巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou77

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第七十七回 白女とは私の事

 芽蘭(ゲラン)夫人を指して、先ず茂林の妻であるかと問う魔雲坐王の心中には、何か一物有るのではないか。
 茂林はそうと迄も疑わず、
 「否、我は未だ妻を持って居ない。」
と答う。

 此の返事は実に並み居る蛮人等を驚かせた。此の国の様に男子二十歳以前に妻を持ち、しかも妻帯を人間第一の目的と心得て、百人二百人の妻を一人で携える王さえ有る土地の者共、卅歳を過ごし、男子が未だ無妻であると聞いては、殆ど理解する事が出来ない。

 全くに開いた口が塞がらない有様なのに、先程君主と見違えられて辛(やっ)と安心した彼の與助は、一同の開けた口に輝いている白い歯を見て、若しも此の歯に噛まれてはト又顔色を失った。

 王は押し返して、
 「然らば此の美しい女は誰の妻だ。」
 茂「誰の妻でも無い。吾々の妹である。」
 此の返事も又、王に非常な不審の念を起こさせた。此の国においては、妻が夫に従って旅行する事は有っても、妹が兄と共に旅するなどは絶えて無い事柄である。

 兄弟は他人の初めと云う諺もあ有るが、此の国においては、兄弟姉妹は全くの他人である。その間に何の愛(いつくし)みも存することは無い。
 「妹ならば、遥々御身等と旅する事は不思議では無いか。その訳を聞かされよ。」
 茂林は四辺を見回し、

 「サアその訳とは、この様な大勢の人の前では言う事は出来ない。だからこそ唯今も王に秘密の面会を求めたのだ。明日の夕涼(ゆうすぎ)に来て、廷人を退けられた後で、弛々(ゆるゆる)とお話し致しましょう。」
 「好し、その時に聞こう。」
 是で初の面会は終わった。

 王は自ずから身を起こし、廷人達に送られて、数百の妻を待たせてある後宮の方に去り、一同は彼の式部長官に送られ、更に王の厚意で命じられたと思しき、五十人ほどの黒兵に護られて小屋に帰った。

 夕刻になって、王から数斤《数kg》の獣肉を贈って来たので、数月以来、旨い鮮肉を口にしていない一行は、何よりの馳走と喜び、直ちにその料理を命じ、王には更に返礼として、小形の楽器を送って、やがて打ち寛いで夕飯の卓を囲むと、独り與助だけは顔の色が非常に悪(あし)く、毎(いつ)に無く鬱(ふさ)ぐ様子なので、人々は左右から其の仔細を問うと、

 「ハイ私は先程見た廷人等の白い大きな歯が、未だ目に附いて消えません。此の様な肉を贈り、我々を肥やして置いて、其の上で捕らえて喰う積りでは無かろうかと気掛かりです。」
と益々打ち萎れて答えるので、一同はその臆病なのに驚いてドッと笑った。

 中でも茂林は、
 「貴様の様な臆病者が何して先アアラビアから、此の国のバヒャウダの沙漠まで独りで旅行ができたのだろう。」
と叱り懲(こ)らしめると、
 「ナニあの時は独りで旅行したのでは無く、奴隷商人に捕まって、無理に連れて来られたのです。」
と真面目に実際の事を告白するのもおかし。

 この様な中にも一同が気に掛かるのは、果たして芽蘭男爵が此の辺を通ったのかどうかの疑いである。王はドイツ人シユ氏の事を何度も話したけれど、男爵の事は絶えて口に出さない。男爵はシユ氏より後に来た事になるので、王が若し男爵を見たとすれば、シユ氏の事から男爵の事を更に詳しく記憶していて、余計に言い出す筈である。

 それが一言も云わないのは何の為だろう。男爵が或いはここを通らなかったからか。それとも王が男爵に何か秘密の処分を施した為、意図的に隠しているからなのか。それも是も、明日夕涼みの面会には分かるに違いないと、只管(ひたす)らその時を待っていたが、今は既にして翌日と為り、約束の時刻も来たので、又も昨日と同じ同勢で、茂林を先に立てて王宮に行くと、今日はヒッソリと静かにして、一同を迎えるための用意が整って居るとも見えない。

 さては初対面と違うため、一切の式を略したのだろうなどと思って、先づ例の式部長に意を通ずると、式部長は退き、数刻の後に出て来て、王の言葉を伝えて、
 「昨日白人が伴って居た、彼の美しい女一人に面会する。彼女のみを奥へ通すように。」
と云う。

 是は意外な言方である。何の為め王はこの様な心を起こし、又何の為一同を芽蘭夫人から分かとうとするのか。礼儀を知らない蛮王とは云え、余り無礼な言い方なので、気短い茂林は第一に赫(くわっ)と怒り、

 「失敬な奴だ。踏み込んで舌の根を引っこ抜いて呉れようか。」
と云い、腰に着けた短銃を探り試む。平洲も同じく立腹し、
 「此の様な言葉に応じられる者か。」
と云い悪い事にも立ち到りそうな剣幕である。

 芽蘭夫人は二人を制し、
 「ナニ王の言葉に応じさえしなければ、何もそうお腹立ちには及びません。先ず静かに相談しましょう。たとえ私が唯独りで、王の前へ行った所で、別に危い事などは有ろうとも思われませんが、唯だ蛮人と云う者は、少し此方(こちら)が甘く出れば、図に乗って何処までまでも無理を言い募りますから、ここで王の我儘(わがまま)な言い分に従えば、此の次は又更に何の様な事を言い出すか分かりません。

 白人ははその様な我儘(わがまま)には従わないぞとの意を示す為め、此のままここを退きましょう。ハイ退いて王がその非を悟るまで、小屋に帰って居るとしましょう。」
 此の穏やかな言い分には、寺森医師が第一に賛成し、続いて平洲も茂林も実にその通りだと悟ったので、威儀を正して退りぞこうとすると、何と思ったのか、独り彼の帆浦女は周章(あわて)て、両の手に平洲と茂林との手を捕らえ、一生懸命に引き留めながら、

 「お待ちなさい。お待ちなさい。貴方方のお考えは、大いに誤解の恐れが有ります。」
 何事だろうと両人は帆浦女の顔を見詰めると、帆浦女は躍起の有様で、
 「王が白人の女、唯一人寄越せと云うのは、芽蘭夫人を指したのでは無いでしょう。」

 アア夫人を指さずして誰を指すことがあろうか。誠に異様な事を云う者かなと両人(二人)が未だ納得する事が出来ずに居ると、
 「白人の女とは夫人一人で有りません。私も確かに白人の女です。取り分けて王は昨日私に老いた女と云い、敬称をまで加えた事は、寺森さんが良く御存じです。ネエ寺森さん。王が逢おうと云う白人の女とは、多分私の事だろうと思います。」

 平洲と茂林は呆れ返り、暫しが程は返事も出なかった。



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