巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou90

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第九十回 鐵荊を尋問する魔雲坐王

 一行が魔雲坐王、及び其の数千の兵に擁護せられて、モンパト地方から更に南行きの途(みち)に上ったのは、千八百七十三年十月三日の事である。
 目指して行く先は孰(いず)れぞ、差し当たり王弟鐵荊(てつばら)の支配地である。

 その先は名さえも知らない鐵荊の支配地で、果たして芽蘭(ゲラン)男爵に逢うことが出来るか。逢わなくてもその踪跡だけは突き留めることができるだろか。幸いにして突き止める事ができたとしても、一同の運も共に開けるとも思われない。

 却って益々困難を加える恐れが有るので、孰(いず)れにしても死地に居る様な旅だと、平洲も茂林も内心には平静で居る事は出来なかった。しかしながらその様子を見せずに、一同を励ましつつ、一日十五哩(マイル)《約28Km》づつを歩んで、東南の方を目指して只管(ひたすら)進むと、一週間を経て其の月の十日には漸(ようや)く鐵荊の領分に達した。

 その間道筋には山も有り、川も有り、平地には人の背より高い程の草が茂り、旅行の困難は並大抵ではなかったが、それ等の様は到る所無いことは無いが、管々しく記すまでも無し。

 唯だ時には沿道に部落があり、その住民等は、魔雲坐王の来ることを聞き、或いは若い女を後宮へ狩り集める為め、召し捕りに来たのではないかなどと思い違い、又は定めし莫大な兵糧を奪い取る事になるに違いないなどと、恐れ戦く事は並大抵ではない様子であった。

 平洲と茂林は文明国の法を以って王に説き、此の旅行は全く王が慈悲の心から出発した事を告げ知らせ、兵糧を挑発するにも総て相当の代価を払うなど、全く平和な行軍演習であることを知らせると、どの住民も最後には非常な喜びと為り、進んで王に様々の物を献ずる者も多く、特に兵士を労(いた)わる事は並大抵では無かったので、王も大いに感ずる所があった。

 「物を奪って進むより、与えて進む事が遥かに徳用なることを初めて知った。」
などと云い、追々平洲と茂林との智慧計略に敬服する意を表するまでになった。

 素より王は、出発の前に一使を鐵荊(てつばら)に送って置いた事なので、鐵荊は従者数名を引き連れて境界の所まで進み、恭(うやうや)しく王及び、白人一同を迎えたが、王は白女の父が、果たして此の地に立寄ったか否かをのみ気遣う者なので、直ちに鐵荊をして従者を退けさせて、その尋問を始めた。

 従者を退けたのは、文明諸国に於いて証人と被告とを別々に審問する様な者で、若し従者に鐵荊の言葉を聞かせては、後で従者を調べるとき、皆鐵荊の意を受けて同様に答える恐れが有るからなのだ。

 未だ鐵荊の住居にも到着して居ないこの様な野原で、直ちに尋問するとは無作法の限りであるが、野蛮人の習慣なので怪しむには足りない。
 平洲、茂林両人は、名澤を連れて王の傍に立ち、一々兄弟の問答を翻訳させた。
 王は先ず言葉を和らげ、

 「見られる通り、我々は白人と同盟した。聞けば汝は曾(かつ)て非常に白人の旅行者を粗略に扱ったと云うが事実か。」
と問う、この様な言葉を以って、旨く返事を釣り出そうとするその老巧さは驚くばかりだ。鐵荊は考えながら、

 「否、我れは多く白人を見て居ない。曾て一人に逢っただけである。それに少しも粗略にはせず、却って厚く待遇(もてな)した。現に吾が腰に纏(まと)っている帯は、その白人が吾が親切に感謝して、礼として贈った絹とやら云う物である。」
と云って、腰に巻いて武器を結んだ絹の布を指し示した。

 勿論此の邊に有る訳の無い織物なので、平洲も茂林もその人こそ芽蘭男爵に違いないと、顔色の変わる迄に心をうごかした。
 「その人が来たのは、今から如何ほど前の事だ。」
 是れは暦も無く、年月を数える方法も無い蛮人に取っては、最も答えるのが難しい所であるに違いない。

 此の邊一帯は総て三日月を以って時を数える目安とするので、鐵荊は稍々(やや)久しく黙(だま)って指折り数えた末、
 「そうですね、その時から最早や新月の数を十八、九も数えたろうか。」
と云う。そうだとすれば、昨年の初め頃に相当し、老兵名澤が芽蘭男爵を見たと言うその月日にも略ぼ合う。

 王「その人の容貌を語れ」
 鐵荊が徐々(そろそろ)と語り出る所は全く芽蘭男爵の人相で、以前から茂林等が王に話して置いた所と一致するので、王も大いに満足する様子である。王は更に、
 「その人の年は何歳程に見えたか。」

 是れは大事な所である。昨年男爵は四十歳になったので、若し鐵荊がその通り答えれば、王は必ず四十歳位の人が、真に白女の父である事かと怪しむだろう。譬え白女の夫と迄は疑わないにしても、平洲、茂林の本心を疑うことになるのは必定である。

 「年齢は分かり難い、しかしながら髭髯も延び、容貌も痛く痩せ衰えて居たので、吾れはかなりの老人と見て取った。」
 平洲と茂林はホッと息した。
 「汝は、何故にその時白人の来た事を吾へ知らせては寄越さなかったのだ。今まで例の無い事件があれば、総て吾に指図を請うべき筈ではないか。」

 是れには鐵荊、稍(や)や窮した様子であったが、再び王から詰問され、思い切った様子で、
 「実はその白人が、兄上に知らせて呉れるなと請うたのです。」
 「請うたのでは無い、請うて且つ充分な賄賂を贈ったのに違いない。」

 鐵荊は無言である。
 「何故白人は、我れに知らせ無い様に請うたのだ。」
 「御身がその前に或白人を遮り、旅行を許さなかったとの事で、御身に知らせれば、同じく遮られる事を恐れるが為と聞きました。」

 是れは益々以て芽蘭男爵である事を証する者である。男爵は名澤にも話した様に、独逸人シュウエインハース氏が、魔雲坐王に遮られたのを知り、同じく遮られることを恐れて、故々(わざわざ)王を避けたので、そう云ったのに相違無い。

 「シテその白人は今は如何して居るのだ。何所(どこ)に居るのだ。」



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