を当て、一散に公園を横切り去った。その危い事と言ったら言いようが無かった。

 小林はそうと見て声を上げ呼び留めたが、悲しいことに嬢は揺り落とされまいとする一心で、その声は耳にも入らない様子だったので、小林は自分の馭者に向かって、
 「あの走って居る馬車の跡を、何所までも尾けて呉れ。」
と命ずると、馭者は心得てその後を追い始めた。

 嬢は何処から何所に行く目的なのかは全く分からない。或いは右に折れ或いは左に廻り、又或いは廻り廻って元の道に再び出るなど、殆ど狂気の沙汰である。馭者は之を見てその仔細を悟ったのか、

 「旦那、アノ乗り手は持て余して、馬車屋まで返しに行く積りですけれども、無暗に手綱を引くから馬が外へ反れるのです。
此の先に馬車屋が有りますから、其処へ行って待って居れば遅かれ早かれ参りましょう。此の通り正直に後を尾けて、此方(こっち)の馬を疲れさせるのは無益です。」

 小「イヤ夫れでも先ず正直に尾けて行け。アノ乗り様を見るだけでも一円の値打ちがある。」
と笑いながら従って居たが、嬢が馬車は凡そ近辺の町々を経廻り尽くしたかと思う頃、漸く馬車屋の前に出た。馬車屋の者は此の有様を見て飛び出して来て、その馬車を抑えたので、嬢は汗を吹き吹き降り立って、代価を払う様子である。

 小林はそうと見て、同じく馬車から降り、嬢の方へと進んで行くと、嬢は小林の顔を見て、
 「オヤ先(ま)ア貴方が如何してここに。」
 小林「お前の乗り様が余りに上手だから、見惚れてここまで従(つ)いて来たのサ。」

 嬢「初めてにしては旨い事でしょう。」
 小「そうだな、彼(あ)れほど旨くて人を引き殺さないのが不思議だよ。先ず冗談はさて置いて、昨日からお前に逢おうとして、幾度尋ねて行ったか知れない。」
 嬢「そうだったと取り次ぎの者から聞きましたよ。」
 小「聞いたら何とか言い置きでも仕そうな者じゃ無いか。」

 嬢「そう出来ない訳が有ったのですよ。之から家へ帰りますから貴方も入らっしゃいな。道々その訳を話しましょう。」
 小「好し来た。幸い馬車を待たせて有るから、直ぐに乗って行こう。」
と言って小林は嬢と共に馬車に乗った。
 
 嬢「今の様な早い馬車から、この様なのへ乗り移ると、何だか緩(のろ)くて自烈(じれった)く為りますよ。」
 小「ナニ今のは自分で手綱を取ったから早い様な気がしたのサ。それは先ア何うでも好い。差し当たり聞きたいのは、アノ象牙の机を何うか仕やしなかったか。」

 嬢「何うしますものですか。大事に床の間へ飾って有りますワ。あれはね本当に縁起の良い机ですよ。内へ持って来ると直ぐにお客が一人殖えました。それも私などには勿体ない様なお客です。」
 お客とは耳寄りである。此の客が或いは遺言状を取り出したのではないかと小林は早くも疑いを起こし、

 「何したお客だ。」
 嬢「外国の紳士です。競売場で私を見初めたと言って、三時間も経たないうちに尋ねて来ました。」
 競売場ならば我と競争を試みた古山禮造ではないだろうか。
 小「アノ古道具屋の背後(うしろ)に居た目のクリクリした紳士じゃ無いか。」

 嬢「イヤあの方とは違います。競売場で私の目には留まりませんでしたが、先では私を見たと言います。」
 若しや是れ本多満麿にでは無いだろうか。古山自ら来たのでは、我に疑われる恐れがあるので、本多を代わりに使ったのかも知れない。

 小「それでは背の非常に高い、色が黒くて私の様な髯むしゃで、私より少し顔の長い。」
 嬢「そうですよ、貴方より顔が長くてーーーー。ですが貴方は何して知って居ます。」
と問い返す。是から見れば、客とは愈々(いよいよ)本多満麿である。実に怪しいき限りだ。

 小「その訳は何うでも好い、それからその人は何をした。」
 嬢「日の暮れるまで世間話しをして居ましたが、本当に話上手です。女の気に入る事ばかりを申しますの。」
 小「それから」
 嬢「日が暮れて私を料理屋へ連れて行って、私の一寸立った間に皿の下に二十五圓敷いて有りましたよ。」
 小「二十五圓敷いて呉れると成る程好い客だ。」

 嬢「その後でどうしても私の音楽を聞きたいと云うから、又連れ立って帰りましたが、何を唄ってもそれでは了(いけ)ない、是にしろと私の知らない者を好むのです。大事な客ですからそれでは音楽に詳しい友達を呼んで来ますと、自分でその友達を呼んで来て遅くなるまで音楽を聞かせました。

 帰ったのは一時頃でしょう。私は大旅館に泊まって居るから、明朝は早々と来ると約束しましたが、夜が明けても来ないのです。何した事かと尋ねて行ったら、大旅館にその様な人は居ないと言います。是非もう一度逢い度いと思い、昨日も今日も馬車を借りて方々を乗り廻しましたけれど、未だ逢えませんがーーーー。」

 小林は益々その客を本多と信じ、
 「お前はその顔を充分に覚えて居るかのか。」
 嬢「居ますとも。千人の中でも見分けが附きますワ。」
 小「それなら追々探す事として、私はそれで一応アノ机を見度いと思うが。」

 嬢「それはお易い事ですアネ。家へ行けば直に見られます。」
と言う中に馬車は早や嬢の宿へと着いたので、小林は先に立って嬢の部屋に進み入り、彼の机を取りだして逆さに置いて、足の裏を調べると、果たして秘密の引き出しがあった。開くと中から書類の帯封と見える紙が出て来た。

 今は疑う所無し。是れは遺言状の帯封である。彼れ本多満麿は態(わざ)と音楽を貪り、嬢がその友達を呼びに行った後で、遺言状だけ盗んだのである。嬢はそうと見て打ち驚き、オヤオヤ脚の裏に秘密の引き出しが有りましたか。アアその帯封は必(キッ)と銀行手形を巻いて有ったのだ。それを知ってアノ客が盗んだのだ
 そう言う深い謀(たくら)みが有ったから、アノ二十五圓を呉れたのか。エエ悔しい。」

 「今度若し逢ったなら、何所までも尾けて行き、その入った家を認めた上で直ぐに私迄知らせて貰おう。当人を見た上で、愈々私の思う人なら充分腹の虫が治まる様にして遣るから、」
 嬢「では銀行手形も帰りますか。」
 小「イヤ銀行手形が入って居たか外の品が入って居たのか、それは分からない。兎に角私に知らせる方が警察に訴えるより得になるから。」

 嬢「それでは必(きっ)と知らせます。酷い目に逢せて下さいよ。」
 小林は、
 「好し好し」
と承(う)け合って別れて去ったが、最早本多満麿の仕業出ある事は疑いないけれど、本多が何故に森山嬢の事に手を出すのだろう。

 森山嬢と本多との間に、今まで我が知る事が出来ていない関係でも有るのだろうか。小林はここに到って、不審の心が益々募り、どの様にしても、その仔細を見破ってやると堅く決心した。

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