巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百十六回 芽蘭男爵は居た

 女護の国に入り込んだ使者が、無事に帰って来たと見ては、平洲、茂林、寺森等、殆ど飛び立つ想いがあった。此の使者は果たして如何なる返事を持ち返って来たのだろうか。

 三人は使者一行が帰って来る姿を見ると冷静に待って居る事が出来なかった。一刻も早くその復命《報告》を聞きたいと、足を揃えてその方へ走り出したが、使者の中でも間者《スパイ》亜利は、同じ思いで一刻も早く復命を伝えようとしてか、一行から走り出て此方に来た。

 平洲、茂林の両人は、果たして輪陀女王が、魔雲坐王からの同盟の申し込みに、応じたか否かを気遣うよりも、今は唯だ間者亜利が芽蘭男爵を認める事が出来たか否かを聞きたかったので、茂林は先ず亜利の手を取り、

 「何うだ亜利。芽蘭男爵は果たして輪陀女王の朝廷に捕虜と為り、無事にまだ生き存えて居られたか。」
 亜利は息も忙(せわ)しく、
 「ハイ居ましたよ。生きて捕らわれて居ましたよ。」
 「シテ貴様が親しくそれを見たのか。」
 「ハイ見ました。逢いました。そうして私は男爵へ物をまで言いました。」

 これほどまで言い切るからは、最早や間違いが有る筈は無い。芽蘭男爵は生きて黒天女の朝廷に居るのだ。男爵を死んだとばかり思って居た為、遥々ここまでその夫人に従がって来た平洲と茂林との身の上は、誠に異様な立場とはなる為、二人は此の報を喜んだら良いのか悪いのか分からなかった。

 忙しい間にも様々の想いが浮かんで来たが、もっと男爵の有様が知り度かったので、平洲はその後を受けて、
 「シテ男爵は貴様に何と云った。」
 「何とも言う事が出来ないのです。」
 「何だと、貴様から物を言ったのに、向こうからは何とも云う事が出来ないとは。」

 「ハイ男爵は自由に口を開く事は出来ません。」
 それほどまで厳重に捕われて在るとすれば、実に由々しい大事である。一日も早く之を救わなければ成らない譯であるが、救う事は愈々(いよい)よ難しい。
 「それでは亜利、男爵は貴様に何の返事をもする事が出来なかったのか。」
 「ハイ、口では返事は出来ませんが、窃(ひそか)かに私の手へ、此様な紙切れを握らせました。」
と云い、腰に着けていた革袋の中を探り、巻いて畳んだ手紙様の物を出した。

 茂林は傍らから待ち兼ねた様に、手を延ばしてそれを受け取り、開きもせずに一目見て、
 「アア表に芽蘭男爵と記して有る。筆跡も先に可通無(カーツウム)《ハルツーム》府で、名澤が受け取った、男爵の手紙及び、土門陀(ドモンダ)の老黒人の住居で、火に燃える壁から、平洲君が剥ぎ取った男爵の自筆と同じものだ。

最早や寸分も疑う所は無い。此の書付を亜利に握らせたと云うその人が、全くその人、芽蘭(ゲラン)男爵だ。」
と云い、早や封を開こうとする。平洲は遽(あわただ)しく之を制し、
 「待給え茂林君、その手紙は我々が開くべき者では無い。兎に角芽蘭夫人に先ず読ませ、夫人の許しを得た上で我々は読む事にしなければ。」

 茂林も成る程と感心し。
 「では僕が持って行って夫人に渡たそう。」
と云ったが又暫し考えて、
 「イヤそれでなくても先日来鬱(ふさ)ぎ勝の夫人だから、此の書を得てはきっと非常に心を動かすだろう。僕は夫人の心が落ち着いた頃に行こう。平洲君、君が此の書を夫人に持って行って渡し給え。」

 平洲とても、夫人が此の程以来唯だ心配のみに打ち沈み、それが為め低い熱病の姿と為り、この様に土地を転じてもまだ何となく優れない容体を思っては、この様な容易ならない書類を手づから渡して、夫人が更に心を騒がせる様を見るには忍びない。

 「僕だって夫人が此の書を読み、泣く丈は泣き尽くし、充分に心を落ち着けて、後の思案まで略ぼ定めた所で夫人の所へ行こう。此の書は寧ろ寺森君に持って行って貰おうでは無いか。」

 寺森は、
 「如何にも病人の心を動かす様な事は、医師である僕の役目だ。僕が持って行って、成るべく夫人の心を痛めない様に渡そう。」
と云って、その書を受け取り、非常に静かに退いた。後に両人は亜利に向かい、

 茂「亜利、貴様等一行の帰りは予定より余程後れた。それだから我々は巖如郎(ガンジョロウ)の王宮の所からここまで出迎いに進んだが、何で此の様に手間を取った。輪陀女王が若しや貴様等をも捕虜にしようと企てたのでは無いか。」

 「イヤそうでは有りませんが、何しろ遊林台国は巖如郎王の話した通り、恐ろしく疑い深い国で、到る処の酋長が、我々を通して好いか悪いかと、その上の酋長に聞き合わせ、返事を得た後に初めて出発させる為め、此の通り手間を取ったのです。

 是等の酋長は皆、輪陀女王に仕える地方官で、女王が厳重に国内を守らせて有る様は、実に驚くべき程です。それに国中に幾筋も小川が有り、牛や羊を引き連れて、それを渡るのですから予想外に時日が費やされました。」
と言って是から更に様々の事を語り出そうとした。



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