巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou25

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5. 6


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      第二十五回 行方不明の與助

 敵の大将を返さずに茂林を奪い取り、其の上で茂林共々に大将を利用して、彼の與助を尋ね当てようと平洲文学士は、この様に決したけれど、是れは容易な事では無い。敵は唯だ大将と茂林とを引き替えにしようと言い張るばかり。

 此の時茂林は、未だ縛らたままで平洲に向かい、
 「好い工夫が有るよ。僕は捕らわれてから、此の人種の様子をじっくりと見たが、その心の幼い事は実に小児も同様だ。或る学士の説に、野蛮人は一種の小児だと云うが、真に其の通りで、少しの事に怒るかと思えば又少しの事に恐れ、何事にでも心が紛れて、真に夢中の有様と成って仕舞う。

 そんな訳で、この水夫三人に滑稽踊りを遣らせ給え。そうすれば一同きっと夢中となるから、その暇に少し君が手を貸して呉れれば、僕は此の護衛者を振り払って君の許に逃げて行く。」
と云う。

 やや頼り無く思われるが、外に好い工夫が無いところなので、平洲は直ちに敵の虜(とりこ)を、通訳二人に守らせて置き、水夫にその事を命じると、水夫は少しもためらわず、非常に面白い節で歌い、足拍子を揃えて踊り出した。

 ベドイン人は初めて見る事なので、最初は怪しむ様子だったが、追々に面白がり、手振り足振りの可笑(おか)しい度に、声を放って笑い立て、更に調子に乗せられて、一同手拍子などを取るに至ったので、平洲は茂林の計略が当ったたのを喜び、蜜々(ひそひそ)と寺森医師に意を伝え、

 スワと云ったら敵の二、三を射殺しても構わないと、医師諸共に短銃を持ち直し、彼方の茂林に対し目配せすると、茂林の縄を持って居る蛮人の手も知らず知らず弛(ゆる)んで居た所なので、茂林は出し抜けに全身の力を以て、その者を突き倒し、縄のままで平林と寺森の間へ飛んで返えった。

 この早業には野蛮人もアッと驚き、如何にして虜が逃げ去ったのか、はっきりとは理解することが出来ない程の有様で、何事をか叫び立てると、今まで笑い動揺(どよ)めいて居た一同も、それと気付いて非常に驚くと同時に、非常に怒って、此方(こちら)に襲い掛かろうとする有様なので、あらかじめ平洲の命を受けていた通訳二人は、急いで敵の大将の胸に小刀(ナイフ)を当て、高声に、

 「汝等少しでも騒ぎ立てたら、此の大将をを刺し殺すぞ。」
と云うと、大将自身も自分の身が、甚だ危ういのを知り、声を放って、
 「此の人達の手際は本当に神様の様だ。手向かいするのも無益だから、静かにせよ。」
と命じた。

 手下一同も真に平洲等の手際を、人間業では無いと迄に思い初めた際なので、怒りは変じて恐れと為った様子で、無言で此方の人々に見惚(みと)れるばかりであった。
 この間に平洲は茂林の縄を解き、又通訳を以て大将に向かい、

 「吾等は少しも汝等を害しようとする者では無い。唯だ汝等に捕らわれた友人を、救おうとする丈の意図なので、大人しく天幕の中を調べさせよ。」
と言い、大将が力無く承知して、その意を手下に伝え終わるのを待ち、平洲、寺森、茂林の三人で大将を守り、

 残る一同には敵から不意撃(うち)に合わない様、銃を持たせ、油断無く八方に目を配りつつ、蛮人の天幕の中に入り、一方から順々に調べると、茂林の上被(うわぎ)、及び所持品などは見附かったが、不思議や與助の姿は見えなかった。

 與助が此方(こちら)へ捕らわれて来たとの証跡さえも見当たらなかったので、何様怪しさに耐えられず、昨夜茂林を捕らえた一同を、順次一人宛(づつ)呼び出して、問い詰めると、如何にもジッダの町尽(はず)れで、亜拉比(アラビア)風の長被(ながぎ)を着た白人を生け捕り、駱駝の背に縛り付けて来たが、後から馬で追って来たが人あった。

 時々この隊を呼び留めようとする様に声を掛け、それに鉄炮を放つので、この隊は只管(ひたすら)に道を急ぐと、今朝三時になって、その人は益々間近くなり、鉄炮も次第に頻繁になったので、隊は少し横道に返し、駱駝を寝かせて盾と為し、その陰に潜(ひそ)んで居ると、弾丸が尽きたのか、鉄炮の音は止み、唯だ叫び声だけが時々聞こえる事と為ったので、

 一同は駱駝の影から現れ、寄って集(たか)って其の人を捕らえてから、同じく駱駝に着けて引き上げたが、此所(ここ)に帰って見ると、最初にた捕らえた一人は、一同が駱駝を寝かして、後の一人を捕らえに行った間に、自ら縄を解いて逃げ去ったと見え、縛った縄の解けたのを見るのみで、その人の姿は見えなかった。

 一同も其の時は混雑に紛れ、そ人が居なくなったことに、気付かなかったので、今その人が何所に居るのか、尋ねる当ても無いと云う。その言葉に偽りがあるとは思われない。何人に問うても同じ返事を為し、その上、茂林の鑑定でも何うもこの言葉の通りに違いないと云う。

 左すれば與助は此の所までも来て居ない。途中で甘(うま)く縄から辷(すべ)り抜けた者と見える。辷(すべ)り抜けて何所に行ったのだろうか。今なお砂漠の中で迷っているのか。或いは徒歩でジッダの方に帰って行ったのか、将(は)た又更に他の蛮族にでも捕らわれたのか、是れは容易には解くことが出来ない一疑問である。



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