巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou91

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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        第九十一回 蓄音機を携えた白人

 芽蘭(ゲラン)男爵は此の国から孰(いず)れの方へ立ち去ったのか、是れは何よりも大切な箇条である。鐵荊(てつばら)は此の問に逢い、暫(しばら)く天の一方を見廻した末、己れの持っている長槍を草原の上に置き、此方彼方とその方角を正した末、遂に、

 鐵「此の槍の穂先の向かっている方へ立ち去ったのです。」
と答えた。元来此の邊の習慣として、人に名の知れない土地を教えるには、棒を地上に横たえて棒の先をばその方に向け、方位を指して答えるのが最も丁寧な教え方で、この様に指し示した方角は、殆ど磁石で測った様に確かであると云う。

 是れも野蛮人が必要の上から得た習慣の力で有るに違いない。一同は其の槍の向き方を見ると東南の間を指していて、正しく遙青山(ようせいざん)を指している。遙青山とは、遥か南の天の端に煙の様に青く見える山で、唯だ天気快晴の時に之を望めるのみ。その如何なる山にして其の近辺に如何なる人種が住んでいるのかは素より知っている人は無く、ボンゴー、モンパト地方に於いては、此の山を大地の尽きる果てであると言い伝えている。

 近年に至り地理学者の推察する所によれば、彼の李敏敦(リビングストン)翁の発見した丹鵞鳥(タンガニーカ)湖などに匹敵するアルバート湖の北岸に聳える物で、即ち此の一行の様に北から進んで、此の山を南に越えれば、アルバート湖に出るに違いないとの説である。

 察するに芽蘭男爵は此の山を越えてアルバート湖の邊に出て、彼の李敏敦(リビングストン)翁が、南方から分け入った残日坡(ザンジバル)の路に出る目的なのに違いない。前人まだ踏んだ事の無い絶域を踏んで、無事に遙青山まで到る事が出来たかどうかは覚束ないけれど、兎に角此の一行も遙青山を目当てとして進まなければならない。

 王は更に鐵荊に様々の事を聞いた末、更に鐵荊の臣下の者を集めて聞き糺(ただ)すと、鐵荊の白状しなかった事一、二を聞き出した。其の一は件の白人が非常に面白い声を発する箱を携えて居たとの事である。是れは益々以て芽蘭男爵である証拠である。

 声を発する箱と云うのは、音楽の機器に違いなく、男爵は前から音楽の徳を賞賛し、音楽には猛獣も聞き惚れる程なので、如何なる野蛮人であっても此の声に耳を傾け無い者は無く、アフリカ内地の旅行に最も流調なる音楽を携えれば、必ず余程の便利を得る事が出来るに違いなどと、其の著書にも論じて有り、取り分け平生から音楽の達人であるので、必ず自ら音楽器を携えて来た者に違いない。

 其の上此の者等の言葉に由れば、鐵荊を初め、後宮に在る彼らの妻等も、皆な其の「箱の声」を聞くのを楽しみ、白人を大事な客として待遇(もてな)したと云う。

 その二は、男爵が鐵荊から、如何にして此の土地を出発する許しを得たかの一条である。是れは男爵が鐵荊の情欲に乗じて計略を設けた事と察せられる。此の土地一般の人が先祖からの言い伝えとして信じる事は、遙青山の麓に美人の国があると云う説である。

 此の説は寺森医師の信じる、黒天女の国と云うのと同一なのに違いない。鐵荊は以前から、その美人国の尤物(ゆうぶつ)《美人》を捕えて来て、己の後宮に入れたいとの心がある。是までも臣下の勇士に、その美人国に出張し、首尾好く美人を捕えて来たならば、至大の恩賞を与えると言い聞かした事は数度あるが、なにしろ道さえも分からない所と云い、且つ又昔からの言い伝えに、美人国は神の作った国にして、女を以って兵と為しているが、其の女の強い事は、その美しさにも優り、到底他国の男子が捕らえる事は出来ない。

 数十人で女一人に向かっても、忽ち皆殺しにされてしまうなどと云い、美人国を恐れ尊ぶ事は並大抵では無い。唯一人我れ行かんと云う者が無かったが、件(くだん)の白人は鐵荊に向かい、我は数千里の北方から危険を悉(ことごと)く冒し、命掛けで来た者なので、此の上に如何なる危険があろうとも何を恐れよう。見事御身の為に、美人国に進み入り、其の中の最も美人を捕えて来て恩賞に預かろうと言い出したので、王は喜ぶ事並大抵で無く、早速臣下から屈強の男子二十人を選び出し、是を従者として白人に同行させたが、其の二十人は土門陀(ドモンダ)と云う地方まで行き、其処の原住民に襲撃せられ、白人を捨てて命からがら逃げ帰ったが、其れ限りで白人の消息は絶えて聞く方法が無いとの事である。

 是で見れば芽蘭男爵は此の土地に抑留せられる辛さに、巧みに王を欺いて南方に向かった者である。土門陀の原住民に襲われ、従者二十人は総て逃げ帰ったとすれば、男爵は唯一人残って闘い、其の原住民に捕らわれたのか、殺されたのか、それとも智謀に富んだ人なので、又何か計略を以って、其の先に進む事が出来たのだろうか。

 孰(いず)れにしても心配の限りなので、一行は此の土地に長居はせず、直ちにその土門陀と云う所を指して進む事に決し、更に男爵の当時の様子を聞き糺(ただ)すと、男爵は此の土地に来る前も、来た後も、幾度か熱病に罹り、或時は死ぬ許かりの危篤とも為り、自ら携えて居た不思議な薬で僅かに一命を取留めたが、未だ充分には回復せず、痩せ衰えて半死反生の様に見えたが、心の勇気は驚くべき程なので、王も男爵の言葉を信じ、此の人でなければ又も美人国へ入り込む事が出来る人は無いだろうと思ったとの事である。

 この様な病余の身を以って、最暗黒の境に入り込んだとは益々以って心細い。



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