巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou86

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

since 2020.7.8

a:213 t:1 y:0

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

        第八十六回 結婚の承諾を

 百余の皿に女の生首一個づつを盛り、之を引き出物に贈ろうとは言い様の無い残酷だが、我が妻百数十人を殺してまで、一人の芽蘭夫人を迎えようとする、魔雲坐王の熱心さは驚くばかりだ。苟(いやし)くも夫人の為とならば、此の王、如何なる難題をも辞さないに違いない。

 王は更に皿を指差し、その数を検めようとするので、三人は殆ど身震いを催したが、茂林は自ら外交の難局に当たろうと決意した丈に、先ず口を開き、
 「イヤ吾等の妹は、王が百余の妻を殺す事を好まない。その命を助ける様王に頼んで呉れと云った。」

 王は自分の親切を美人が有り難くは感じないのかと、非常に失望の様子で、
 「では我に百余の妻が有っても差し支え無しと云うか。それは前言に背くのでは無いか。或いは我が妻に成る事を断る積りか。」
と血相を替えて言い出したのは、益々以てその情の切なるを知るばかり。

 そうだと云えば彼れの怒りは殆ど留め度も無い程になるに違いない。
 「否、吾等の妹は王が後宮をさえ廃すれば好いと云っている。百余の女が生き存(ながら)うとも、最早や王の妻では無いと云う事が分かれば、満足するでしょう。」

 王は漸く心が解けて喜びの色が溢れる許りと為り、
 「何とや、妹御が真にそう云われたか。我に妻さえ無くなればと。」
 「そうだ、そう云った。故に百余の女共の命は助けて遣るように。」
 「助けようにも助ける道は無い。一たび王の妻になった者は、その王の生存中は、決して臣下の手に触れさせないのが此の国の習慣である。活(いか)して置いては必ず臣下の手に触れるに違いない。今殺すしかない。」

 「臣下の手には渡されなくても、吾等は御身の臣下では無いので、吾等に渡すのは問題は無いはずだ。」
 王は忽ち合点が行った様で、
 「アア御身等が妻にするのか、然り然り、命を助けて御身等の妻とし贈ろう。百余人の黒い妻を送り、我は一人の白い妻を貰う。誠に双方満足な交易である。」
と云う。

 その考えの浅果(あさはか)な事は、殆ど笑うに耐へたれど、野蛮人の智は是位の者なので、その浅果なる丈け却って相手にはし易いと、茂林は寧ろ安心し、
 「否、吾等の妻としてでは無い。吾等の妹が請受けるのだ。妹の物とするにだ。」

 王は少しく怪しんで、
 「何の為めにーー。」
 「妹が奴隷として、腰元に使役するが為である。 」
 王は手を拍ち、
 「アア合点が行った。吾が手で一思いに殺しては、面白みが無いので、御身の妹が奴隷として日々苦痛を与へ、一人二人づつ嬲(なぶ)り殺しにする積りなのだろう。

 我は喜んで承知しよう。今からして我が妻百余人は、御身の妹である彼の白女の奴隷である。命を助けて引き渡す事にしよう。」
と云い、王は直ちに従者を呼び、死刑の執行を見合わせよと命じた。

 是で先ず、憐れむべき百余人の命だけは救う事が出来たが、是れが為に芽蘭夫人を王の妻とする事は、到底逃れる道が無く成る事と為った。
 寺森医師は独り気を揉み、或いは平洲の背を突き、或いは茂林の手を引いて、
 「君等は芽蘭夫人を犠牲にする積りか。」
などと小声で言ったが、王も最早や全く白女を妻とする約束が為った様に思い、
 「この様に決まれば、成る丈早く婚礼の日を取極めなければならない。白女は幾日から我が許に来ようとしているのだ。」

 茂林は心に目算の有る事と見え、全くの平気にて、
 「吾等の一存にては決し難い。吾等には父がある。吾等の父は白女の父なり。婚礼の日は父の許しを得て取り決める外は無い。」
 父とは何者を指すのだろうか。実に是れは意外千万な言葉なので、魔雲坐王は驚くと共に、又怒った顔色を現し、

 「父とな、父とな、父は御身らと共に、此の地へは来ては居ないのでは無いか。父は全く余を知らない人である。又余も知らない人である。知らない余に向かって、何うして一女を呉れる事を承諾することが出来る。」

 茂林は更に平気で、
 「或はそうかも知れない。その様な時には此の婚礼は破談と為る迄である。此の国にも娘の婚礼には、父の承諾を要する習慣の有る所は、有るに違いない。

 吾等の国では、女たる者、父の承諾を経なければ、決して婚礼する事は出来ない。我等は深く自国の習慣を重んじる者なので、何の事情があろうとも、父の許しを得ずに妹を結婚させることは出来ない。」
と興の醒める様な言い分に、魔雲坐は黒い顔が紫色と為る迄に怒ったが、心中には、夫人に対する恋恋の情が満ちて居るので、漸く自ら制し、叱り附ける様な口調で、

 「吾れは、如何にしたら御身の父に承諾を乞う事が出来るのだ。御身等の父は幾千里隔たった、御身等の生まれた国に居るのではないか。」
 「否、否、幾千里も隔たって居るならば、吾は決して御身に父の許しを得よなどとは云わない。我等の父は吾等より先に生まれた国を出で、ここから程遠くない所に在る。吾等実は父の許を尋ねて行く者なのだ。多分は是より南方の土地に、捕虜と為って居る事と思われる。」
と云う。

 寺森は漸(ようや)く合点が行った。さては茂林、禍を利用して幸いと為し、夫人の夫芽蘭男爵を、夫人の父と云做(いいな)して、此の王を尋ねさせる積なのだろう。
 王は半信半疑の有様で、茂林の心中を読み破ろうとする様に、鋭く顔を眺めたけれど、茂林は顔は飽までも誠しやかに、飽く迄も真面目にして、筋一本すらも動かさない。

 一行の運命は殆ど、唯だ茂林の顔の動き方一つに、繋がっている場合だと云える。



次(第八十七回)へ

a:213 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花