巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou10

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.21


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        第十回 二人の協定

 運を天に任せて決闘し、一人は死し一人は残り、其の残る一人が夫人を専有する事にしようとは、誠に分かりやすい言い分であるが、茂林は簡単にはなかなか返事する様子は無く、黙然と考えた末、ゆっくりと首を上げ、
 「君の考えはそれだけか、詐(いつわ)りを以て殺し合うか、将(は)た又文明的に公平な決闘を以て殺し合うか、この二つより外には無いのか。」
と問返した。

 「ウム、外には無い。君と僕と恋の敵と為り、敵同士の積りで競争する手段は是ばかりだ。」
 「若し敵同士と云う積りを捨てれば。」
 「ウム、そうすれば親友と云う心を以て競争するのサ。」
 「其の仕方は。」

 「外では無い。両人とも実直に夫人の言葉を守り、互いに恋の敵と云う事を忘れ合い、少しも隠したり詐(いつわ)ったりする考えを捨て、真に紳士と云う心掛けを以て、友好のうちに此の旅行を終わり、そうして夫人が何方(どっち)を取るか、神妙に夫人の判断に服するのサ。」

 茂林は何の思案にも及ばず、
 「無論僕は其の方を取る。立派に紳士の面目を維持し、互いに友人の親切を尽くし合って、そうして夫人の好き嫌いに任せるのが、此の旅行の眼目だろうと思う。」
 「では詰まり、敵同士競争と云う手荒い手段は捨て、唯だ親友同士の旅行だネ。」
 「そうだ。」
と穏やか答えたけれども、決して決闘を恐れるなどの臆病な根性では無い事は、その顔色に明らかである。

 此の返事を聞き、平洲も寧ろ満足の様子で、何れも何方(どっち)かと云えば、敵同士の方を捨て、親友同士の方を取るのが本望だ。依ってここで先ず此の両人は負けても勝っても生涯睦まじくすると云う約束の為め、改めて親友の義を結ぼう。」

 「至極賛成だ。」
と双方から同時に手を伸ばし、堅く握り合ったが、是より両人は真に兄弟の間でさえも無いほど打ち解けた様子で、非常に嬉しそうに顔を見合わせ、やがて平洲は、

 「親友としても旅行中の事に付いて、一応ここで決めて置かなければならない事が有る。」
と云い、手帳を取り出だし、悉(ことごと)く筆記した上、更に両人の熟慮で彼れ是れと訂正し、愈々定まったのものは、下の様な内容だ。

 ▲此の度の旅行は、芽蘭(ゲラン)夫人の意を承(う)け、両人中どちらが最も賞賛すべき心と行いとを現わしたかを、見比べることに在るのも同様なので、唯だ善い行いと、善い心とをのみ多く現わそうと競争すべし。
 夫人の心も全くこれに在るから、決して競争を善心善行の外に及ぼさないようにする事。

 ▲旅行中、若し夫人の心が両人中の一方に傾く時は、その者は即ち勝利を得たる者であることを以て、競争の目的は終わりたる者と心得るべき事。
 ▲両人中の一方、自ら確かに夫人の心を得たと認める時は、必ずその次第を相手に向かい打ち明けるべき事。決してその幸いを自分の心中に押し隠し、相手に何時までも空頼みを抱かしめ、又は無益の競争に労(ろう)せしめざる事。

 ▲一方、既に夫人の心を得て、その旨を相手に打ち明ければ、相手は念の為めその実否を見届けることを得るとは雖も、真にその事実なるを見認めたる上に於いて、更に未練、又は嫉妬をを起こす可からず。男らしく断念(あきら)めて、綺麗にその場を立ち去り、独り本国に帰り、勝利者と夫人とをして邪魔物無しに、愛の旅行を続けさせるべき事。

 ▲途中にして、両者ともに確かに夫人の愛を得たと云う手応えが無い時は、仲良く旅行を終え、其の上で矢張り未練無く、嫉妬無く、綺麗に夫人の選り取りに服従すべき事。

 非常に快く是だけの約束を定め終わって、愈々二人が分かれ帰る事と為り、
 「では茂林君、鳥尾医学士の代わりに引き連れ行く医者殿は、君が引き受けて斡旋するか。」

 「勿論だ、今日から二日の中にその人を君にも夫人にも引き合わせる。」
 この様に言って茶亭を出で、気も軽そうに、右左へ立ち分かれたが、やがて茂林は我が家の入り口に到り、
 「アア意外に夜が更けた。与助ももう寝て仕舞ったろう。」
と呟き、強くその戸を打ち叩くと、宛(あたか)も待ち受けて居た様に、早速内から戸を開けて迎えたのは、年卅五、六歳になる與助と云う下僕である。

 茂林は驚いて、
 「未だ眠りもせずに居たのか。」
 與「ハイ貴方様のお帰りを、今か今かと待って居ました。」
 「何で待つのだ。」
 與助は少しの澱みも無く、

 「何うか私も、アフリカへお供をさせて戴き度いと思いまして。」
 茂林は又驚き、
 「俺がアフリカへ行く事が何して分かった。」
 「此の四、五日、貴方様がアフリカの地理書や、旅行記を仕切りにお調べなさるので。何事かと思って居ますと、昨日今日はもう逢う人毎に、お前の主人は何時アフリカへ出発するかなど聞かれます。貴方の旅行は世間で皆知って居ます。」 

 「アア一寸と倶楽部で話したら、早や世間へ噂が立ったのか、併し與助、貴様の様な臆病者でーーーー。」
 「イエ、臆病では有りません。先年貴方に雇われる前、一度アフリカへ旅行して、三年も其の地に居ましたから、地理も風俗も良く知って居ます。ハイ私をお連れなされば、何れほど途中で便利だかも知れません。」
と熱心に願う様は、容易に思い止まる様には見えない。



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