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野の花(後篇)

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

     七十六 「身も弱く、心も弱く」

 人には必ず弱点がある。どのような偉い人にもある。まして、女と言うものは身も心も弱く生まれているので、先天的に弱点の塊と言ってもよい。そのうちでも、ただの一人で長く暮らすことが出来ないと言うのが、男女両体の弱点で、特にその傾向は女に強い。

 澄子のごときは、この弱点を我慢して五年も、七年も真の一人でこの世から隠れていた。並大抵のことではない。けれど、もう我慢が尽きて出て来たのだ。決して決心が弱いのではない。

 決心は今もそのまま存していて、生涯、河田夫人のままで暮らすつもりではあるが、ただ愛という優しい心に打ち勝つことは出来ないのだ。

 「愛は神の心。憎しみは悪魔の心」
とか言って、愛の心が深いだけ神に近い。総て善人とは、愛の心の深いのを言うのだ。澄子は善の善なる者で、誰よりも神に近い。ある点は、ほとんど人間を離れている。外の人には無いほどの愛を持っているのだ。

 もし、もっと愛の少ない、すなわち善根の浅い、悪の勝った女なら、或いはまだ出て来なかったかも知れないけれど、澄子は愛のため、それが出来ない。

 可愛い我が子を見ずに居るということは、澄子の性質が許さないのだ。もし何時までも我が子を見ずに居ることが出来たならば、澄子ではない。澄子よりいくらか劣った女だ。愛の少ない善の浅い生れ付きの人だ。
     *   *    *    *    *    *    *    *    *
 「今日は良彦を寄越しましょう。」
と言った品子の言葉が耳の底に鳴っている。今日とは昼過ぎであるか、夕刻であるか、はたまた夜に入ってからであるか分からないけれど、とにかく明日ではない。

 今日の中だ。ただ良彦に会いたい事だけのために、ここに出て来た身にとっては、生涯の大事が、この一日に集まったかと言うような気がする。居ても起(た)っても落ち着かない。

 幸いこの日は、昼限りで学校が終わり、生徒は皆帰ってしまった。澄子と言う名を葬った河田夫人は、もう自由の身となった。これからは、良彦の来るのを待つだけだ。

 しばらくは居間に座って待ったけれど、座って居られない。自分ながら何時とも知らずに門に出て、瀬水城の方角を望んだ。実に「慈母の門に寄るの情」とは、このような場合を言うのであろう。
 望む彼方は真っ直ぐな広い道で、両側は高い並木である。小山を一つ隔てるけれど、この道が直ちに、瀬水城の表門まで通じている。

 見るにつけては次第にその辺のことも思い出す。もし自分が家を
出ずに居たならば、今頃はあの城に住んで居ように、城は早や人に取られ、夫も人の夫となり、我が子さえも我が子でなくて、自分の身は、この世に我が家として、身を置くべき所も無く、人の情けにすがっているのも同様なこの状況である。

 心がけからか、はたまた憂き世のなせる業かは分からないが
、真に変われば変わるもの。頼りない限りだと、ほとんど思いに耐えられない様子になったが、この時、はるか彼方に、馬に乗った人の姿が現れた。

 これが、我が子の良彦である。遠くて良くは見分けられないが、胸騒ぎにもそれと分かる。八歳の時にイタリアで別れてから、早や足掛け七年、今年は十四歳になったはず。

 その頃とは違い、もう立派な若者に成長しているだろうけれど、よもや、この母を忘れるはずは無いだろう。

 イヤ、この母とて死んだ者が、この世に居ようと思うはずは無く、又、思われてはならない今の身ではあるけれど、まさかに夫がこの身の記憶をさえ、揉み消そうとするように、良彦に限っては、そうもしないだろう。

 今の瀬水夫人のほかに、誠の母があったことは、子供心にも覚えているだろう。そして思い出す度に懐かしく思ってくれるだろう。
こう思うと、自然に涙が流れ出て、止めるにも止まらない。

 このようなことではならないと、逃げるように家に馳せ帰り、冷たい水で涙の跡を洗い流して、ようやく心を取り鎮(しず)めて、再び外に出た。

 今度は、早や間近ま来ているが、全く良彦である。
 実に見違えるほど成長して、鞍の上にゆったりと身を置いたところは、大人のように見える。

 そして、手綱持つ手の確かなことは、馬にも余ほど乗り慣れているらしい。走り寄って
 「オオ、良彦か、私はお前の生みの母」
ともし名乗ることが出来たなら、どれほどか嬉しいだろうに、

 名乗ることさえ出来ないだけでなく、どこまでもただの他人と、思われていなければならない。これでは、会っても何になると、今更恨めしさに、耐えられない気もする。

 けれど、良彦は流石に子供だ。仰(あお)向いて梢に鳴く蝉を眺めたり、鞭で飛ぶトンボを叩(たた)こうとしたり、
 こちらで待つ人の心に引き換えて全く平気の様子である。その様子がこちらには尚更愛らしく、また、尚更恨めしく、馬の一足、一足に、ただ胸の波を高くするだけであった。

 いよいよ良彦が門の外に馬を止め、我が前に降りようとするのを見ては、物狂はしいほど、愛の情が湧き起こり、眼は霞んで見ることが出来ず、心は騒いで、ほとんど何事も考えることが出来なくなった。

 そのうちに良彦は早や降りて、河田夫人の前に立ち、何事をか話しかけている。



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