巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou84

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第八十四回 王の決意

 全く茂林の恐れた通りになった。帆浦女の過ちで、王の心に白人を尊敬する念慮を薄くさせた為に、王は大胆にも芽蘭夫人を妻にしようと、結婚の意を言込むに至ったのだ。王が夫人を天女の様に思い、唯だ見惚(みと)れるに止まって居た間は、まだ逃るべき道も有ったと思われるが、妻にしようと明らさまに言出した今と為っては、全くその道は絶え果てた。

 魔雲坐王の領内で、魔雲坐王の望みに背く事は、到底出来得る者では無い。強いて背(そむ)こうとすれば、唯だ殺される迄の事である。だから一同は、此の申し込みに、口さえも聞く事が出来ないぽど驚いたが、医師寺森は漸く思案を定め、
 「何うも仕方が無い、良く相談して後から返事を仕ますと云って、使を返すしかない。」

 平洲は更に考えつつ、
 「イヤその様なその場逃れを言っても駄目だ。相談の上返事すると云えば、王は此の後、毎日の様に返事を催促に来る。そうなれば事は益々困難だ。」
 「でも故無く断れば、忽(たちま)ち王の怒りに触れる。その時には王に殺されるしか無いが、それとも彼れが怒らぬ様、旨く断る工夫が有るのか。

 此の問には平洲も答える事が出来ない。
 「サアその工夫が無いから心配するのだ。」
と云い、空しく嘆息の声を漏らすと、今まで無言のまま考えて居た茂林は、何か思案が浮かんだのか、突(つ)と身を起こして、

 「ここが我々の生死が決まる場合だ。到底無事には逃れる事が出来ない者と覚悟し、王に殺される積りで断らなければならない。唯だ王は野蛮人に似合わず、多少の道理は分かるから、成る可く道理らしく言い廻して、断れば萬に一つ助かるかも知れない。それとも君等に萬全の策が有れば、兎も角だが。」

 平洲、寺森口を揃えて、
 「素より僕等にその様な策は無い。」
 「無いならば、ここで王に殺されると云う、最後の決心を定め、そうして僕に任せ給まえ。萬に一つ助かるも知れないから。」
と云うと、実にその様に最後の決心を定めなければ成らない場合だ。

 平洲は直ちに同意し、 
 「無論此の申し込みに応じる事は出来ないから、殺される者と覚悟しなければならない。そうして、萬に一つでも、助かる見込みが附く策が有れば最上だ。その通り遣り給え。全く君に任せる。」
と云う。

 言葉と云い、様子と云い、真に最後の決心を定めた様子だが、平洲程には猛々しくはない寺森医師は非常に驚き、
 「先ア、待ち給え、死ぬ決心は何時でも出来る。僕が夫人に相談して来るから。」
と云い、顔色を変えて夫人の許へ行き、仔細を語ると、夫人は少しも取り乱す所なく、

 「私はもう何も彼も平洲、茂林及び貴方とお三人の相談に任せます。自分では何の思案も出ませんから、お三人の評議の結果、何の様になり行こうとも、少しも恨む所は有りません。」

 是は明らかに、場合に寄っては死ぬのも厭わないとの意を含む者だったので、寺森はその意を察し、夫人でさえ、この様に覚悟しているのに、どうして我れ独り卑怯な心を起こすことが出来様かと、非常に自らを励まして、見違えるほどに落ち着き、平洲、茂林の許に帰って、

 「遣り給え、夫人は君方の為すが儘(まま)に任せると云って居る。僕としても同様だ。何も彼も両君のする事に任せる。」
 是(ここ)に於いて茂林は外務当局の大臣と為り、非常なる外交交渉の任に当たろうとする人の様に、威儀を正して使者の前に出るのは、如何なる返事をしようとする意んあのだろうか。平洲も寺森も息を凝らしていると、茂林は顔に幾分の怒りを示し、

 「王の此の申し込みは、吾々を友と見做しての事か。或いは敵と見做しての事か。その意を聞かなければ返事する事は出来ない。帰って此の旨を王に伝えよ。」
と言い放った。

 使者は意を受けて退(まか)りしが、暫くして又来て、
 「王は無論白人を友と見做してである。王より結婚を申し込まれる事は、白人の名誉では無いか。友と思えばこそ、此の名誉を與(あた)えるのだ。」
と答えた。

 アア王、此の申し込みを以って、白人の名誉と為る如くに思い、恩に着せる事の様に考えているのか。その様な考えでは、之を断る事に成ったら、王の怒りは、益々甚だしくなるに違いいないと、平洲も寺森も危ぶむと、茂林は又使者に向かい、

 「怪しからぬ王の言葉かな。王には数百人の妻があるのでは無いか。数百人の妻の中へ、我等の妹をも加えようと云うのは、吾等の妹を辱(はずか)しめる者である。既に数百人の夫である王が、更に吾等の妹にまで夫に成る事が出来る筈は無い。」
と言返した。

 使いは再び退りぞいたが、又も何事をか言って来るに違いないと、凡そ一時間ほど待って居たが、又来る様子は無く、却って王宮の方に当たり、頻りに囂々(ごうごう)たる人声が聞えるので、或いは彼王、気早くも早や此の方を攻め亡ぼす積りとは成ったかと、直ちに老兵名澤をして探らせると、名澤は頓(やが)て復命し、

 「王は臣下の無妻の男達を集め、後宮の女を悉(ことごと)く臣下の妻として分かち與へると云う事で、アノ囂々(ごうごう)と聞こえるのは、寄り集まった臣下らが、喜んで叫ぶ声です。」

 此の復命には驚かない訳には行かなかった。さては彼の王、後宮に在る己が妻を悉く臣下に與え、その身は全く無妻と為り、
 「サア我れはこの様に一身と為った。是れならば白人の妹を妻とするのに問題は無いだろう。」
と言って来た。

 文句を言わせない心と見える。王が数百人の妻に代えてまでも、一人の芽蘭夫人を得ようする其の熱心は、今までの挙動に照らして怪しむには足りないが、一同の為には困難に困難を重ねる者なので、三人は顔と顔を見合わせて一語も無かったが、此の所へ又走せて来る名澤の手下は、更に驚いた様子で、

 「イヤ王が臣下へ呉れるのは先代の王から受嗣(継)いだ妻だけです。自分の代に集めた妻は、自分の存命中に他人の妻としては、王の威光に障(さわ)るとの事で、悉く打ち首にすると云い、既に首打ち役が、大勢其の用意を初めて居ます。首を打たれる妻の数は百二十余人だ相です。」
と云う。

 アア是ほどの残酷が又と有るだろうか。自分の妻を他人の妻にすべからずとは、無理も無いけれど、百二十余人を一度に殺すとは、是れを見過ごして置いて良いだろうか。畢竟是等も茂林の掛引きから起こった事なので、実に捨てては置かれない事だ。

 アア困難は果たして益々困難とは成って来た。



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