巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou12

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.23


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      第十二回  博打(ばくち)好きな寺森医師

 此夜一同が争っている勝負は、
  「バカラ」
 と云い、堂親が歌牌(トランプ)を配り、九点を得た者を勝ちとするルールで、素より勝つか負けるかは、その時の運に在りとは云え、他の勝負事とは少し異なっていて、運のみに任せるべきでは無い。大いに巧拙の影響が有る上に、札の順序など記憶する事を要し、多くを記憶する者は、自然と勝利を得る者であるので、勝負事の中で此の「バカラ」だけは、一種の技芸と見做(みな)され、外の賭勝負は禁じている高等の倶楽部と雖も、此の「バカラ」だけは大目に見るのを常としている。

 茂林は家で一眠りした後とは云い、特に朝風に吹かれて脳髄も爽やかな状態なので、記憶の力も充分で、自ら勝利を得ることは疑い無いと思い、先ず落ち着いてわざと些細な金高を張りながら、札の順序に注意し、又一同の様子に気を配ったが、皆は宵からの激戦と、引続く寝不足に逆上(のぼ)せ返って、少しの記憶も無くなり、札の順などには気を配ら無くなり、唯だ運をのみ頼み、思う通りに行かないことを悔しがって、益々燥(あせ)る有様となった。

 中でも目指す寺森医師は、最もその甚だしい者であって、茂林は早や目的が達した様に思い、次第に札の順序などが分かって来るのを待ち、二、三回引き続いて人々が驚くほど多くを賭けて、見込みは違わず直ちに寺森医師の堂親を潰した。

 そこで自ら堂親と為り、他の人には見向きもせず、唯だ寺森に対してだけ技を揮(ふる)うと、落ち着いて居る者と取り逆上(のぼ)せている者との勝負なので、勝敗の行き着く先は既に明らかで、争う度に寺森の敗北と為らない勝負は無かった。

 愈々(いよいよ)夜が明放(あけはな)れるに及んで、寺森の負け高は既に五万法(フラン)《5、000万円》と聞こえたが、負ける丈け益々深入りするのが此道の常なので、寺森は愈々夢中と為り、外の人が次第に帰り去るのにも構わず、一人腰を据えて堂親を引き留め、果ては茂林と唯二人差し向かいと為り、寺森の負けは八万法(フラン)《8,000万円》と云う恐ろしい高に至って、相手が無い為め止むを得ず終わりを告げた。

 この様な勝負は、一番毎に現金を遣り取りするのが昔からの仕来たりであるが、現金では何と無く賤しそうに見える為め、近来上等の倶楽部では、其の会計局から切手を渡し、其の切手で遣り取りし、勝った人は其の切手を会計局に持って行って正金(しょうきん)《現金》と引替え、負けた人は十二時間の間に正金を会計に払い込まなければならない。

 若し其の時間に払い込む事が出来ない時は、其の旨を室内に掲示され、詐欺をした者よりももっと恥ずかしい程に見做(みな)され、再び世間へ顔向けが出来ない不名誉の身と為って、除名せられる定めになっていて、其の厳重なことは、他人の想像することが出来ない程であると言う。

 そう言う事なので、茂林は両の衣嚢(かくし)《ポケット》に満ち満ちた切手を持ち、其の席を切り上げたが、まだ会計が出勤していない為め、正金と引き替える事も出来ず、又実際に引き替える気も無いので、其の切符を持ったまま、寺森医師と分かれて、我が宿に帰ったが、是から数時間を経、午後の二時が過ぎる頃になって、尋ねて来て面会を求める人が有った。誰だと聞くと寺森医師だと言う。

 茂林はこの様になるだろうと思い、心待ちにして待って居たので、早速我が部屋へ通すと、寺森医師は既に湯沐(ゆあみ)をして、服装も整って居たので、今朝ほどまで血眼同様で餓鬼の様に争って居た有様とは異なり、全く紳士の風には見えたが、まだ微睡(まどろ)みもせず金策に奔走し、しかも其の事が少しもうまく運んで居なかった者と見え、気が饑(う)え心疲れて喪家の犬の様に淋しそうな様子をし、何所からとも無く現れて憐れそうである。

 茂林は故(わざ)と仮忘(とぼ)けて、何の用事か察し得ない風を粧(よそお)って居ると、寺森医師は非常に極まり悪そうに、昨夜の失敗に心が眩み、自分の財産では支え切れない大負けをした面目無さと、最早金策の道も塞がって今から数時間の後に、倶楽部へ我が名前を掲示されるに違いなく、そうなれば再び勝負を試みる場所も無く、愈々以て此の借金を返済する道も絶えてしまうので、どうか昨夜来の負け高を借金の証文にして、会計局の切符を我に返して呉れとの思いを説き出した。

 是れは素より思う壺ではあるが、茂林は容易に承諾の色を見せず、
 「成るほど僕に負けた丈の金を、借金の証文にして差し入れると云うのは分かって居るが、君は今金策の道も塞がったと云ったじゃないか。金策の道の無い人から証文をとっても、返して貰う当ては無い。其の証文は詰まり反古(ほご)も同然だ。」
と云渡すと、寺森医師は熱心に、

 「イヤ返す当ては充分有るよ。」
 「何して。」
 「倶楽部へ切符を返しさえすれば、又借りだして勝負を試みる事が出来る。昨夜は逆上(のぼ)せて負けたけれど、アノ勝負は外の事と違い、昨夜の君の様に落ち着いて遣れば、今夜は屹度(きっと)僕の方から、君へ貸し込む事に成る。」

 流石は凝固(こりかたま)りの勝負師だけに、借金返済の方法にまで、矢張勝負事を以て口実にしようとした。
 「それは不可(いけ)ない。僕が此の土地に居るなら兎に角、先夜も話した通り、近々アフリカへ立つのだから、再び君と勝負をする場合が無い。」

 此の一語には寺森も困り果て、暫し考えるばかりで有ったが、やがて又、
 「僕もアフリカまで従行しても好い。途中で君が時々勝負をして呉れれば、幾月と経たない中に此の借りは必ず返す。エ、君、何うかそれを抵当に、借金の証文を取り、切符を返して呉れ給え。そうして呉れなければ、僕は再び世に立つ事が出来ない。」

 「それを抵当にと言っても、何も「それ」と指す可き抵当は無いじゃ無いか。」
 「イヤ有る、君が当地に留まるなら昨夜の倶楽部で君と勝負をして返し、君が旅へ出れば僕も同行して時々勝負をするから、その勝ちを抵当にするのサ。」
とは随分異様な抵当ではあるが、茂林は、
 「本当に僕とアフリカ内地まで同行するかネ。」
と問返した。

 
注;1890年代の1フランは現在の日本の1、000円で換算し、五万フランは5,000万円とした。(佐野栄一「バルザックの時代の一フラン」より)


次(第十三回)

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