巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou95

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第九十五回 ガツガツ歯を鳴らす兵

 若し逆らって魔雲坐王が、暴力にでも訴える事と為ったならば、それこそ由々しい大事だ。一同は殺されて、芽蘭(ゲラン)夫人は彼の為に妻として攫(さら)って行かれよう。思って見るのさえ心安くない程なので、何とか言い宥(なだ)めなければ成らないと、茂林は満身の知恵を絞って、

 「御身は牙洗(キバライ)川の上に同盟国有りと言ったのではなかったか。ここまで来た序(ついで)に、其の同盟国を尋ね、交わりを温める事は一挙両得の事になるだろう。」

 王「否、吾れはその様な事を言って居ない。唯だ吾が先祖の王が、昔遠征を好み、遠く牙洗川の上まで攻め上り、或一ケ国と久しく戦ったが、勝負が遂に決しない為め、双方和睦し、友国である約を結んだとの言い伝えを聞いただけだ。唯だ昔からの言い伝えなので、吾は親しく其の国を問うには及ばない。」

 「其の国の名は何と云うのだ。」
 「麻列峨国の木葉(このは)であると、是も昔から言い伝えられているが、麻列峨の今の王が何者であるのか、又其の国が今も昔の様に盛んなのか、それすら絶えて知る者は無い。

 吾れがどうして其の国を尋ねる必要がる。兎に角吾は白女を請い受けて帰国する迄である。そうでなければ部下の兵士を宥(なだ)める道は無い。御身等も安全を欲するなら、吾が言葉に従う外無いだろう。」
 
 是れは全く、吾が言葉に従わなければ、部下の暴行に任せる故、御身等の命も危うしい云う脅迫の意を含んだ者なので、頓智に長けた茂林も、如何ともする事が出来ない。

 牙洗川の川上の同盟国を言い立てて、王の心を動かそうとする計略も破れた者なので、途方に暮れて暫くここを退きつつ、平洲に事の次第を相談すると、平洲は深く嘆息し、

 「アア吾々が余り文明国の道徳を以って野蛮の兵士に強いたのが過ちで有った。分捕りもするな、乱暴な挙動もするなト云い、規律を正して進んだから王も兵士も、最初の中は目先が変わって喜んだが、今は数日を経たから飽きて来たのだ。

 背に腹は代えられない場合だから、兵士に気晴らしをさせる為め、一切の規律を解き、戦争でも略奪でも勝手気儘(まま)にさせ給え。数日の中に戦争が出来ると云い、沢山分捕りが有ると云えば、無惨を喜ぶ蛮兵の事だから、必ず勇み立ち二日四日は苦情は云わずに前進する。」

 成るほど是も一理である。当たるや否やは知り難いが、外に工夫が無い場合なので、茂林は此の意を以って再び王の前に出て、此の先に横たわっているドモンダの地方は、最も富裕の所で、羊を初め美味の獣類も多く、戦えば必ず非常な分捕り物があるに違いないとの意を説き、

 「ここまで来て、ドモンダへ入り込まないのは宝の山に入りながら、手を空しくして帰るのに均しくは無いか。御身がここから帰ると聞けば、白女は嘸(さぞ)かし御身を臆病者と思い、愛想を尽かすだろう。アア今までは我々一同は、御身を勇気が限り無い王とばかり思って居たのに。」
と冷ややかに言い放った。

 王は眼を光らせて、
 「何だと。我を臆病者だと。我れは臆病では無い。御身等が我に戦争を許さないのでは無いか。」
 「そうだ、今まで戦争を許さなかったのは、此の先に戦う所が多いのを思ったからだ。途中で力を用い、兵を疲れさせては、肝心の戦うべき時に、戦う力を損じるからだ。

 御身等は戦いの必要でない間だけ同行して来て、愈々(いよいよ)戦いが起ころうとしている地方に来て帰ろうとする。これを卑怯と云わずに何と言う。」
 王は茂林の舌三寸に翻弄せられ、その黒い顔を紫色にして怒り、
 「それならば我等に戦う事を許されるか。此の先に在りと聞く富裕なるドモンダと戦う事を。」

 茂「勿論である。」
 王は奮(ふるえ)て立ち、
 「好し」
と一言云い捨てて退いたが、暫くにして其の部下の中に凄まじい鯨波(ときのこえ)が起こった。是れは王からドモンダの富裕を聞き、近々戦争の愉快が得らるに違い無いと思って、口々に喜びの声を発する者に違いない。

 茂林は此の声を聞いて、平洲の許に来て、
 「僕は何の様な難場でも、頓智を以って切り抜けられない事は無いと、自ら堅く信じて居たが、君の智慧にはとても及ば無い。アノ勇ましい声を聞き給え、君の知恵がアノ通り適中したのだ。」

 平「ナニ僕の知恵と云う譯では無い。矢張り君の説き方が好い為だよ。」
と言って互いに手柄を譲り合う様、恋の敵とは思われない程であるが、全く幾月艱難を共にして、兄弟の様な情を発した為であるのに違いない。

 この様な所へ王は又来て、
 「愈々(いよいよ)戦いを許された事に附いては、真にドモンダと云う地方が、御身等の云う様に、富裕の国なのかどうか、又戦って我が勇気を示すのに足りる相手なのかどうか、先ず間諜(かんちょう)《スパイ》を出して是等の邊を探らせたい。」
と云う。

 尤もなる望みなので、之れを聞き入れ勇士と称される頓黒(トングロ)を頭とし、之に王の兵の中で屈強の者三名を引き連れさせ、急いで出発させると、此の間諜《スパイ》の一行は、騎馬でドモンダの入り口まで只管(ひたすら)行を急ぎ、其所から馬を降り、敵の目に着かない様にして入り込んだとの事で、意外に早く翌日の宵の間に帰って来た。

 注進した所に由れば、ドモンダには牧場あり平野あり。用と為る獣類を多く養い、近傍に稀な富裕の国である。富裕に連れて戦争にも強いばかりでは無く、近々此の一行の来るに違いないことを知って、今や盛んに戦争の用意を為しつつ有るとの事である。

 王及び部下の兵は之を聞いて益々勇み、一同歯を戛々(かつかつと噛み鳴らして、其の音が殆ど凄まじい程に聞こえるので、平洲も茂林も怪しんで、軍の門出に歯を鳴らすとは異様な習慣だと、その仔細を老兵名澤に聞くと、

 これはアフリカ中に多く有る習慣で、兵たる者は戦って敵を屠(ほふ)り、一たび其の臓腑を取って喰らい、其の生き血を啜らなければ真の勇士とは為り難く、人を喰いば喰う丈益々力強くなるとの事を信じて居るので、この様に歯を鳴らして人肉を喰う時の近づいたのを祝するのである。

 さては真の人喰人種であるか。そればかりか彼等の戦争とは、互いに肉を喰い合うという、非常に恐ろしい意味をまで含んでいるのかと思い、戦争を許した平洲、茂林も、ここに至って余り好い心地はせず、彼等と一様に歯の根がガツガツ鳴ろうとするのを覚えた。



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