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nyoyasha46

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.22

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第四十六回

 長々の一生の願いは唯老人に我が言葉の半分をも信じさせたいと思うところにあるが、何分にも老人は松子夫人を自分の敵と思うことが出来ず、何度も長々の言葉を納得しようとしては又後戻りし、
 「イヤイヤ嘘だ、まあ考えて見るが良い。夫人が真実俺の目を焼き潰した曲者ならば俺を恐れて逃げこそすれこの家に出入りするはずがない。それも一度は気が付かずに来ようが既に俺の目が潰れた訳を知った上は二度と足踏みしない筈だ。それがしばしば訪ねて来だけでなく俺の機嫌まで取ると言うのは身にその様な覚えが無い証拠ではないか。」
と断然として言い切りながら、又動く様子も見えないので、長々は更に語を進めて、

 「イイエ、松子夫人が何度もこの家へ訪ねて来たのは外に理由があるのです。それらは追々分りますが、兎に角今柳田夫人に読んで貰った二通の手紙で貴方がまだ胸に落ちないと仰れば私には又別な証拠もありますと言い、ポケットを探り彼の受け取り書を取り出し、
 「柳田夫人、どうぞその書付を読んで下さい。」
と指し示すに夫人は一目見て、

 「オヤ、これは手紙ではないけれど書いた人はやはり同じ人です。筆癖が全く同じです。」
と言う。老人は聞き耳を立て、
 「フム、手紙でなければ何の書付だ。」
 (柳)「受け取りですよ。文句は『金百フラン也、荒糸織の単物(ひとえもの)古着を売り渡した代金として、お皺婆より受け取るものなり』と書いてあります。」

 (老)してその名前は。
 (柳)ハイ、これには貴方へ寄越した手紙と同じく軽根松子と書いてあります。
 (老)軽根松子と書いてあればそれが何だ。松子夫人だって随分着古した着物を売り払いもするだろうじゃないか。エ、長々、手前は何の証拠にこの様な書付を持って来た。
(長)ヘイ、この書付だけでは別に何事もありませんが、この書付を手に入れた経緯を聞けば松子と『松あ坊』と同人と言う事は少しも疑いがありません。

 (老)それはどう言う訳で。
 (長)イエ、この皺婆というのは前から『松あ坊』と親しくしていたと言う事ですから、私は松子が『松あ坊』であるかないかを見極める為婆に頼んで松子の屋敷にやったのです。すると松子夫人は婆にまで我が身の上を隠すことが出来ずに昔の通り打ち解けて、一別以来の話をしたと言う事です。それにこの書付は私がアノ鼻竹に貰った手紙の筆跡を比べるために是非取って来てくれと頼んだのです。

 (老)貴様の遣る事は探偵よりも良く行き届く。手際が良すぎて事実とは思えないが。
 (長)それをお疑いなさるのなら私がお皺婆を読んで来ましょう。婆は古着商でまだ鼻竹や栗川巡査のように死んではいません。生きていますから何時でもここに来てその仔細を話します。松子夫人が婆に話した事の概略(あらまし)を聞けば何(ど)のような疑いでも解けて仕舞います。これから行って直ぐに婆を呼んで来ましょうか。

 老人は急に返事もしなかったが追々の証拠を聞き漸(ようや)く疑い始めたと見え、次第にその顔色まで変じて来た。
 (老)「待てよ。この家で彼これ騒いでは亀子も居るから好くないね。本当にその女の罪が分ってくれればナア。俺は先ほども言う通り掴み殺して呉れるけれど。」
と云う。今は半信半疑を既に過ぎて大方長々と同じ心まで押し寄せてた所だ。

 (長)この女の罪は明白に分っていますよ。まだ貴方には話していない事が沢山ありますが、貴方はアノ犯罪の夜、彼の家の戸に挟まり貴婦人の着物が切れて残っていたと言う事をお忘れにはなって居ないでしょう。
 (老)どうしてそれを忘れるものか。
 (長)「では私がここへ持って来ている荒糸織の単物(ひとえもの)を柳田夫人に検めて貰いましょう。これが即ちお皺婆が松子夫人から買い取った着物で戸に挟まれて破れた穴がありますから。」
と進み出る。

 その最後の証拠には如何に頑固な老人もその心を翻さないわけには行かなかった。
 「ヤヤ何松子夫人がお皺婆に渡したその着物に穴が開いているとな。ドレドレ俺に探らせろ。俺に、ドレ」
と言って両手を差し出し老人は探りながら宛(あたかも)も恐ろしさに耐えられないと言ったようにその声までも震わせて、

 「成る程変だ。引き破った穴がある。それなら愈々(いよいよ)アノ松子夫人が長々、俺の目を焼き抜いた曲者が今にここに遣(や)って来るから見ろ。」
 柳田夫人も同じく身震いをして、
 「老人、私はここに居てその様な汚らわしい夫人に顔を合わせるのも否ですから御免蒙ってもう二階に行きますよ。」

 (老)「行け行け俺はあの様な夫人を警察に突き出して我が家の名を汚すのは否だから、旨く処分する工夫からして決めて置かなければならない。だがな、お前二階へ行ってもこの事を一言でも亀子の耳に入れてはならないよ。」
と固く命じる老人の言葉を聞き終わり夫人は早や二階へと上り去った。後に老人は長々に打ち向かい、

 「俺が思うには何よりも近道はお皺婆をここに呼んで来て松子夫人に逢わせるのが一番良かろうと思う。不意に逢わせれば両方とも驚いてドギマギするから必ず疑わしい所が分る。
 (長)「それはそうですとも。婆を呼んで来て貴方が直々に『松あ坊』の話を聞きその上松子夫人に突き合わせれば充分貴方に納得出来る様に分かりますよ。」

 (老)「では長々、て前は今から直ぐにお皺婆の所に行き婆を呼び迎えて来てくれ。そうこうしているうちに松子夫人も遣って来るからさ、直ぐに行ってくれ、直ぐに、直ぐに。」
と長々を急きたてる。その声のまだ終わらないうちに細工場の戸の外に非常に優しい女の声があった。

 「入っても好うございますか。」
と問うのはこれこそ確かに軽根松子夫人だ。彼女は我が身がどの様な目に逢わされるか察することが出来ず、その顔を探らせる為約束の通り老人を訪ねて来たのだ。アア飛んで火に入る夏の虫、この場はどの様に治まることだろう。

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