巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou101

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

since 2020.7.23

a:207 t:1 y:0


下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

 

        第百一回 芽蘭男爵の独白

 真に余は如何にして助かる事が出来たのだろうか。それに余が四ケ月も人事不省に過ごした其の病は、何だったのだろうか。思うに「タイホイド」に類似した一種の熱病で、アフリカ内地を旅行する他の旅客が、時々罹かっていたものと同一の病で、唯だ其の経過が長い者なのに違いない。

 病気中、時々此の小屋の住人である廃疾の老黒人が余の頭邊(まくらべ)に来て、酒の様な飲み物を以って、熱い余の唇を湿して呉れたように記憶している。察するに老黒人は、余が死人として路端に捨てられたのを拾い上げ、長の病中を介抱して呉れた者に違いない。
 
 残忍酷薄であるドモンダ人の中に、如何(どう)してこの様な慈悲を知る一人が存したのだろうか。多分は彼れ自らが廃疾であって、身体の働きが充分ではなかったので、己が身に比べて人の不幸を憐れむ気を起こした者か。孰(いず)れにしても余の為には命の親である。
 余は到底この老黒人に此の恩を返す事は出来ない。唯だ心に彼れが此の後に幸福に成る事を祈るのみ。

 何時の間にやら病の根も自ずから尽きたと見え、余は微(わず)かに人事に復(か)えり、我が身がまだ死んで居ないことを感ずるに至った。そうだ死んで居無いのを感じるのみの事である。動きも物言いも考えもすることが出来ない。

 そのうちに日一日ごとに僅かに身辺の事だけを見知ることが出来る様になったが、依然として老黒人が、時々余の枕辺に来ていた。彼れは又水で柔(やわ)らげた小麦の様なものを余に食わせた。有難い、余の病は全く癒えたと見える。食するに従って身体も心も、漸々(だんだん)に力附き、過ぎた事も思い出せば、自ら身を起こす事をも得、此の両三日以前から、立って家の中を歩むことが出来ることになった。

 しかしながら老黒人は猶ほ深く余の身を気遣い、一切外出する事は無いようにと制した。其の理由を問うと、ドモンダ人は一般に、既に余を死んだ事と思って居るから、今姿を現しては、再び捕えて苦しめに掛る事は必定であると、誠に親切な忠言である。

 余は堅く其の言葉を守ったが、だからと言って漸(ようや)く病が回復した身を、何の運動もせずに捨てて置いては、充分の健康を得る事が愈々遅く、或いは再び病に襲われるかも知れない。去れば余は一昨日も昨夜も世間が皆寝静まったと思われる真夜中に、窃(ひそ)に出て散歩したが、其の為か大いに気も軽くなったのを感じた。

 此の上何時まで此の小屋に潜んで居られようか。余は一寸でも南方に深入りしなければなら無い。此の意を以って老黒人に細語(ささや)くと、彼れも夜中に逃れ出るならば、出られぬ事も無いだろうと云った、だからと言って孰(いず)れに逃れようか。

 此の先は地図も無し。唯だ牙洗(キバライ)川に沿って東に行くだけであると云い、牙洗川を東に行けば、どこにか村落や人種が有るかと問うと、麻列峨(マレツガ)国と云うのが有ると答えた。
 麻列峨国、麻列峨国、是れは数日前、魔雲坐王が先祖からの言い伝えがあり、昔魔雲坐王の国と同盟した国である。そうだ確かに其の国と同じ名である。

 今も折々に異様な木の葉が牙洗川に流れて来るのは、麻列峨国から来たものであると言い、王の言った其の言葉は、必ずしも根拠の無いものでは無いと、平洲も茂林も一様にこの様に思い、更に平洲は又下文を読み下した。

 果たして麻列峨と云う国が有るや否や。老黒人が如何にして之を知っているのか。余は疑って問返すと、彼れは異様な其の身の履歴を語った。其の語に由れば、彼れ自らは麻列峨国の民で、若い頃兵と為り、此のドモンダを攻めて来て、不幸にして捕虜と為り、余が此度受けたのと同様の虐待を受け、街頭に叩(たた)かれて投げられ、夫れが為め足も腰も折れ、今以て廃疾同様の身と為り、唯だ死だけを免れて、此の地に老いたのだと云う。

 アア彼れが余に親切だった次第も読めた。全く余の想像した様に、其の身の境遇に引き比べて憐れを感じた者なのだ。余は更に麻列峨まで行くための道を問うと、彼れの答えは充分とは云い難かったが、兎に角牙洗川を遡ぼることに在る事は確かである。

 余は其の麻列峨に行こう。老黒人が深く余に親切なのを見ても、麻列峨の人は多分は此のドモンダよりは慈悲深いに違いないと推察できる。たとえ慈悲深く無い迄も、ドモンダよりは残酷な事はないだろう。是れ以上の残酷は到底世に有り得ないからだ。

 余が今の身としては、孰れかの多少の慈悲心ある人種に頼り、せめては身の健康を少しでも丈夫にすることを計らなければならない。たとえ頼るに足らなくても余は失望しない。今までの苦しみが非常に甚だしかったのに、余の命がまだ存するのを見れば、余の身は再び同様の苦しみには堪える事ができるだろう。

 何を躊躇する所が有るだろう。死にもしないで途中に滞るとは、斃れて後止まんと期した我が心にも恥ずかしい。往こう、往こう、今夜必ず出発して未知暗黒の国を指して往こう。ヨーロッパ人が、後に若し余が何の地に死したのかを知ろうと欲することが有ったなら、必ず此の地から一歩でも南を探れ、余は遙青山をも越えない前に、北に向かって生き存(ながら)えようと欲するより、南に向かって死ぬ事を願う者だからだ。

        千八百七十二年の末と思われる頃
                         仏国の人

 この様にして男爵の手紙は凛然(りんぜん)《態度がきりっとしていてりりしい様子》として終わった。



次(第百二回)へ

a:207 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花