巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou13

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.24


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      第十三回 同行を決めた寺森医師

 実に寺森医師の今の身は、唯だ何処までも茂林に従って行き、勝負を以て昨夜の負債を返す外に、一寸の逃げ道も無い者なのだ。若し茂林が昨夜の切符を返さないと云い、倶楽部の会計に行って正金《現金》を受け取ったならば、寺森医師は全く浮かぶ瀬の無い人と為り、紳士の仲間から除名されて終わるばかりである。

 そこで茂林が、
 「君は本当に僕と共にアフリカの内地まで入って行くか。」
と問うのに対し、寺森医師は一瞬の猶予もせず、
 「君さえ承知なら何処までも入って行くよ。唯だ毎日一度づつ僕と勝負をして呉れれば。」
と云った。

 是れは実に怪しい迄に軽佻(かるはづ)みな挙動に思われるが、世にパリの人ほど、気も軽く心も軽く、この様な事柄に果断な人は居ない。特に寺森医師は、パリ人の中でも奇人の風ある人なので、前後の始末にも考慮せず、何も考えずにこの様な決心を起こしたものである。

 茂林は又前から寺森医師の学力を敬い、この様な一廉(ひとかど)の医学者をして、勝負事の為に心を奪われ、本業を顧みない迄に耽(ふけ)り溺れさせることは、此の上無く惜しむべき事に思っているので、一つは此の人の後々の為を思う親切心から、今此の人を遠征に連れて行ったなら、途中で自ずから気も変わり、迷いの夢が覚めて、帰国の後は必ず立派な名医と為るに違いないと見、双方の為めを思うからなのだ。

 それで茂林は医師の此の返事をしっかりと押さえ、心の変わらないうちに、早く約束を取り決めようと咄嗟(とっさ)の間に話を進め、下の様な非常に異様な約束を結んだ。

 第一条、寺森医師は歌牌(かるた)《トランプ》の失敗で、茂林画学士に払うべき九萬法(フラン)《現在の9,000万円》の借金のある事をここに自認す。
 第二条、寺森医師は其の恩に謝する為め、世界の何(ど)の地へなりとも、今から二年の間茂林画学士に同行し、自己の医学上の力を以て、出来るだけ茂林その他の同行者に親切を尽くすべし。

 第四条、旅行中は両人で(病気危篤の場合をのみ除く)毎日一回必ず賭け勝負を行うべき事。
 第五条、一日の勝負に負けた者が、次の日は随意にその勝負事の種類を選定する事。但し勝負事は必ずしも歌牌(かるた)《トランプ》に限らず。如何なる賭け事でも、自分が必ず勝つと思うものを選ぶ可し。相手は決して異議を申し立てない事。

 第六条、勝敗の金高は決して一日五百法(フラン)より越すべからず。
 第七条、勝負の時間も前日に負けた人が指定する者にして、一方は仮令い夜中であっても、目を覚ましてその召喚に応じる事。
 第八条、勝負の場所も矢張り前回に負けた人が定める者にして、船中、車中、山の上、砂漠の中は勿論、凡そ如何なる場所であっても、又如何なる天気の日であっても、一方は決して文句を云うべからず。

 第九条、パリを出発の日から満二ケ年を経、即ち第七百三十一日目に双方の総勘定を為すこと。その時に更に茂林画学士が勝越しと分かれば、寺森医師は引き続き茂林と同行し、此の勝負の契約を継続すること。若し又寺森医師が勝ち越しと分かれば、又勝ち越しの金額だけ、パリで受け取る可き為替手形と為し、茂林画学士から寺森医師に払い渡し、寺森医師は其の日限り同行を辞し、パリへ立ち帰ることは勝手である事。

 此の奇妙な契約は、即座に両人の間に批准交換済みと為ったので、此の翌日茂林画学士は寺森医師を引き連れて、
 「是が約束の同行医です。」
と言って芽蘭夫人の許に行くと、将来此の医師は勝負事に溺れた時こそ、前後も忘れ夢中になるにしろ、一度(ひとた)びその心が鎮まる時は、最も温厚にして万事に気附き、人の心を良く察して、人を慰め、又人に親しまれる一廉(ひとかど)の紳士なので、芽蘭夫人も思っていたより好い人を得たと喜び、又一方の平洲文学士も寺森医師とは以前から知り合いの間なので、
 「成るほど君が同行するのか。」
と喜び、是で全く四人の同行者は定った。

 次には伴人(ともびと)とする従者を、召し連れなければとの相談で、茂林は我が下僕(しもべ)與助(よすけ)の事を持ち出し、彼の三ケ条の望みをも説明すると、一同ともに、そのような無欲の男ならば、最も適当だとして連れて行く事に定めた。

 更に一人、芽蘭夫人の従者として、朝夕夫人の身の廻りを世話する者が無くては困ると云うことに決したが、夫人の従者に、男の僕を引き連れる訳にも行かず、女にしてアフリカまで同行する程の勇気ある者は、容易に見出すことは難しいだろうと言って、是には殆ど困ったが、ここに平洲や茂林の知人で本目紳士と云う社交家があった。

 此の人は曾(かつ)て倶楽部の長にも選挙せられ、今もまだ同じ倶楽部の会員であって、万事の世話を引き受けるのを楽しみとしている人で、大抵の事は此の人に頼めば殆ど解決しない事が無い程なので、平洲文学士の発議で、兎に角本目紳士に頼んで見ようと云う事に決し、早速平洲から申し込んで見たら、不思議や三日と経ないうちに、男子も及ばないほどの女旅行家が現れて来た。



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