巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou87

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第八十七回 茂林の巧みな交渉

 夫人の夫芽蘭(ゲラン)男爵をば夫人の父であると言って、魔雲坐王に其の行方を探させようとする事、実に禍いを転じて幸いと為す策であるが、果たして魔雲坐が之を信ずるか如何か。

 王は少しの間茂林の顔を見詰めたけれど、嘘であるか誠であるかを、読み取る事が出来ないと云った風に、更に言葉を鋭くし、
 「真に白女の父が此の国に居るならば、御身等は何故早く其の事を吾に告げなかったのだ。

 先に御身等は唯だ我に逢う為に来たと云い、今初めて父を尋ねる為だと云うのは、怪しくはないか。」
と急所を狙って詰る様は、誠に侮り難い敵である。
 茂林は更に平気で、

 「だからこそ吾等は最初の日、直に御身へ秘密の面会を請い願ったのだ。御身が秘密の面会を許しながら、愈々(いよいよ)吾等が打ち連れて来た時、唯だ白女一人を通せと云い、吾等一同を拒んだのではなかったか。
 彼の秘密の面会は、吾等此の父の事を語ろうとする為だったのだ。
吾等が隠したのでは無く、御身自ら聞く道を防いだのだ。」

 尤もな言い開きに、王は又考えて、
 「併し其の後、吾れは何度も御身等の許を訪ねたが、其の席で御身等が一言も父の事を言わなかった事は納得が行かない。」
 「その通りだ。吾等は一旦秘密の面会を断られた為め、再び御身には父の事を話さ無い事にしようと決したのだ。今は話さざるを得ない場合と成った為め、仕方なく話すのだ。」

 之で一応の言い開きは附いた。魔雲坐王は更に考え、
 「それにしても、其の父は如何して其の国よりも南方へ行ったのだ。どの道を通ったのだ。」
 「吾等と同じ道を通ったのだ。我等は仏国から、父の行方を探りながら来たが、此の土地に来るまで、どの所でも父の通った事を突き留める事が出来た。だから吾等の来た道は、総て父の来た路である。」

 「然らば父は余の国にも入り込んだのか。」
 「勿論である。」
 「その様な筈は無い。吾は異国の人を見、其の人の談話を聞く事を好む。異国の人で此の領地に入り込んだ者は、此の朝廷へ来ない者は無い。」

 「吾等の父は、御身がシユ氏を食い留め、是から南へ行かせない事を、聞き及んだ為め、自分も御身に遮ぎられる事を恐れ、此の朝廷へは立寄らずに、直ちに王弟鐵荊の支配地に入って行ったのだ。鐵荊の支配地は茲から東南方に当たっているのではないか。」

「然らば吾が弟鐵荊が、御身等の父を見た筈である。」
 「そうだ、御身が若し疑うならば、人を遣わして鐵荊に聞け。彼れは必ず白人を見たと答えるだろう。其の白人が吾等の父であることは勿論である。」
と云い、王がまだ納得して居ないのを見て、

 「吾等の妹は父の写真を持て居る、写真とは父の姿を、其のままに写した絵である。御身が若し、其の絵を鐵荊に示し、此の人が来た事があるかと問えば、鐵荊は必ず来たことが有ると答えるだろう。それも未だ回りくどいなら、ここで老兵名澤に問え、彼れは御身の知るシユ氏と共に此の地
あるが為め、吾等は名澤を案内者に雇ったのだ。」

 王は直ちに名澤に向かい、様々に問試たが、固より真正の事実なので、名澤の返事は少しも澱まず、王は之で漸く誠であると認める事が出来た様子で、
 「然らば御身等は、南の方、鐵荊の支配地までも入り込む積りであるか。」
 「勿論父は鐵荊の支配地を過ぎ、更に南方へ行った者と思われる故、其の場合には、吾等も更に遠く南方まで行かねばならない。」

 「白女も共に行こうとするか。」
 「そうだ、未だ夫の無い女を一人、他人の中へ残して置く事は、吾等の国の習慣では、之を許さない。」
 王は少し怒りを帯び、
 「御身等はその様な気儘(きまま)勝手な旅行を、吾等が許すだろうと思って居るのか。妹だけ此の土地へ残して置くならば兎に角であるが。」
と言う。

 茂林の折角の巧みな計略も、殆ど是で破れようとする。
 「敢えて気儘勝手では無い。最初から定めていた通りである。何故に御身は旅行を許さんあいのだ。」
 「白女が一たび南に去れば、決して此の地へ帰って来ないからだ。御身等は、南方から海を伝って帰り去ると云ったでは無いか。」

 茂林は故(わざ)と軽侮の調子を示して打ち笑い、
 「御身は強大国の君主にも似合わない、意気地無い事を言ものだ。多寡の知れた一人の白女を、何所に逃げて行くとも、引き返させることが出来ない事があるだろうか。若し引き返えさせる事が出来ない事に成ったら、御身の権力は、吾等の想って居たのより弱いという者だ。」

 王は奮然として、
 「余、及び鐵荊の支配地ならば、蟻一匹たりとも逃がさない事は簡単な事だが、国境の外に越えては、如何にして引き返えさせる事が出来様か。」
 是れは茂林が待ち設けて居た所である。

 「御身の様な強大な王ならば、真逆(まさか)の時に、吾等の一行を皆殺しにする事が出来る程の大兵を引き連れて、吾等と共に来たらば好いでは無いか。吾等が逃げ去ろうとする場合には、直ちに吾等を殺し、白女一人を連れ帰るのも容易であろう。」

 アア茂林はこの様な口実を以って、是から先の旅行をば、王に護送させようと思っているのだ。王に数多の兵を引き連れさせ、実は一行を護衛する役目を勤めさせようとの計略である。王は大いに驚き、
 「御身等は吾に国境の外まで同行せよと望むのか。」

 「否、必ずしも望むのでは無い、唯だそうすれば白女を取逃がす恐れは無いと、其の手段を説き示す迄の事である。採用するとせざるとは、御身の随意である。唯だ採用して吾等の父の許まで来たならば、父も親しく御身の強い事と、兵の多い事に感心し、歓んで娘を御身の妻とするだろう。

 但し御身が若し、吾等と共に南向する勇気が無く、力が無いならば、強いて南行するするに及ばない。吾等は吾等の一行だけで南行しよう。吾等は自ら世に恐る可き者が有る事を知らないので、御身もきっと旅行を恐れないだろうと思った迄である。

 同行する共しないとも、後刻までに篤(とく)と思案して返事せられよ。吾等は吾が小屋に帰って、其の返事を待ち、返事の有無に拘らず数日の内に出発するだろう。」
と云い、早や暇乞(いとまごい)の意を示すと、王は容易に決する事が出来ず空しく思案の体なので、茂林は更に念を押し、

 「しかしながら御身の妻百二十余名は、既に白女の奴隷に貰い受けたので、御身が再び随意に之を処分する事は出来ない。若し言を違えたならば、白女は必ず御身を、不実の人と恨むこととなるだろう。兎に角今云った事の返事は、今日中に聞かされよ。」
と云い、至難の外交交渉を無事に纏(まと)める事が出来た使臣の様に、威儀を正して王宮から退出した。

 魔雲坐王の返答は如何なる形で来ることになるのだろうか。



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