巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou97

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。

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       第九十七回 戦闘開始

 守るべき要害を守らない敵の兵法は、殆ど測り難いけれど、何様進むより外ないので、更に谷間(たにあい)を潜(くぐ)り潜って漸(ようや)くドモンダの境界である、平原の最端(とりつき)に出た。

 成る程トングロの引き連れた間諜(かんちょう)《スパイ》の報じた様に、ここは一帯が牧場である事は、草の色、垣根の様、灌漑の仕方などから察せられるが、一頭の畜類も見え無いのは戦いの用意として、野を清める為だと知られる。

 更に良く見れば、遥か彼方に雲霞(うんか)の様に陣を取り、規律を正して此方(こちら)を待つ一団の兵隊がある。
 平洲は小高い所に登り、望遠鏡を取り出して、敵の有様を見定めた上、茂林に向かい、

 平「見届けた所、武器と云い、隊伍と云い、野蛮国相当の最も幼稚な軍隊だ。要害を守ら無いのも深い計略が有ってでは無く、全く守る必要さえ理解しないのだ。」
 「僕も勿論そう思う。此の様な蛮国に兵法などを知る軍隊が有る筈が無い。武器と云っても弓と投槍の類で、魔雲坐の兵より寧ろ劣りこそすれ勝(まさ)りはしない。」

 「全くその通りだ。其れに就いては、僕の考えは我々の率いる名澤の兵を、此の戦争に加えない事にしたいと思う。」
 「無論の事サ。名澤の兵は兎に角も、文明流の訓練を経て、野蛮人の知らない銃器を持って居るのだから、之を加えては唯一撃にドモンダ人を打ち殺すよ。

  それでは全く戦争には成らず、虐殺に成って仕舞う。それでは余りに手荒いから、野蛮軍と野蛮軍とを戦わせ、名澤の兵には高見の見物をさせて置こう。」
と云い、名澤を呼んでその旨を命じると、名澤は少し当惑する様子で、

 「イヤ私から命ずれば、何の様な言い付けにも従いますが、私の率いる兵は、アフリカの最も勇猛なチンカ人種です。初めは命令を守って居ても、目の前で双方が戦うのを見ては、我を忘れて其の中へ飛び込む事に成るかも知れません。」
 茂「それなら鉄炮を取り上げて置け。鉄炮さえ無ければ五分五分の戦いだから許してやる。」

 誠に無理な言い付けである。
鉄砲を以って訓練せられた兵に、鉄砲をを取り上げるとは、殆ど命を取り上げるのにも均しいことだ。しかしながら名澤は出発以来、決して此方(こちら)の言葉に背かない忠実な老兵なので、御無理御尤もとして引き退いたが、暫くして又来て、

 「色々と説諭したが、鉄砲無しには兵士の一分が立たないと云います。依って実弾だけは取り上げて、鉄炮と火薬だけを十発分、渡して置いて呉れとの事です。ハイ空砲を発する事さえ出来れば、如何なる場合でも決して敗(ひ)けは取らず、又無暗に敵を虐殺する事は出来ないからと申します。」

 成るほど最もな言い分なので、其の言葉を容(い)れ、悉(ことごと)く実弾を取り上げて、火薬をも十発分に限って渡し、更に当方から命令が無ければ、空砲でさえも放っては成らないと言渡した。

 名澤が退くと入れ違いに、魔雲坐王自ら来て、
 「此の邊の敵とは曾(かつ)て戦った事が無いので、其の強弱も計り難い。御身等の率いる彼の雷を使う兵士(銃を発(はな)つことを雷を使うと云うことは前に出た。)をも貸し与えてくれ。」
と云う。

 茂林は之に答え、
 「御身の軍が愈々(いよい)よ敗れようとする場合には、援兵させよう。それまでは御身の軍の近傍で、厳格に見張らせる事に止める。」
と答えた。魔雲坐王は、
 「分かった、雷を使う兵が我が傍らにさえ有れば、我が軍の気は大いに振うだろう。」
と云って喜んで引き取った。

 ここに於いて、此方(こちら)は名澤の兵を三つに分ち、其の一を王の軍の右に附け、其の二を其の左に置き、残るを芽蘭(ゲラン)夫人の護衛に当て、戦線から遥かに横手の道を取って進むことにし、魔雲坐の兵はスハ是からと云う様に、一斉に鯨波(とき)を挙げると、遥か向こうに控えたドモンダ兵も、同じく鯨波(とき)を以って之に応じた。

