巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou118

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第百十八回 芽蘭男爵の様子

 輪陀女王が如何ほどに美しくても、芽蘭(ゲラン)男爵がその美に魅せられ、その傍に留まる事を喜んで、此の一行に救い出だされことを迷惑とする様な事が有るだろうか。平洲は茂林の言葉を打ち消し、

 「若し男爵が救われる事を迷惑と思う様なら、僕としても強い度いとは思わない、救わずに芽蘭夫人を連れ、本国へ帰り度いけれども、男爵ほどの人が、何で黒天女の姿に迷う者か。何とかして此の国を抜け出し度い。無事に帰国して妻や朋友の顔を見度いと、明け暮れ思って居るのは必定だ。
 吾々は同胞の義務として、之を救わずに置かれようか。凡そ世に男爵ほどの可哀そうな境遇は無いと僕は思う。」

 茂林は急に考えを翻(ひるがえ)して語を改め、
 「それはそうサ。たとえ男爵が、輪陀女王の捕虜である事を喜んで居るとしても、吾々は之を救わずには帰られない。僕は唯だ萬一に想像を述べたまでサ。

 それに今と為っては、吾々が芽蘭夫人を引き連れて帰ろうとしても、第一魔雲坐王が承知しない。結局は何うなっても、吾々は進まれる丈け進むだけさ、もっと詳しく亜利に話を聞き、早速男爵救い出しの手筈を定める事にしようでは無いか。」

 相談が一決したので、再び亜利に向かい、
 平「一体全体輪陀女王は何の様な女だ。」
 「ハイ黒人では有るが非常な美人です。野蛮国の美人では無く、殆ど文明国の美人かと思われるほどですけれど、真逆(まさか)に芽蘭男爵がその美に惑わされるなどと云う様な事は有りません。男爵の様子を見れば分かります。」

 「男爵の様子とは。」
 「ハイ顔色も蒼白く痩せ衰え、殆ど幽霊かと思われる有様です。私は一目見て郷思病《ホームシック》と云う物だと思いました。故郷の空が懐かしくて、あの様な病気に成る例は幾等も有り、旅慣れた私などは、今まで何人も同じ病人に接しました。」

 男爵の憐れむべき境遇は此れだけの言葉で察するに余り有る。
 「シテ男爵は牢へでも入れられて居るのか。」
 「イヤ牢へは入れられて居ないが、犬か何ぞの様に鎖に繋がれ、絶えず女王が引き連れて居るのです。」
 何とその有様の惨(むごた)たらしいことか。
 「何だと、鎖に繋がれて。」

 「ハイ私が初めて女王の朝廷へ行った時、女王の腰掛台の脚に鎖を以て繋がれて居る人が有るのです。その鎖はその人の腰を縛り、手足だけは自由に任せて有りますが、それでも長さが五尺《1.5m》にも足らないほどですから、その人は女王の傍から一間《1.8m》と離れる事は出来ません。

 初めて私が見た時は、両の手を顔に当て眠って居るのか泣いて居るのか。唯だ俯(うつむ)き込んで居ますから、顔形は分かりませんが、蒼白く痩せた手先で、ヨーロッパ人と云う事は明白ですから、私は是が噂に聞く芽蘭男爵か、慈悲深い芽蘭夫人の夫かと、知らず知らず涙を垂れましたが、迂闊に言葉を発し、女王に疑われては、この様に大事に繋(つな)いで有る捕虜の事だから、更に何の様な事に成るか分からないと、知らぬ顔で控えて居ました。

 その中に女王が巖如郎(ガンジョロウ)王が贈った貢物の牛羊を検める為め、坐を立ちました。立つと直ぐ様傍に居る美人軍がーーー。」
 茂「何だと、美人軍が女王の傍に居るのか。」
 「ハイ輪陀女王の朝廷には、一人も男の役人は無く、皆女です。貴方がたの云う美人軍が、即ち近衛兵で、王の左右を警護して居るのですが、孰(いず)れも非常な美人です。」

 「その様な話は後にして、それから何うした。」
 「ハイ女王が立つと、美人軍の一人が直ぐに男爵の鎖を手に取り、台の脚へ繋いで有るその結びを解き、宛(あたか)も吾々が犬を引き連れる様に、男爵を引き連れて女王の後に従がい、同じく庭へ出たのです。

 是で見ると、芽蘭男爵は少しも女王の傍から離される事は無いと見えます。
 私の考えでは、男爵が是まで幾度か逃げ去ろうとした為に、この様に厳重に王の傍から離れる事が出来ない様にされたのでしょう。」

 平「貴様の考えなどは聞き度く無い。それから何うした。」
 「ハイ私は何うかして男爵に声を掛け、貴方がたの手紙を人知れず渡し度いと思いましたから、直ぐに男爵の後に付き、隙(すき)さえ有れば、直ぐに話を仕様と思い、同じく庭へ出ましたが、貢物の牛と羊は非常に女王を喜ばせ、男爵の鎖を以て居る近衛の美人まで夢中になり、その方へ見惚れて居ますから。ここだと思い私は小声でフランス語を以て、

 「驚いてはいけません。芽蘭男爵」
とその背後で細語(ささやき)ました。驚いてはいけないと注意を与えたにも拘らず、男爵はビクリとして振り向きましたが、少しの事にも注意する捕虜の身だけに、直様私の目配せを察し、平気の顔を装い、何事も知らぬ振りで前に向きました。

 私は更に、
 「男爵よ。貴方を救う為めヨーロッパから遠征隊が来て、私はその間者《スパイ》として貴方を尋ねに、此の国へ入り込だのです。そっと手を背へお出し成さい。その遠征隊から貴方へ宛てた手紙を握らせて上げますから。」
とこの様に云いますと、男爵は猶更(なおさら)驚き、後に摚(どう)と倒れるかと思われましたが、漸く足を踏み〆め、気を取り直した様子で、片手を背後へ廻しました。」



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