巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百五回 麻列峨(マレツガ)国に到着

 麻列峨(マレツガ)国に入り込むのは勿々(なかなか)容易な事では無い。芽蘭(ゲラン)男爵が単身で入って行ったのと違い、魔雲坐王の外にその手下である数千の蛮兵をも引き連れて行く事なので、或いは戦争の意を以って来た者と誤認せられ、先方から襲われる事無しとも限らない。

 若し襲われれば、得たり賢(かしこ)しと応戦するのが蛮兵の本性なので、又も此の所で演じた様な無惨な活劇を演じ、それが為に一行の進路にどれほど困難を呼び込むことに成るか知れない。成るべくその様な事が無いようにし、平和安穏な旅にしたいと、平洲、茂林等は様々に相談をし、遂に兎も角もその国の入り口まで行き、魔雲坐王から麻列峨(マレツガ)の王へ特使を派遣し、先祖の時代に結んだ旧交を温める為め、平和の目的を以て来たのだとの意を通じさせようと云う事に決した。

 この様にすれば多分は戦いその他の困難を避ける事ができるだろうが、果たして特使の任に当たる事が出来る人物が居るか。無事に指名を終わることが出来るだろうか。その邊も気遣わしく、それや是やの相談に又一日を費やしたが、ここに思っても居なかった便宜を得たのは、前日解き放った彼の老黒人が、自ら麻列峨(ッマレツガ)国への案内者に成ろうと申し出て来た一事である。

 彼れは既に芽蘭男爵の書中に記してあった様に、麻列峨(マレツガ)の生まれなので故郷を思う心は、一日として絶えるた事は無かったが、捕虜となって此の土地に留め置れた身分なので、今までは帰郷の望みを人に告げることさえ出来なかった。

 特に足が立たなくなった身を以って、帰郷の企てなどは、到底思いも寄らない事であったが、今は芽蘭夫人の計いで、土門陀(ドモンダ)の捕虜を連れて返った為め、土人一般から生き神様と崇められ、牛馬其の他の供物をも多く得て、僅か二十四時間の間に、酋長をも脚下に平伏させ、思う事が意のままに成らなものは無いことになったので、錦を着て故郷に帰る望みは一時に現れて来た。彼は直に此の一行の許に来て、案内者として我が身を馬に載せ、召し連れられよと申し入れた。

 誠に勿怪(もっけ)の幸いなので、その請いを許可すると、老黒人は昨日解放した捕虜の中、深く己れに帰依する俄(にわか)信者五名を引き連れ、自分を馬の背に確(しっか)と結び附けて来たので、直ちに全体を率い出発したが、道は絶えず牙洗(キバライ)川に沿い、遡る事二日にして山路に達した。

 山と山との間、川が流れて来た所は、即ち此の一行の通り道なので、踏み迷う恐れは無いが、今までに見たことが無い程の山脈で、或時は落ちようとする様な絶壁の間を通り、或時は老樹天を遮って、昼も日光も洩らさない密林の中を潜り、並大抵では無い苦労を嘗(な)めたけれど、それ等は管々しく記すには及ば無い。

 唯心配なのは、病余の身であると云う芽蘭男爵が、果たして無事にこの様な所を通り過ぎて、別条も無く目指す地に入り込む事が出来たのだろうかと言う一条である。今までは、男爵の死骸だと認める事が出来る者は見当たら無かったとの報告を頼りとしては居るが、この様な深山でたとえ死んだとしても、死骸が見当たらないのは当然である。

 平洲も茂林も心の中ではこの様には思うが、口に出して夫人に余計な心配を掛けるには忍びず、唯だ無言を守って居たが、夫人も同じ疑いは有ると見え、山路に差し掛かってからは、何と無く鬱(ふさぎ)ぎ勝であったが、四日ほどで山路は尽き、漸く麻列峨(マレツガ)国の平地に出た。

 見れば一帯の平野の所々に、耕地とも称すべき部分が有った。さては麻列峨(マレツガ)国の民は地を耕して物を植え、収穫する事をして居るのだろうか。ハルツーム府を出て此処に至るまで幾千里、その里には様々の民が有ったが、真に地を耕す者は全く無かった。

 その最も進んだ種族にあってさえも、唯だ地味が天然に豊穣な所へ、種を投じて、自然の成長に任せる事は知っていたが、その上を知らない有様であったのに、此の種族に至って不充分ながら、耕作の跡があるのは、曾(かつ)て寺森医師が云った様に、アフリカは最暗黒の中央に、最も進化した人種がある事を証する者だろうか。

 一同は幽谷《奥深く静かな谷》から喬木《高木の森》に還(うつ)った心地がして、遠く耕地を望みながら、又思えば芽蘭男爵が若し無事に、今来た森林を潜る事が出来て、此の地に入る事が出来たとしたら、多分は身体の健康も回復したに違いない。

 今までの蛮地に死ななかった者が、此の少し進化した所に入って死ぬ筈は無いので、一同はこの様に思い、殆ど蘇生の心地がして、先ず此の所に休息した。



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