巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.13


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      第二回 リビングストン、スタンレー

 燭台(しょくだい)に差し附けて此の夫人が読もうとするのは、抑(そもそ)も何事の記事だろうか。是こそ米国新聞の特派員、士丹霊(スタンレー)が彼(か)の大探険家李敏敦(リビングストン)翁を阿弗利加(アフリカ)の内地に尋ね当て、始めて其の事を本社に通信した其の顛末(てんまつ)の抜き書きである。

 実に全世界が死んだとばかり思って泣き悲しんだ其の人を、健康のままで見出した報知なので、夫人が息を継ぐことも出来ないほどまで、熱心に読み下すのも無理では無い。タイムス新聞の其の文は下の通り。

 全世界に大名が光り輝く我が英国の大旅行家李敏敦(リビングストン)翁がアフリカの内地で土民に殺されたとは、先に同国残日波(ザンジバー)と云う所から達した報道であって、我が政府は直ちにアフリカ駐在の相当官吏に訓令し、其の事の実否と、愈々(いよいよ)真実ならば、其の殺された土地を確かめつつ有ったが、米国の新聞ニューヨークヘラルド社は、我が政府の所為を緩慢であるとし、社員顕理(ヘンリー)・士丹霊(スタンレー)氏を特派し、親しく蛮地に入り込ませたことは、既に世人の知る所である。

 而(しか)しながら此の士丹霊(スタンレー)氏は李敏敦(リビングストン)翁の殺された地、即ち残日波(ザンジバー)から丹鵞(タンガニーカ)湖と云う大湖水に到る路上である事を聞き定め、それ以来幾日幾月も櫛風(しつふう)沐雨(もくう)《雨で体が濡れること》の労を嘗め、進み進んで前人のかつて到達した事の無い、ウジジと云う地方にまで入り込んだが、その地で丹鵞(タンガニーカ)湖の湖畔に、年六十余歳になる白色人が一人住んで居る事を聞き出し、是れはきっと李敏敦(リビングストン)翁に違いないと思い、直ぐに熱心を百倍し、疲労を犯し、従者を励まし、道無き所を踏み分けてその所まで到着すると、果たして李敏敦(リビングストン)翁の生存しているのを見出すことが出来た。

 尤(もっと)も士丹(スタンレー)と李敏敦(リビングストン)翁の対面した事実は、既に米国からの電報で記してあるが、昨夜到着した同地の新聞には士丹霊(スタンレー)氏の通信原文を掲げた。その文に曰く。

 「私が翁を尋ね当てた時、双方如何に驚いて如何なる言葉を発したか、実に驚きの余り知らず知らず発した者なので、私は少しも覚えて居ない。如何にしてここに来て、何事を為して居たのか等の問いは、双方から口を突く様に出たが、私は心が非常に激動していた事だったので、ここにその語を繰り返すことが出来ない。私は実に前代未聞である此の大豪傑偉老人の顔を見詰め、翁の言葉を聞きつつも殆ど目を動かすことは出来なかった。

 翁の眉の一毫も又顔の一筋さえも、実に艱難辛苦の痕を現わしていないもの無かった。少しの偽りをも交じえていない翁の言葉は、諄々(じゅんじゅん)《良く分かるように繰り返し繰り返し説く様子》として、過ぎ去った幾年間の探険を物語っていた。其の物語は実に一冊の歴史と同じだ。ここに記し尽くすことは出来ない云々。」

 そこで李敏敦(リビングストン)翁は士丹霊(スタンレー)氏に問うて云うには、
 「此の五、六年以来、欧州(ヨーロッパ)では如何なる事が起こっているのだろうか。アフリカは唯だ人と食い合い、戦い会うのみなれど、欧州の人は段々と文明に向かっているので、最早や戦争などの様な、野蛮な騒ぎは起こしていないだろうね。」
と。

