巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou53

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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          第五十三回 兵士達のストライキ

 船は水草の生い茂る浅瀬に乗り入れ、殆ど後へも先へも動けなくなった。しかしながらガゼルの河がナイルと違い、船の往来に非常に難い事は、前から覚悟していた所なので、一行はそれ程は驚きはせず、兵士及び人夫の中から五十人ほどを河に下ろし、之等をして水草を掻き分け、船を引かせた。

 此の河一帯には鰐や、水馬などと云う恐ろしい魔物が棲(す)み、時々人夫を害しようとする事はあったが、その度に此方(こちら)から平洲、茂林両人が銃を発して追い払い、何の禍も無くて済すんだ。その中に浅瀬の中にも所々、水のやや深い所が有り、船は止まっては又行き、行っては又止まり、辛くも三十町(約3km)ほども進み、漸(ようや)く浅瀬の一方を切り抜けて、淵の様な所に出る事が出来た。

 この先にもこの様な場合は有ることなので、兵士や人夫を労(いた)わって酒肴を與え、淵に出た幸いを祝して帆を揚げると、素より淵ばかりでは無いが、夜に入るまで船が閊(つか)える所は無く、先ず無事に数里(数km)を進んだが、夜の九時頃になって再び前の様な浅瀬と為った。

 ここも同じく人夫を水中に下ろすより外、進むべき手段が無いけれど、夜中では鰐が襲って来るのを見分ける方法が無く、非常に危険な業なので、夜の明けるまで船を止めることとは為った。

 船員一同はライオン、その他猛獣の遠音に、屡々(しばしば)夢を破られたけれど、何事も無く夜が明けたので、老兵名澤を呼び、直ちに昨日の様に人夫兵士等を河に下ろし、道を開かせよと命じたが、凡そ一時間を経ても、水夫等が河に下りた様子は無かった。

 平洲、茂林等は夫人の室に集まって、様々な談話をして居たが、老兵名澤は当惑した様子で入って来て、
 「人夫も兵士も罷業《ストライキ》を企て、今朝は寝て居て起き上がりません。私が其の中の主だった者を或いは叱り、或いは鞭打ちなどをしても、一同は非常に強情に構えて居ます。」
と云う。

 気の早い茂林は火(かっ)と怒って立ち上がるのを、芽蘭夫人は之を止めて、名澤に向かい兵士人足等が何の口実で罷業(ひぎょう)《ストライキ》を行っているのか、給金の割り増しを望んで居るのかと問うと、

 名「イヤ何の口実も無く、兵士の云うには、吾々は敵と戦い一行を保護する役なので、船を動かすことは役割では無いと云い、人足も水夫の約束で雇われたのでは無いと言い張ります。」
 然らば別に給金を増し、以後兵士へもこの様な場合には、水草を押し分け、船を引くと云う約束をここで新に結ばせなさいと、夫人が穏やかに言い出すと、茂林は躍起と為り、

 「イヤ彼等が不平を増す度に、給金を増して遣っては一同愈々増長し、遂には手に余る事になります。ドレ私が行って目に物を見せ、充分彼等を懲らしめて遣ります。名澤の鞭の打ち方が未だ手緩(ぬる)い。」
と言って立ち上がった。

 成ほど茂林は既に兵士人足等から恐れられて居る身なので、彼等を打ち懲らして働かせることは難しくは無い。しかしながら平洲は余り雇い人を打ち懲らしなどして、その身体を傷める事は不得策だとし、
 「イヤ茂林君、僕に任せ給え。穏便な手段が有るから。」
と云い、茂林の承諾を得て、老兵名澤と共に室外に立ち出でながら、

 「名澤、彼等に朝飯を食わせるのは何時頃だ。」
 名「七時半です。今既に用意して居ます。」
 平「好し、その用意を止め、賂い室に錠を下ろして置け。」
と云い、更に意を含めて名澤を退けたが、是れから数時間を経、既に食事の刻限を過ぎた頃に、彼等はやや飢えを感じたと見え、静かに寝て居た者が追々に起き上がり、頻りに何事をか呟(つぶや)き始めた。

 やがて其の中の最も口達者な者であろうか、夫れとも最も腹の空いた男ででもあるのか、自ら進み出て名澤に向かい、
 「吾々は腹が減った。」
と云う。名澤は平洲の言い含めを守り、
 「腹が減ったら食事をするのが好いだろう。」
と答えるとその者は、

 「でも食い物を持って来て呉れないから。」
 「では自分で賄(まかな)い船に行って、取って来るのが好いだろう。疾(とっ)くに食事の時間は過ぎて居るから。」
 此の返事を聞くや一同は、
 「そうだ。」
と云う様に頷(うなず)き、先ず十人ほど船と船との間に渡す板の橋を争って伝って、賄いの船へと乗り込んだが、賄いの部屋は戸を閉めて寂然(ひっそり)と静まって居るのに呆れ返り、互いに顔を見合わせるばかり。

 平洲は此方(こちら)から暫(しばら)く彼等の呆れる様を、心に笑って眺めた末、通訳を引き連れて宛も偶然の様にその所に行き、不思議で仕方がない様子を顔に示して、黒人等に向かい、
 「呼びもしないのに、何故起きて来たのだ。」
と問う。

 黒「吾々は朝飯を食う為に。」
 平洲は益々驚いた様子で、
 「何だ。お前等は今日一日業を休んで、寝て居ると云う事ぢゃ無いか。此の船は二日間の兵糧しか無く、早く「ノエル」地方へ着いて、肉類を買い入れる積りだから、同所へ着く前に一日休んで費やしては、食物が尽きて仕舞う。一日休むなら食わずに休まなければならない。

 俺はお前等が食わずに休む事は承知して居た。
 食わずに居なければ休まれない。だからと言って食って休んだなら、食い物の有る地方へ達する前に糧食が尽きる恐れが有る。誠に退引(のっぴき)ならない道理なので、此の船を立ち去って外に食わせて休ませて呉れる、新主人を求めるのが好かろう。
 お前達が立ち去れば、船はずっと軽くなり。残る人々を四艘の船へ割り振れば、何の様な浅瀬でも通るから。」
と云う。

 この平気な言葉は、直ちに彼方の胃の腑へ應(こた)えたと見え、彼等は再び船に帰り、又も評議を初めたが、平洲の思う事が図に当たり、やがて一同水中に降り立って、昨日の様に船を引き初めた。



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