巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nonohana70

野の花(後篇)

トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(拡大率125%が見やすい)

since 2010・7・9

今までの訪問者数1027人
今日の訪問者数1人
昨日の訪問者数0人

ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

           七十 「自業自得」

 いよいよ明日、品子が来ると思えば、河田夫人はその夜、寝ても眠れなかった。

 自分が死んだ者と認められた後で、品子が冽の妻になるのは、或いは当たり前かも知れない。自分が生きている間でさえ、イヤ生きていて、れっきとした冽の妻である間でさえ、品子は冽の妻になろうとして、あれこれ策動していた。

 いわばそれが為に、私をいじめ出したのだ。冽としても、その頃既に、
 「貴方を妻にすれば好かったのに。」
などと、冗談にもしろ、明らかに言っていた。自分が無い者となったのを好いことに、二人は急いで結婚したのだろう。

 既に嫉妬などという考えは、家出の時に捨ててしまった。捨ててしまって、城を明け渡したようなものではあるが、今、目の前にその敵が、我が後の城に直り、自分にとって主人も同様の位置に立って、奴隷を見るように、私を見に来ると有っては、それを当たり前のことと、冷ややかに見ていることが、出来るだろうか。

 と言って、今更どうしようもない。自分からこの様な辛い、辛い運命を招いたのだ。自分で招いた運命には自分で従わなければならない。誰を恨むことでもない。恨みも、悔やみも、悲しみも、総て忘れてしまわなければならない。

 忘れるほかに道はない。けれども実は意外である。まさか品子が、我が後の二代目瀬水子爵夫人になっていようとは思わなかった。成るのが当然にしたところが、家を出るとき、何故かそこまでは見抜けなかった。

 今が今までそうとは思いも寄らなかった。そもそも家出は、夫冽の身を、自由にしてやるとの親切心から出たのだ。私のような、ふつつかな女がその妻となり、冽の身に荷物のようについていては、冽が十分に社交界に出ることが出来ない。

 社交界に立ち、天晴れ当代の名士と言われるべき人が、身分の低い、そして社交の駆け引きも知らない、田舎娘を妻にしたため、世を離れたイタリアの果てに、面白くない月日を送ることになったと思っては、ただそれが痛ましく、

 私という荷物さえ無ければ、きっと自由自在に世間へも出、十分に時めくことと成ることも出来るだろうと、一方にはこの様に思い、

 又一方では自分を攻め、私が妻であるために、夫の生涯を誤らせては成らないと、過ぎた罪を償うつもりで、死人同様の境に入り、夫に自由を与えたのだ。決して品子を我が後の妻にせよとではない。その様な浅いことは考えに浮かびもしなかった。

 それだから、その後も夫冽が、今頃はどうしているだろうと思うたびに、きっと社交界に出て、自由自在に行動し、一世を動かす程に成っているだろうと、物の本に在る平和時代の英雄を心に描き、やはり我が決心が好かったのだと、誇る程にも思っていた。

 それが全くそうではなくて、私が与えたその自由が、品子と結婚する元になったとは、あきれずに居られようか。嫉妬も嫉妬、残念も残念であるが、その上にまだ意外である。

 又むしろ落胆である。初めからこの様なことと知っていれば、ーーーと今更思っても、及ばないこと。何処まで世の中は、不幸な人を益々不幸の底へ、深く深く沈ませる事だろう。もし、私に間違われた、あの粂女の代わりに、本当に私がセダイの汽車で死んだなら、どれほど幸いであっただろう。

 考えるほど河田夫人と称する澄子の心は益々沈み、最早やこの上の沈みようのないところまで落ち着いたが、更に又一種の恐れおののきが湧き起こった。それは今まで思いもつかなかった一種の罪を感じたのである。
 「エエ、私の罪、私の罪」
と叫んで、ベッドの上に起き直り、又神の御前にひれ伏すように、首を垂れ俯伏(うっぷ)した。

 今までは、自分の所行を、神の目からも人の目からも、はばかられこそすれ、咎められる所は無いと思い詰めていた。けれど、今は、この上もない、大きな罪、大きな咎めが我が頭上に降り下ったのを感じた。

 私は生きていながら死んだ者と、わが夫を欺いた者ではないか。それだけならばまだしもだけれど、それが為に、夫に重婚という恐ろしい罪を犯させたのではないか。

 先の妻がまだ死なないのに、二度目の妻を娶ることは、神の許さない重婚である。たとえ、法律の上では罪があるか無いか、分からないにしても、神の宣告は明白である。神の目はこれを姦淫と見給うと、数々の言葉に現れ、非常に厳重にして犯すことは出来ない。

 夫は知らずに是を犯したとしても、知って犯させた私の罪は、逃れることが出来るだろうか。
 それだけではない。品子の瀬水子爵夫人と言う身分さえ、間違いである。私が表面死んだ者となっても、この通り生きて居る間は、冽に私より外に妻というものが出来よう余地は無い。、

 子爵夫人という名義が、他の婦人に加わる道がない。しかるに子爵夫人と言い、冽の妻というのは、偽りの身分、偽りの名称を知らずに犯しているもので、夫人ではなく実は影の身、妻ではなくて実は私通者である。

 河田夫人はこうまで、細かに考えることは出来ないにしても、事情は全くこの通り、品子は影の身、偽りの地位に他ならない。ああ、ああ、日頃貴族の尊きを唱え、気位の高きを以て自ら標榜している品子のような者が、

 人の妻である事も出来ず、単に私通者として身を汚し、自ら知らずに過ぎ行くとは、よしや報いとしても、天の配剤にしろ、恐ろしい次第ではないか。これがもし世に知れたら、品子は恥じて死んでも足りない。この世に全く身の置き所が無くなるのだ。

 好い気味だ。自業自得だと、読者の多くは言うだろう。筆者もそう言いたい。しかし、河田夫人は少しもそうは思わない。ただ、自分の身の行いから、夫にも品子にも、こうまでの過ち、こうまでの罪を犯させたのを、空恐ろしく思うばかりだ。



次へ

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花