 士丹霊(スタンレー)は之に答え、
 「否、悲しい哉、欧州は夫れほどの開明には未だ達していません。既に独仏の間に戦争が起こり、幾十万の独逸軍が勝ちに乗じて仏国の都を囲み、之が為にパリの市民は一片の食をも得る事が出来ないまで困難し、唯だ餓死が迫った為め、止むを得ず和を講じて、平和に帰したことは、私が本国を出る少し以前の事でした。」
と云うと翁はため息を発する許りにして、やや久しく無言であったが、やがて又、

 「その戦争は他の国々へは影響しなかったのか。」
と問うた。士(ス)氏は答えて、
 「否です。影響しました。中にも西班牙(スペイン)の如きは、人民之を機として内乱を起こし、女王イサベラ殿下を廃し、プリム将軍を暗殺する等の、無惨な状況と為ったので、私はその内乱以来の有様を探聞する為に、通信者として同国に特派せられて居たのですが、本社から急にアフリカ行きを命ぜられました。依って本国である米国へも帰らずに当地に出張したのです。」
と云った。

 翁は又問うた。
 「如何ほど盛んに戦争をしても、戦争は国家の名誉にはならない。真の名誉は平和の事業に在る。何か平和を以て、大いに各国の国運を進める様な、大事業は起こらなかったのだろうか。」

 士(ス)氏「そうですね、平和の事業も進みました。大西洋の海底電線を落成したとか、スイズの運河を開き開通させたとか、又は米国の東岸から西岸まで鉄路を布(し)き、太平と大西の両洋を汽車にて連絡させることが出来たという様な事は、その主な者で、総て世界の幸福を一新する力が有ります。」
 翁は此の語を聞いて初めて満足の色を現した。

 是からスタンレー氏はその地に留まり、翁と共にタンガニーカ湖の沿岸を探検し、その事が終わった後、翁に向かい、共々に本国へ帰るべき事を頻りに説き勧(すす)めたが、翁は断固として之に応ぜず、
 「余は未だアフリカ内地の探険の事業を終わって居ない。故郷朋友の間に帰ることを望まない訳では無いが、ここまで深入りした私が、更に此の上を進まなければ、ここまですらも来た事の無い他人が、どうして此の先を探り究める事が出来ようか。私の親友は皆私が帰国するよりも、此の上を探検することを望んでいる。私の最愛の娘すらも、先頃私に手紙を寄せ、

 「父上の御顔を拝し度いのは山々なれど、父上自ら御心に誓い給いし大事業を捨て、唯だ私の望みを叶える丈の為に御帰りなされては、却(かえ)って私に取っては心辛く、唯だ父上が私にお構い無く、思召(おぼしめし)通りに進退なされることこそ、私の本意であります。娘の身として、どうして父上の大事業を妨げることができましょうか。」
と云って来た。
 私は心に誓った所まで探険しなければ、何うあっても帰る事は出来ない。」

と翁はこの様に云って、士(ス)氏が如何様に説き勧めても、終に帰るを云わなかった。それで士(ス)氏は翁を残して帰って来たのだ。十年蛮地に身を晒してまだ帰ることを思わない翁の決心と、死んだと見られた翁を尋ね出だした士(ス)氏の功とは、実に天下の双絶と云うべきだ。吾人は英国全体を代表して翁の徳を頌(しょう)《褒めたたえる》し、併せて士丹霊(スタンレー)氏の功を謝せざるを得ない云々。

 夫人は是だけの記事を読み終わり、非常に感ずる所がある様子で新聞を下に置き、一語をも発せずに凡そ一時間ほども考え込んで居たが、漸く一個の大決心を起こした様子で決然として立ち上がり、片隅の机に行き、筆を取り上げて下の様な文句の手紙をば、一字一句も違えずに三通認めた。

 「拝啓私と一夕の談話を共にすることをお忘れなさらければ、明夜九時前より私宅へ御来臨成し下され度く思います。但し外に貴方の友人二名だけお招き致しておりますので、その人々も同席致す儀と御承知置き下されますようお願い致します。又当夜は茶菓の外は何品をも供し申しません。芽蘭(ゲラン)夫人 りう子拝。」

 この様にして夫人は此の三通を別々に三名の紳士に宛て、夫々送り出だした。是れは抑(そもそ)も如何なる目的なのだろうか。



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