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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha58

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.4

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第五十八回

 「証拠立てよ」と言うのを聞き長々はここだと思い、
 「もとより私の望むところです。最も手短な証拠と言うのは、これこの指輪が第一です。」
と前から隠し持っていた彼の指輪を我が指に差し込んで茶谷の前に突き付ける。茶谷はぎょっと驚いて我知らず、
 「エ、この指輪は」
 (長)サアこの指輪は確かに貴方の物でしょう。彫り付けてあるのは伯爵の被り物と「車を用いず馬を用いず唯我が腕を用う」と言う貴方の家の金言ですから、今更否定する事は出来ないでしょう。

 (茶)もとより私の指輪としても貴方に贈った訳ではなし、それを貴方が持っている居るのは必ず貴方が。
 (長)盗んだのに違いないと言うのですか。決して盗んだのでは有りません。貴方の知って居る某夫人が質屋から受け取って帰る途中で落としたのを偶然私が拾いました。
 (茶)拾い物を返さないのは盗んだも同じ事です。
 (長)返さない事はありません。私は返すためにわざわざその某夫人の家までも訪ねましたが、夫人は秘密が漏れるのを恐れてか受け取ろうと言いません。そのくせ夫人はこの指輪を取り戻したい為に新聞に広告など出しています。

 (茶)それが何の証拠です。
 (長)何の証拠か終いまで聞くうちに分ります。その落とした夫人というのは外でもなく貴方が捨苗夫人の家で一緒に歌った事のある方で、その広告を頼まれたのは私の知って居る、お皺婆という者です。
 (茶)フムそうすると軽根松子夫人のことと見えますな。外に私が一緒に歌った夫人は有りませんから。
 (長)勿論その松子夫人です。貴方が松子夫人と関係のある事は今更隠しても無益です。第一にそのお皺婆が松子夫人の屋敷を訪ねた時、貴方が夫人の部屋から出て擦れ違いながら立ち去ったことはお皺婆が私の為に証人になると言います。

 (茶)ナニその様な事には証人も何も要りません。なる程私は松子夫人の家を訪ねました。夫人と知り合いの紳士は誰でもその家を訪ねましょう。訪ねるのが何故怪しいのです。
 (長)お皺婆は松子夫人がまだ露国へ行かない前に情夫が有ったのを覚えています。その情夫が確かに貴方だと申します。
 (茶)エ、何だと。私を松子夫人の、
 (長)「イイエ松子夫人の情夫とは言わず『松あ坊』の情夫だと言いました。」
と勢い込んで押し付けると茶谷は顔色を失なするのを漸く取り止め、更に必死の勇を絞り、却(かえ)って愚弄しようとする様に、

 「ハハア貴方の小説は中々趣向が面白い。私が主人公だと見えますな。」
 (長)小説か実説か心に問えば分りましょう。そればかりではありません。『松あ坊』の松子夫人は村越お鞠を絞め殺した一人で三峯老人の目を潰したのも『松あ坊』です。これにも証拠が有ります。尤(もっと)も貴方は『松あ坊』が逃げ去る時、その着物を引き裂いた事もその切れが警察の手に入り、残る全体の着物が今三峯老人の手に入っている事も必ず『松あ坊』直々に聞いて知って居るでしょう。『松あ坊』がこの度、再び外国に逃げ去った前にそれだけのことを貴方に話したでしょう。

 茶谷は僅かに笑みを含んで、
 「ヘヘエ松子夫人は再び外国に行きましたか。」
と問うその口振りから察すれば、彼長々が松子夫人の居所を知らないと見て、笑って言っているようだ。
 (長)そうです。外国に行ったか行かないかは、それは確かに知りませんが、唯確かなのは貴方が『松あ坊』とくっ付いたため、それで村越お鞠を捨てて、お鞠がそれを恨んで多年貴方と『松あ坊』を探していた一条です。

 茶谷が何の返事をもしない前に筆斎は加勢して、
 「その証人は私です。お鞠が乞食をして居る頃私の施した恩に感じ、何度もその事を私に話しました。」
と言葉を添えると淡堂も同じく加勢し、その前貴方がお鞠の家に寝泊りしていた事は私が証人です。私の外に更に貴方の腕にある切り傷も証拠です。

 長々は益々力を得、サこの通り証拠が挙がれば後は言わなくても分かっています。貴方が此の頃亀子嬢を迷わして結婚する運びになったところへ松子夫人が帰って来たから、貴方は持参金を分けて取る約束でその事を承知させたが、生憎又お鞠にも見付けられ、却って邪魔になるから『松あ坊』に殺させたのです。この様な詳しい事はまだ三峯老人には知らせませんが、もし老人がこれを知ったら貴方を婿にすると言いましょうか。貴方はこれでも老人の婿になれますか。

 茶谷は聞くに従がい追々に度胸を定めたと見え、今は落ち着いた口調で、
 「フム貴方の言うのはそれだけですか。」
 (長)ハイこの上に貴方を訴えると言う事を申せばそれで済みます。
 (茶)訴えるとは老人に
 (長)イイエ、目の見えない老人にその様な事を知らせ悲しませるでも有りませんから警察に訴えます。警察では『松あ坊』の手下に働く鼻竹が死んでから、貴方の犯罪は分らないものと思っていますが、訴えれば直に吟味を始めます。

 (茶)じゃ今迄何故訴えずに待っていました。
 (長)貴方に会って決心を聞いた上でと思いまして
 (茶)何、私の決心を
 (長)「そうですとも、私は今から八日目に訴えます。だからそれまでに貴方が外国に逃げれば好し、逃げなければ容赦はしません。サ貴方は一週間以内に外国に逃げますか。それとも警察の手に掛りますか。その返事を聞きましょう。」
と唯一言の所まで詰め寄った。茶谷は初めには驚き、中ほどには非常に恐れる風であったが今は悪人の本性として充分に落ち着き払い、

 「私の返事は外に有りません。唯これだけです。即ち貴方がたの言う事は皆間違っていて私が言い開くのは非常に容易(たやす)いけれど、ここで言い開いても詰まるところは水掛論です。依って今から一週間の内に貴方方に合点の行く充分なる証拠を集め、身の潔白を表しますからその時に後悔なさるな。

 (長)その様な余計な事は聞くに及びません。サア一週間の内に外国に逃げますか。逃げませんか。
 (茶)「その返事はここでするには及びません。逃げるか逃げないかは一週間見ていれば分りましょう。私も紳士ですから、この通り辱められて黙っていませんから、追って貴方がた三人に決闘を申し込むまでこのままで分かれます。」
と言い悠々とこの部屋を出去る様は横着とも大胆とも言い様が無い。三人は彼の振る舞いに呆れ、顔を見合わせるばかりだったが、

 (筆)実に大胆な奴では無いか。
 (淡)幾ら大胆でも仕方が無い。腕の傷まで見られたから。
 (長)何でもこの上は一週間彼の挙動を見ていよう。
 (筆)そうさ、その間に彼奴は死にもの狂いになり何(ど)の様な事をして亀子を騙しに来るかも知れないからそれを好く用心して。
(淡)「そうだ、長々君が好く老人の家を守れば一週間待っても失策は無いだろう。」
と言いこれで三人は出て行くと、この時茶谷は待たせてあった馬車に乗り立ち去ろうとするところだった。淡堂は目敏くも、

 「アノ馬車の中には女が居るぜ。」
 (筆)『松あ坊』だろう。
 (長)「そうだ。迎えに来ていたのだ。」
と言い三人はここで分かれたが、この戦争は終には如何ように終わろうとするのだろう。

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