巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou22

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5. 3


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     第二十二回 隊を組んで追う平洲一行

 道も無い砂漠の中へ、しかも夜中に踏み入るとは困難極まる次第で、頼りとするのは唯だ一人の敵とも味方とも図り難い蛮人なので、此者を充分に手懐(なつ)けて置く外は無いと、平洲文学士は、砂漠の入り口で通訳を待って、厳重に彼れに向かい、

 「そなたが若し正直に案内して、先刻ヨーロッパの人を攫(うば)い去った彼のベドイン人の居る所まで、一同を導いて行き、その上で更に力の及ぶ丈け、我等を助けてくれたならば、その後で褒美として最上の馬三頭と、此の砂漠の中で王と為るに足るほどの、最も精良な鉄炮とを與えてやる。」

と言い渡すと、良い馬と良い銃とは、実に是等の蛮族が何よりも欲しがる品なので、彼れは早や眼を光らせて非常に喜び、必ず出来るだけの力を尽くしますと約し、之よりは一同の先に立ち、時々異様に口笛を吹いて一同の馬を制しながら進んで行く様子は、到底他人には真似さえ出来ない手際であった。

 此の者が若し居なかったならば、如何に心ばかり矢竹に早っても、砂漠の夜路を無事に辿って行くことは、思いも寄らない所であったので、一同は窃(ひそ)かに亜利が此の者を懐(なつ)けて置いた注意を喜び、深く深く進んで行くと、夜の更けるに従って暗さは益々加わって、不便なことと言ったらたとえようも無いほどであるが、案内者だけは、この様な夜路に慣れていたので、少しも躊躇する所は無い。

 この旅行はこの後何時間続くことだろう。最後には良く茂林と與助とを見出だす事が出来るだろうか。
 二人は今どのような境遇に陥(おちい)って居るのだろう。又見出す事が出来ても果たして蛮族等の手から救い取ることが出来るだろうか。

 誠に困難な事ばかりではあるが、少しも怯(ひる)む色の無いのは、感心と云う外は無く、中でも平洲文学士は、曾(かつ)て独逸(ドイツ)との戦争に、茂林と同じく義勇兵の一部の長として、非常な苦労を嘗(な)め、充分胆力を練った人なので、煙草を取り出して燻(くゆ)らせながら、気も軽く寺森医師に向かって様々な雑話を為す様は、まさに曾(かつ)て芽蘭夫人に向かい、砂漠の中をも芝居見物に行く心で旅行しましょうと云った、その約束を守っているようだった。

 幾十哩(マイル)《何十km》を進んだことか、明け方の五時頃に至るまで、唯途中で一度その馬に用意して来た秣(まぐさ)と、水とを与えたのみで、その他には一刻の小休みも無く乗り通して来たが、夜の暁々(ほのぼの)と明け初めるに当たり、案内者は通訳に向かい、

 「アアこの道に違い有りません。砂に彼等の足跡が残って居ます。」
と云う。平洲、寺森共に通訳からこの事を聞いて、良く見れば成るほど砂の表に五、六の駱駝の通った跡を残し、その上一匹の馬の足跡も残って居るので。
 平「アア有難い。此の馬の足跡は茂林の乗った馬に違い無い。茂林が彼の一隊に追い附いたのだ。」

 寺「追付いたからと言っても、その後の運命は分からない。多勢の所へ唯一人追い附いたら、何の様な目に逢ったか分からない。」
 如何にもその通りなので、更に案内者の説を聞かせると、馬の足跡は極めて順序良く残って居るのを見ると、多分その背に乗った人は、引き卸されたか、あるいは縛られたか、何れにしても蛮族に抵抗する丈の力は無くなり、温順(おとな)しく進んでいるのに違いないと云う。

 是には平洲も、そうかも知れないと思い、そして驚き、是からは又何の言葉をも発せずに、又三十分ほど進むと、彼方に一体の山があって、其の麓に二十余個の天幕が張ってあるのを見る。案内者は立ち止まって、
 「アノ天幕が多分昨夜のベドインでしょう。」

 平洲は眼鏡を取り出だして、暫(しばら)く眺め、
 「フム、天幕の中の人は未だ眠って居るのか、極めて静かだ。ここから三十丁《3km》とは無いが、もっと傍へ寄って見なければ。」
と云い、相手の眠りをすぐに覚ましては成らないとの用心から、静かに進み、僅かに一丁《108m》とは離れない所まで行ってまた留まった。

 天幕の様子から総体の山形地勢などを考えるのは、真に軍門に臨んだ大将と異ならない。顔にも身体の様子にも何と無く威儀現れて、侵し難い気にさせられるのは、自然に備わる勇気の為であるに違いない。しかしながら、天幕の数に由れば、相手は三十人以上なるはずなので、その中へ唯だ七人で襲い入り、摛(とりこ)二人を取り還(かえ)そうとするのは、殆ど出来そうもない仕事なので、大事には大事を取らなければならない。

 やがて平洲は、背後の山に相手の退く道と思われる古い切割の様な所があるのを見て、水夫三人中最も屈強な一人に向かい、
 「お前は天幕の背後に廻り、あの切割の影に隠れて番をして、何人でも切割から出て来るか、はたまた切割に入って行こうとする者があれば、鉄炮を発して合図せよ。」
と言い渡すのは、相手の眠りを覚ます前に、此方(こちら)の手配りを充分にする為に違いない。

 その水夫が命に従い彼方の山手に隠れたと見るや、更に何事かの命を発しようとすると、この時平洲の乗った馬が、一声高く朝風に嘶(いなな)いたので、
 「エエ仕様が無い。」
と平洲が眉を顰(ひそ)める間も無く、天幕の中で此の声を聞いたと見え、二、三の女が、其の入り口に立ち現われ、此方の様子を望み見て、怪しがる様子で内に退き、是からは引き続いて何やら騒々しい様も見え、引き続いて横手に在る牧場を指して走り出る男五、六人があった。

 どの者もその所に繋(つな)いで有る、馬や駱駝を引き出だす支度と見えるのは、彼方(あちら)も警報に驚いて用意する者に違いない。



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