巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百十五回 帰って来た使者

 亜利が間者(かんじゃ)《スパイ》として黒天女の国へ入り込んでから、その帰って来るまで、凡そ三十日の間、平洲と茂林は唯だ兵を練る一事にのみ身を委ねて居た。その甲斐あって、彼の魔雲坐の部下から選り抜いて銃器を授けた一隊は、直ちに老兵名澤の兵と優劣が分からないまで上達し、残る魔雲坐の兵の方も、一号令の下に進退し、司令者の意のままに行動するに至ったので、如何に女護国の兵が強いとしても、最早や恐るるに足りないだろう。

 野蛮の兵法を以て思い思いに進退していた者は、一卒としては勇猛であるが一軍隊としては破り易いだけだと、平洲、茂林は或る日巖如郎(ガンジョロウ)王に向かい、その意を語ったが、彼は簡単にはその通りだとは云わず、暫し彼れ是と考えて比べた末、

 「イヤ力だけを以て比べれば或いは門鳩(モンパト)の兵は、美人軍に優る事も有るだろう。しかしながら御身等は未だ美人軍の勢いを知らないのだ。その軍が進んで来た時は、美しい幾百の眼が、星の様に光り、日の様に燃え、唯だ物凄い許かりで、しかも彼等の口は非常に鋭い叱咤の声を発し、宛(あたか)も天兵が下降する様な趣きがある。

 大抵の者は此の様を見、此の声を聞いただけで怖気(おじけ)を生じ、戦うに至らずに潰(つぶ)れるのだ。美人軍の力はその針のある鎧、両手の刀、稲妻の様な進退にあるが、又その火の様な眼と、耳を劈(つんざ)く様な声と、気を以て敵を呑む勢いとに在るのだ。この様な所は御身等の軍には一つ無い。余は訓練の行き届くだけでは、到底美人軍に勝つことが出来ないことを恐れる。」
と云う。

 成る程美人軍にはその様な意外な長所も有るのか。文明国の兵ならば敵の眼や叫び声を恐れはしないが、脳随の幼稚な野蛮の兵ならば、戦わずして先ず潰ぶれる様な失態も無いとは言えない。之を防ぐには如何したら好いだろうか。是れは甚だ難しい問題である。

 平洲、茂林は是に就いても又相談を凝らしたが、何しろ味方の心を強くし、敵の勢いを恐れないようにするには、成るべく兵の数を増すことだ。
 兵の数を増すには、巖如郎(ガンジョロウ)に此の軍に加わらせる外は無いので、茂林自ら様々な利害を説いて、巖如郎を説得すると、彼れは何と云われても同じ返事で、  

 「否だ。魔雲坐王は譬(たと)え戦いに破れても、逃げてその国に帰れば、距離甚だ遠い為め、輪陀女王に復讐される恐れは無いけれど、我が国は女護の国と、御覧の様に隣れるので、後で女王の属国にせられるは確実である。余の部下の一兵をも、御身の兵に加えて女王の国に入り込ませる事は出来ないと云うばかりで、また如何とも方法が無かった。」

 此の上の頼みは、唯だ間者亜利が帰って来ての返事に在る。若し輪陀女王が門鳩(モンパト)の魔雲坐と同盟する事を承諾したならば、戦う必要が無いので、美人軍の勢いを恐れるには及ばない。どうか同盟承諾の返事を持ち返えって欲しい。

 若し拒まれたならば、励ます事が出来るだけ我が兵を励まし、運を天に任せて戦うばかりだと、心細くも決心すると、この様な間に又一つ心配なのは、肝心の魔雲坐の心である。彼れは美人国に武勇を現し、芽蘭夫人を感服させようとの一心で、只管に兵を練ったが、亜利の帰りが遅い事から、ややもすればその心が弛もうとする様子がある。

 その方に心が弛むと共に、夫人を思う念は愈々(いよいよ)強くなり、彼が又もや夫人を請い受けて、帰国すると言い出しそうな挙動が、幾度か現われる事と為ったので、平洲、茂林は之にも又心を痛め初めたが、幸か不幸か此の頃から夫人は一種の緩慢なる熱病と為り、ほとんど天幕《テント》から出て来ない事と為った。

 寺森医師の説では、夫人が夫の生死や、自分の行末などを心配し、心配が身に余るのに加え、一つの土地に暫く滞留している為め、風土の変を感じたためだと云う。総てアフリカ旅行者の病気は、日々進む間には起こらず、一箇所に長く留まる時に起こる事が多い。

 此の病を治療するには、成るべく土地を転ずるのが一番との事なので、そうだとすれば兎も角も、黒天女国の国境までも進んで行く事としよう。この様にすれば、魔雲坐の心も自ずから紛れるに違いない。それに亜利の復命に接するのも、幾分か早くなる譯だからと、早速ここを立つ事としたが、巖如郎も国境までは送って行こうと云い、部下を引き連れて従って来た。

 此の時は既に亜利が出発してから三十余日を経、二月十四日になっていたが、更に進んで国境までは未だ二日の距離を余す所で、亜利を初め一同の使者が、隊を為して輪陀の国から帰って来たのに会った。
 アア彼等の報告は如何なるものだろう。



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