巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou88

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

since 2020.7.10

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        第八十八回 誠意を示す魔雲坐王

 一同は小屋に帰り暫く待つと、王からり返辞を送って来た。その言葉は、
 「魔雲坐王は全く白人の言葉を信ずるに附き、兵を率いて彼の白女の父の居る所まで白人と同行する。」
と云うものだ。有難や、今までは此の地に骨を埋めなければ成らぬかと、覚悟をして居たのが、茂林の駆引きの宜(よろ)しきを得た為に、直ちに此の地を出発する事が出来るばかりか、護衛として魔雲坐王、及びその兵士をまで引き連れて行く事が出来る事となった。

 そうとは云え、是れから目指して行く先は、如何のような所なのだろうか。地図も無く地名も無い。唯だ大地が尽きる果てに、黒き女人国ありなどと云う妄説を聞くのばかりだ。

 是から日の暮れになって、魔雲坐王から数多の人夫を送って寄越したので、何の意であるかを問うと、王が百余の妻を奴隷として白女に贈るのに附いて、それらを住まわせる小屋を作って与える為であると云う。王の注意は至れり尽くせりと云うものだ。

 勿論百名以上の女を得ても、之を留めて置く所が無ければ、如何しようもない事なので、平洲も茂林も別に王の許へ人を派し、其の厚意を感謝させたが、人夫は其の中に所々の立ち木を其のまま柱に充て、之に葛(かつら)を結び木葉を蔽い、或いは石を重ね土を積みなどして、幾時間も経ない中に極めて粗末な仮小屋を作った。

 小屋が出来上がると共に、百余の黒女を二人づつ縄に繋ぎ、長い列と為して、王の兵が之を守って送って来た。
 王がこれ程まで果断に富み、これ程まで約束を守る事は殆ど気味悪い程ではあるが、又以て王が芽蘭夫人を思う心の一方なら無い事を知るばかりだ。

 やがて百余の黒女を悉く仮小屋には入れたが、縄に繋いだままに置く事は可哀そうなので、悉く解かせたけれど、或いは手足の自由に任せ、逃げ去ることも考えられるので、又或いは蛮民が忍び入って盗み去る恐れも有り、確かな番人を設けなければと相談すると、寺森医師は熱心に進み出て、

 「以前から研究している黒人の皮膚を試験するには、是れほどの好機会は無いので、是非とも此の番人は吾に命ぜられよ。吾は五人の兵士を以って十分に取り締まる。」
と云う。是れは双方の幸いなので、直ちにその請いを許すと、寺森は小躍りして仮小屋の方に行った。

 後に平洲と茂林は言合せた譯ではないが、共に非常に心配な事が出来た様に黙然として考え初めたが、漸くにして平洲が先ず口を開き、
 「君の外交政略で、一時此の難場を逃れる事が出来たのは好いが、魔雲坐王がこれ程まで熱心を示すのを見ては、実に此の次の難場が思い遣られる。」

 「僕もそれが心配で考えて居るのだ。王が我々に従(つい)て来るのは好いが、孰(いず)れ吾々は此の王と分かれる時が無くてはならんあい。その時には只(ただ)で分かれる事は出来ない。何と有っても王は芽蘭(ゲラン)夫人を連れ去ろうと掛るには違い無い。」

 「無論の事サ、その時に王を追い払うのは、寧ろ今日ここで追い払うのよりもっと難かしかろうと思う。」
 「今日ここで追い払うのは到底出来ないから、此の後とても追い払う事は決して出来ないだろう。若し王一人なら、途中で何うともする事は出来るが、数千人の兵を連れて来ては、吾々は宛(あたか)も王の捕虜と為った様な者で、密かに逃げ去る事さえ出来ない。何か好い工夫は無いだろうか。」

 「サアその工夫が無いから心配して居るのサ。」
と云って二人は思案に沈み込み、空しく一行が遠からずして消えようとする事を嘆息すると、この時王宮の方に当たり、パッと火の手が起こり、炎が天を焦がす許りに燃え上がり、更に黒人等が鯨波(ときのこえ)の様に叫び立てる声が物凄い迄に聞こえて来た。

 二人は何事が起ったのだと、直ちに老兵名澤に命じてその譯を探らせると、王は先王、先々王の妻、合わせて二百人ほどを臣下に与え、己れの妻百余人を此方へ送ったので、その身が何処までも潔白な事を白女に示す為め、後宮を焼き払い、更に付属の器具品物等を一切灰と為したものであると復命した。

 二人が心は益々穏やかでなく、王をして妻を捨てさせ、後宮を焼き尽くさせ、更に数千の兵を連れ、旅をさせる事が、総て芽蘭夫人を彼が妻に与えると約束した事から出た者なので、彼れはその約束を充分、十二分に守った後になって、此方から芽蘭夫人を与える事が出来ないとは、如何して言うことが出来様か。

 困難は益々困難に成って来たと、二人は先に外交が旨く運んだ事を喜んだのに引き替え、今は却ってその運び過ぎた事を悔いる程であるが、この様な所へ、非常に気軽な様子で出て来た寺森医師は、二人の心配をも知らないで。
 「サア茂林君、ヤッと一日の仕事も済んだから、是から僕の召喚に応じ給え。」
 茂林は殆ど何の意味かを解し兼ね、
 「何だと。」
 「仮忘(とぼ)け給うな、忘れたと有らば、パリを出る時の約束を読んで聞かそうか。何時でも如何なる場所でも、前回の失敗が相手を召喚する本文は、此の様な時の為に設けたのだ。本文を逐条朗読して聞かそう。」

 茂林は腹も立てられず、眉を顰めて苦く笑い、
 「もう沢山だ、沢山だ。管々しい本文を聞くには及ばぬ。仕方無く召喚に応じよう。」

 「では来たまえ。」
 「ここで好かろう。」
 「イヤいけない。折角賭場を設けて来たから。」
 「では何処だ。」
 「百余の黒女がウジウジして居る仮小屋の真ん中だ。」

 茂林は只呆れて目を剥(む)いた。



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