巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou9

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.4.20


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         第九回 アフリカ同行争い

 平洲文学士の肩に手を当てた茂林画学士は、何事を言い出すのかと怪しまれたが、やがて最も真面目な口調で、
 「平洲君、僕は実に君を憎むよ。」
 平洲も真面目に、
 「そうだろうとも。君と僕とは一緒に旅行するとは云う者の、実は恋争いの敵同士も同様だから、僕も実に君を憎む。」

 「イヤ僕は先夜夫人に、この計画を聞いた時、愈々(いよいよ)夫人と鬼域まで同行する勇気の有るのは、僕一人だろうと実は心に喜んだのに、君が同行するとは実に意外だよ。」
 「僕とても同行者は僕一人だろうと喜んで居た。こうなって見ると唯だ君がアフリカの内地で熱病に罹り、僕より先に死ぬのを待つ許りだ。

 それだから僕は医者を連れないのを賛成したのさ。医者が有っては、折角熱病で死にかけた君の命を、薬の力で繋(つな)ぎ留める恐れが有るから。僕だって医者さえ無ければ、君が先に熱病で死ぬだろうと思ったけれど、又思い直して見れば、もし芽蘭(ゲラン)夫人が熱病に罹った場合に、如何とも仕方が無いから。それで止むを得ず医者を連れて行く気に成った。」

 「そうだ。それだけは賛成だ。」
 「何と平洲君、物は相談だが、君は愈々(いよいよ)出発の間際に成って、急に病気が起こったと云い、この旅行を止して呉れないか。そうすれば僕は恋の競争者で無い、他の道連れを捜し、それを夫人に勧めて君の代わりに連れて行くが。」

 「エ君、その代り君が止してさえ呉れれば、僕は自分の財産
を悉く君に報酬として譲り渡す。」
 「ウム、随分面白い相談だが、併(しか)し財産や金銭の報酬では、承知出来ない。」
 何(ど)うやら見込みの付き相な口振りに、茂林は力を得て、

 「エ、報酬が気に入らないなら、何の様な報酬でもする。エ、君の条件を聞かせ給え。僕はもう何の様な条件でも従うから。」
 「ナニ別に難しい条件では無い。僕は病気と云って一ケ月出発を延ばすから、その間に君は芽蘭夫人を後へ残して出発したまえ。夫人を残して置きさえすれば、僕は病気とでも又は厭に成ったとでも、何とでも口実を作って此の地に留まるから。」

 茂林は担(かつ)がれたかと驚いて、
 「何だと、夫人を残して僕に独りで立てと云うのか。」
 「そうサ、僕の条件はそれだけだ。夫人を後へ残す事が出来ないならば、僕はたとえ本当の病気に成っても同行する。」

「オヤオヤ、君は本当の命知らずだ。」
「君こそ命知らずだよ。」
 「君はその様な事を云うけれど、真にアフリカ遠征の危険な事を知らないだろう。有名な英国の利査孫(リチャードソン)でも、独逸の阿伯悦(オーパウエギ)でも、母牙児(ボゲル)でも、皆途中で或いは死に、或いは殺され、その他鬼域へ這入った人で、一人でも生き存(ながら)えて帰った人は無いのだゼ。

 君も同行するなら、十が十まで死ぬ者と覚悟しなければいけないゼ。余り馬鹿馬鹿しいじゃ無いか。本当に病と称して踏み止まるのが得策だろう。」
と親切らしく説き、相手を臆病風に襲われさせようとすると、平洲は全く臆病風に襲われたか、暫くは無言で唯だ歩くだけだったが、やがて声高く噴笑(ふきだ)し、

 「真に可笑(おか)しい事が有る。君が僕を威(おどか)すその政略は、僕が君に施そうと思った政略と同じ事だ。僕もその通りアフリカで無惨な最期を遂げた人達の、憐れな死様を君に話して聞かせる積りで、この五、六日幾冊の探険談を読んだか知れない。お互いの其の様な政略はもう止め、何うしても双方ともに思い止まらない者として、ここで堅く約束を決めて置こうでは無いか。」

もっともな言葉に茂林も我を折って、
 「何うも君の強情にも仕方が無い。では止むを得ず一緒に立つ事としよう。」
 「併しそれにしても、君と僕との間へ、戦争条規というのも大仰だが、競争条規とでも云う様な、規約を定めて置かなければならない。」

 「それはそうだ。」
 云う折しも、但(と)ある茶店の前に来たので、二人はその内に歩み入り、他人の洩れ聞く恐れの無い別室を借り切って、少しの茶菓を命じ、堅くその中に閉じ籠った。やがて平洲文学士は国際交渉でも持ち出そうとする程の重々しい様子で、

 「茂林君、到底二人とも夫人に随(つい)て行くとすれば、途中で夫人の愛を己れ一身に引き寄せる為、暗に競争するのは必定だが、この競争を敵同士の競争にしようか、或いは友人同士の競争に仕ようか、第一にこの区別を定めて置かなければ。」
 茂林は冷然と落ち着いて、
 「敵同士の競争とは。」

 「外でも無い、途中で互いに謀り事を廻らして、一方の命を取るのサ、譬へば僕の行く先へ君が陥穽(落し穴)を掘って、僕をその中へ陥らせて殺すとか、又は僕が野蛮人に賄賂を使い、それと無く君を殺させるとか、そうして自分一人の天下になるのサ。」

 茂林は微懼(びく)ともせず、相も変わらず落ち着いて、
 「それは何より近道で有るけれど、余り野蛮過ぎる。」
 「では文明的な手段を取り、譬えば埃及(エジプト)辺へ着いた時に、二人で何か争いを始め、その結果として立派に決闘するのサ。埃及ならば吾々の友人が居る事だから、公平に介添人を選ぶ事が出来るし、そうして運を天に任せれば、君か僕が一人は死に後は一人で夫人の愛を得る事が出来る。サア此の相談を決めて置こう。何うだ賛成か、君。」
と真剣に問い掛けた。
 之に対して茂林の返事はどんなだろう。



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