巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou82

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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     第八十二回 水泡に帰した魔雲坐王への思い  

 是から魔雲坐王と帆浦女との間に在った事は、一々は知り難いので、唯だ後で老兵名澤、その他の通訳が聞き探った所と、帆浦女自らの白状した所を斟酌(しんしゃく)して記すだけとする。

 帆浦女が、若し王の且つ驚き且つ怒る顔色に気が附けば、直ちに言葉を改め詫びでも言って立ち帰るべきだったが、王が自分の振る舞に立腹するだろうなどとは思いも寄らず、只全く自分に心酔しているとのみ思込んでの事なので、帆浦女は喃々喋々(なんなんちょうちょう)《小声でべらべらと》と語たっていると、その一語その一句に王は益々呆れ、制し止める事も為さなかった。

 制せず止めないのは、是れは我が言葉に感動しているのだと、帆浦女は愈々(いよいよ)取り違えて、愈々深入りし、果ては釘抜きの様な手を延ばし、王の身に縋(すが)ろうとまでするのを、王は堪忍の緒も切れたと見え、立ち上がり様に帆浦女を押し退けながら、両手を打ち鳴らして従者を呼んだ。

 帆浦女は流石野蛮の国だけに、王が女を愛するにも、押し退けて置いて、手を打つなど、異様な儀式も有るものだ、さては商人が取引の約定が極まった時、手を拍(打)つのと均しいやりかたをするのかと、真逆(まさか)此の様には思わないだろうが、何の意なのかを理解出来ず、王の顔をのみ眺めて居ると、王は拍手に応じて入って来た従者に向かい、後宮の女どもを皆ここへ呼び出だせと命じた。

 帆浦女は「女」と云う言葉丈を聞き取ることが出来たので、或いは「是なる白き女を宮中に留める用意をせよ」
と命じたろだろうなどと考え、早や我が事の成就した様に思う間も無く、王の妻、凡そ二百人ほどがゾロゾロと入って来て、王と帆浦女とを囲んで立ち、一同非常に不機嫌な様子で帆浦女の顔を眺め初めた。

 此の女等の様子には何と無く不穏の所が見えるので、ここに到っては帆浦女も幾分の恐れを催し、如何に成り行くことかと心密(ひそか)に危ぶんでいるうち、王は声高く一同に向かい、帆浦女を指し示して、

 「妻等よ、この痩せた竿の様な女は、我に向かい、妻に成り度いと言込み、後宮に居る汝等を皆追い払って、独り我が寵を専らにしたいと言い出している。我れはこの様な狂女に返事する心は無い。此の女をここで汝等に引き渡そう。汝等存分に処分せよ。」
と言い放った。

 それで無くても、帆浦女が王と差し向かいで、此の部屋に居たのを見て、既に嫉妬の念を催して居た一同なので、此の言渡しを聞くやいなや、口々に帆浦女を罵(ののし)り初め、四方面から徐々(そろそろ)と近づいて来た。王は此の様に見向きもせず。我が用事は之で済んだと云う様に、此の部屋から退くと、後は唯だ二百人近い黒女が、帆浦女一人を目当てに、嫉妬の怨みを返そうとする復讐の戦場であった。

 「何と言うことだ、此の怪物の様な女が、我々一同を追い払うとな。」
と一同は言い伝え言い伝えると見る間に、その中の最も勇気ある者達が、衆を押し分けて前面に進み出て、拳を振り上げ、歯を剥いて、怨めしそうに迫って来ると、後から後から、その例に見習って押し寄せて来た。

 やがて衆口一斉に、帆浦女の身に唾する事雨より繁しかった。
 聞いた事も無い、この様な侮辱に遭った帆浦女は、我が過ちから招いた禍(わざわい)である事を忘れて、烈火の様に怒り、叱り立て罵(ののし)り立ったけれど、その甲斐が無かった。

 それで両手を振って片端しから、近寄る者を殴(なぐ)り倒そうとしたが、鬼神の力があっても、一人の身を以って如何して二百人に敵する事が出来ようか。擲(なぐ)るに従い黒女の怒りは益々募り、或いは帆浦女の足を取り、或いは手を取り、
 「床の上に転ばして踏み殺せ。」
との恐しき言葉さえ口から出初めた。

 帆浦女は此の言葉を理解する事が出来なかったが、たとえ理解出来ても、衆口囂々(ごうごう)として聞こえては来なかったので、何様逃げるより外は無い場合と成ったので、長い足で蝗(いなご)が跳ねる様に跳ね廻り、捕まる者は振り払い、前に塞がる低い者は飛び越え、高い者は蹴倒すなど、獅子奮迅に駆け廻っていた。

 唯幸いにして敵は黒女中の背の低くくて、肥太った者達を選集めた者なので、一進一退思う程敏速では無いので、帆浦女はヨーロッパの女でも珍しいほど頑丈の質で、全身皆筋と云う有様だったから、右に跳ね、左に飛び、容易に手込めにはならなかった。

 その中に帆浦女の服は所々裂き取られて、彼等の手に残り、果ては膚も過半は現らわと為り、その現らわな部分には、彼等の抓(つね)った痕、引っ掻く痕、隙間も無く血の流れ出る所も多かった。

 しかしながら帆浦女は、心の激動に其の痛さをも覚えず、一歩でも戸口の方を指し、藻掻いて寄ろうとすると、何時か衣服は全く千切り取られ、赤く腫れあがった條々たる丸裸と為り、汗に塗れて逃げ惑う様は、気の毒としか言いようが無かった。



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