 双方武器を振り閃(ひらめ)かして、原の中央へ隊伍正しく進み出ようとする。
 其の間に平洲、茂林は、芽蘭夫人を護し、戦争を真横から見る所に進み、芭蕉の木の最も茂った陰に陣を取ると、彼方に居る敵見方は、弓の達する距離にまで進んで、互いに又鯨波(とき)を挙げ、愈々(いよいよ)戦争を始めた。

 其の有り様を篤(とく)と見ると、双方はまだ敵の強弱を計り兼ね、大事を取って居る為か、少しも其の隊を頽(くず)さず整然として攻めつ、守りつする様は、殆ど文明国の兵にも異なら無い。

 彼等の持って居る投げ槍は、距離が大いに近づくのを待って用いるものの様だ。今は唯だ弓専門で、隊を前後の二列に分かち、前列は唯だ盾だけを持って、敵から飛んで来る矢を防ぐ事を務めとし、後列は前列の盾の蔭で弓を射る事だけに急がしい。

 射手も楯(ふせぎ)手も甚だ巧みで、楯(ふせぎ)手は頭上四、五尺《1.2mから1.5m》の所に来た矢にまで、高く飛び付いて楯に受け、前後左右に其の楯を使って、殆ど電光石化の様だ。

 射手は高く空中に向けて矢を放つが、矢は敵陣の邊に行くに従って漸く下がり、斜めに敵の頭上へ降り下る狙い方である。魔雲坐王は大将として、前列後列の間を馳せ廻り、楯(ふせぎ)手の配置と、射手の狙い方に注意し、或いは、

 「矢が高過ぎる」
とか
 「低過ぎる」
とか叫んで指図する様子は、思って居たよりも行き届いている。この様にして此方(こちら)の一人が、敵の矢に当てられると、全軍弓を止(と)めて一種の悲鳴を発し、之を弔(ちょう)《死者の霊をなぐさめる》して且つ励まし、其の間は敵も手を止め一々に勝鬨(かちどき)を挙げるなど、一種の厳重な軍法がある。

 ドモンダ人の悲鳴は、
 「オーアイオーアイ」
と繰り返し、魔雲坐王の兵の悲鳴は、
 「ナネグーナネグー」
と叫ぶ。双方ともに
 「痛わしや」
との意味であると通訳亜利は説明した。

 戦いが進むに従い、此の声が幾分か繁くなったのは、狙いが追々正確成って来た事に由る者に違いない。
 茂林はそうと見て、医師寺森に向かい、
 「今に負傷者が追々に殖えるから、君は軍医として治療しなければ成るまい。」
と云うと、

 「勿論サ、併し今に見給え、双方入り乱れて犬の喧嘩の様な噛み合いに成って来るから。」
 「其の忙しい噛み合いになる前に、僕は君を召喚する。サア此処で歌牌(かるた)《トランプ》を出し給え。」

 歌牌《トランプ》と聞いて寺森は嬉しそうに、
 「実はもう召喚して呉れ相な者と心待ちに待って居た。昨夜は僕が勝ったのだから。」
と早や其の道具を取り出そうとする。

 「併しこの様な殺伐な場合と為っては、我々の命も或いは明日は無いかも知れない。ここで一思いに負債の総額を賭け、一時に片を附けて仕舞おう。僕が勝てば其の負債が全く消えて仕舞うのサ。」

 寺森は賛成しようとして考え直し、
 「イヤイヤ、それは少々恐ろしい。」
 茂「何が恐ろしい、今日限り命が無いかも知れないのに。」
 「イヤ僕は勝つのが恐ろしいよ。勝って一度に負債が無くなれば、明日から君と勝負する口実が無く成る。何うか負債を何時までも残して置き、冥途の旅でも毎日君と勝負がし度い。」

 茂林も之には呆れ、
 「では定額通りに仕ようが、場所は僕が選定権利者だ。サア此方へ来たまえ。」
と手を取り両軍合戦の方へ進むと、医師は怪しみ、
 「何所へ賭場を設ける積りか。」
 茂「両軍の真ん中さ、見給え、真ん中の辺は双方の矢が総て頭の上を越すから、彼所(あすこ)へ据わって勝負すれば極安全だ。」

 寺森は目を剥(む)いて、
 「君は実に命知らずだ。」
 「そうでは無い、君は先達って鼻の中へバターを詰め、臭気紛々たる黒女の小屋の中で、僕に勝負を挑んだのを忘れたか。僕は何時か復讐の時が来るだろうと、今が今まで恨みを呑んで待って居た。サア来たまえ。サア・・・・。」



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